Archive for ◊ 2月, 2010 ◊

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• 月曜日, 2月 22nd, 2010

立松和平の代表作「遠雷」を再読する。というよりも、立松の声を、私の中に甦えらせてみる。影、いや文章から、響いてくるのは、まぎれもなく、立松和平のものだ。

夜、”立松死す”の一報を聴いて、今年、本人に会うことが、不可能になったことを、思い知った。せめて、作品の中に立ち現れる姿を、一晩、見てみようと思ったのだ。「遠雷」の、紙の色も、時間の、経過を語っていて、日に当たって、薄茶色に変化はしているが、(文体)は、現身の本人以上に、その姿を語っている。愚直の中の、やわらかな魂だ。

立松和平の公式のHPを観る。
全小説、第一期、第二期、第三期30巻。全著作、300冊。40年の、軌跡である。
”行動派作家”の名にふさわしく、紀行文、エッセイ、発言、講演、レポート、そして、TV、小説と、多岐に渡った活動の表現がある。

それにしても、中上健次といい、立松和平といい、頑強な身体を誇る者たちから死んでいく。「早稲田文学」の時から、同時代の空気を吸った者として、悲しい限りだ。長寿社会が到来したというのに、その入口で、ポキンと折れてしまう。

立松よ、安らかに、眠れよ。合掌。(2月9日)

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• 月曜日, 2月 22nd, 2010

1. 「海の家族」(土曜美術社出版販売刊) 中村純詩集
2. 「海の血族」(土曜美術社出版販売刊) ささきひろし詩集
3. 「メール症候群」(土曜美術社出版販売刊) 渡ひろこ詩集
4. 「一日一書」(新潮文庫刊) 石川九楊著
5. 「無量の光 上・下」(文芸春秋社刊) 親鸞聖人の生涯 津本陽著
6. 「武満徹−自らを語る」(青土社刊) 安芸光男聞き手
7. 「蕪村俳句集」(岩波文庫刊)
8. 「喪の日記」(みすず書房刊) ロラン・バルト著
9. 「学問のすすめ」(岩波文庫刊) 福沢諭吉著
10. 「福翁自伝」(岩波文庫刊) 福沢諭吉著
11. 「遠雷」(河出書房新社刊) 立松和平著(再読)

「零度のエクリチュール」という(知)を放って、記号の帝国を読み解いた、あの、時代の、最前線を歩いていた、ロラン・バルトの面影は、一切ない。「喪の日記」は、バルトの裸の声である。おそろしいほどの断絶である。(知と情)
切断された断面には、マモン(母)に恋いこがれて、二人の世界・生活を、老年になるまで守り通した男の、突然のマモンの死・不在に、嘆き、悲しみ、涙の日々をおくる、異様なロラン・バルトの姿がある。

まるで、幼児か、少年のように、おろおろして、心も空になり、「喪の日記」を綴る、この、正視に耐えぬ混乱は、いったい、どこから来るのか、あの、(知)の塊りを書き続けた、ロラン・バルトは、いったい、どこへ、姿を隠したのか。

母の子宮から、永遠に離れられない。マモンに、理想の女を見て、結婚もせず、二人の生活が、完全な宇宙であるかのように、生きてきた、そのセイカツの中から、フランスを、時代を、伐り開く、エクリチュールが生れたと、誰が、信じられるか、この分裂する男、禅経症に揺れる、老いた男に。

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• 月曜日, 2月 22nd, 2010
501. 放擲したモノもコトも、遠くなり、ひたすら、魂を舐いでいる。幾多の夢は、空にのぼって、消えて。
502. 転んで、転んで、歩き方を覚えた。一人前の顔をして、世間を渡り歩いていても、転んで、転んで、生き方を覚えた。失敗のない人生などない。
503. 人に会う。笑顔があれば、大丈夫。
504. 人間は、農夫が土を耕すように、一画、一画、漢字とひらがなを書かねばならない。文章の奥が深くなって、心にとどくために。
505. 表情も文化である。ニンゲン以外は笑わない。気配を読む、空気を読む、実に繊細な表情は感情を伝えるリトマス試験紙だ。
506. 何を考えているのか、一番わからないのが笑顔である。ホッともするが。
507. 笑わないニンゲンが増えている。笑えないのだ。病んでいて。傷だらけで。
508. (そのこと)を知っている。
     (そのこと)を知らない。
     (そのこと)を知らないと知っている。
     結局、知らないということが、わかってきた。
509. ときどき、モノ自体の素顔が覗いて、爆発的な暴力を振るう時がある。
510. 石化するニンゲンを視た。
511. 雨の日には殺人が多い。自殺者が多い。死者は、雨に吸い寄せられる。
512. ”ブータン”という国には、墓がない。長い間、私は、その事実を知らなかった。そうか、魂はめぐる、輪廻転生の国だ。
513. (今・ここ)で発光し続けるニンゲン。魂の灯が消えるまでの空騒ぎだ。
514. 伸縮自在のやわらかい二本の角と足が触れる部分が蝸牛の宇宙だ。
515. おそろしいヨー、おそろしいヨー、と、五歳になった少年は、泣き続けるのだが、何を聴いても、首を横に振る、大人たちには、見当がつかぬ。人は、生きると、自然に、おそろしいものを知ってしまうものらしい。誰にも助けてあげる術がない。
516. 結局、どう生きてみても、(私)を、説得することが一番難しかった。断念につぐ断念。
517. 人間は、身の丈以上に、ニンゲンのことを考えてはいけない。眼の前に、無限があっても。
518. 考えるようには生きられないのに、考えるということを止められないニンゲンである。
519. どんな説明も、完全な説明に至ることはない。だから、対話は終らないし、切りがない。
520. どのように生きていると他人に訊いてみると、ほとんどがセイカツの説明ばかりで、生きている(私)のちがいに、びっくりした。(私)はどこにいるの?
521. ついこの間、そう、たった500年ばかり前までは、海の彼方に、山の彼方に、浄土を求めていたニンゲンは、もう、現代では、銀河の、宇宙の、彼方に浄土を求めなくてはならない、そういう時代になった。
522. 人が、随分と、遠いと感じる日々がある。
523. 神輿は、ひとりでは担げない。肩と肩で支え合うところに、神輿の本質がある。
524. 一粒の砂にも、無限がある。なぜ?答えは、時間だ。一粒の砂も、また、無限の時間を帯びている。砂粒の私。
525. 無限に展開される思考には、いつも、意識がぴったりとくっついている。
526. 柔らかい蝸虫のような脚を持たねばならない。モノに吸いつく、あの認識する脚。
527. 思索の日々ほど、豊饒なものはない。他には、何もいらない。無限に身をゆだねる。
528. 歩きながら、自然に、1、2、3、4と数を数えている。数こそが疑われなくてはならない。−突然、どこからか、そんな声が降ってきた。頭の中央に。そして、蒼ざめてしまった。
529. 無名の者。名前がないのではない。名前を消して生きる者の謂だ。
530. 木の本能?木の遺伝子。そんなものがあるのだろうか。花を咲かせ、実をつけて、子孫を残すという方法。
531. 場を変えてみる。簡単な行為が思考を変える。目の移動。
532. 気分というニューアンス。思考よりも繊細な襞の染まり方。眼の色にでる。気分という波。
533. 感情には、いつも、さざ波が立っている。
534. 風に吹かれて、光に触れて、歩いているだけで、角がとれ、固い思いが溶けて、流れ出し、リズムにのって、浮遊するものが結晶する。
535. 一日一日、在るということを確認していくこと。ひび割れ、痙攣し、渇き切っている(私)が再生するために。
536. 不思議だ。歩けば歩くほどに、リズムが、点在するものを統一してくれる。
537. (世界)の顕現の仕方は、ひとりびとりちがっている。
538. 眼の分析は、瞬時に行われている。説明はその後からついてくる。
539. 村にはじめて、バスが来た日、少年たちは、バスを追って、排気ガスを吸った。それが、文明だった。
540. 人は風土に染められて生きている。旅に出て、歩いてみると、風景ごとに人がちがう。
541. 夏の光がある。ムルソーはそこで生れた。
542. 閑居の日々が、我が身に来るとは、考えもせぬ事態であった。誠に、春、夏、秋、冬という四季が人間にもやってくるものだ。
543. 百年、千年と鳴り響く声でなければ思想という名に価しない。それは(私)の声である。
544. 「不易流行」と芭蕉は語った。なるほど、400年経っても、生きている「普遍」だ。
545. 父の死は「次は、お前の番だよ」と、絶対的な声で、知識や哲学や思想をうっちゃった。痙攣である。
546. 喪が明けた。私も、また、死すべき者として生きねばならぬ。
547. 人は、いつも、その延長線上にいると安心する。いつ断たれるか、わからぬ日々であるのに。
548. 持続は、もちろん、力ではあるが、悪い習慣ほど、困ったことに続いてしまう。
549. 「我」と「執着」を捨てて、無私の私へと至るその鍛錬がいる。
550. (私)を考える−思想
     (私)に固執する−自己愛
     この二つは、まったく異なる。
551. 久し振りに(現場)に顔を出すと、いかに、私が、隠者へと傾斜しているかがよくわかった。たった一年、(現場)を離れただけで。
552. 何もかも、うんざりだという状態は心の井戸が浅くなっている証拠だ。深呼吸をする。
553. 不在は見えないのに、見えてくる、それが死者だ。
554. 四六時中、(私)は、死すべきものだと、意識し続けることは、誰にも出来ない。気が狂うだけだ。
555. 「生」が盛りになればなるほど、「死」も近くに在る。
556. 「文学」に淫しすぎると、思考がゆがむ。
557. 今では、父の存在が、ひとつの画像(イメージ)になってしまった。驚きである。
558. 必要とされる人間がある。必要とされる会社がある。では、老人は、高齢者は、どのように、必要とされるのか?現代の問題である。
559. 現代に生きる人は、誰であれ、多かれ少なかれ、神経症的な痙攣をまぬがれることは出来ない。
560. 放棄せざるを得ない、そんな認識で生きるしかないニンゲンであるから、当然この世界=宇宙は、分裂的に存在する。確実なものは何もない、一切は、混沌であると。
561. 存在(モノ)と言語(コトバ)の比重を、誤まらぬように、使用して、生きる。
562. 頭を殺して、足で生きる日もある。
563. 質素に生きる。余分なものを剥ぎ落として、それでも、考えるという宇宙は、豊饒である。
564. 畏怖の感覚はなくしてはならない。山へ、海へ、野へ、川へ、自然のあふれる中へと(私)を晒してみるだけで充分だ。
565. まあまあという、平凡な、感情が、セイカツには必要である。
566. 時空がなければ、時間もない。一人に一人の時空。
567. (私)へと、結晶したものが、いつのまにか、衰弱し、分解されて、消えていく。
568. 永遠に触れると、破壊される。畏怖と苦痛がある。卒倒して、痙攣するだけだ。
569. 清潔に、綺麗に、整理された世界。塵も芥もない。ニンゲンの身体は、細菌だらけだから、そんな世界には棲めない。やはり、汗と汚れが似合う。
570. 風が吹く。竹が揺れる。竹の動きは、すべて、曲線で出来ている。眺めていて飽きるということがない。現代人の心に、竹を接木したくなる。
571. 人は、病むと、(病んだ人)になる。もう、元気な時の、あの人ではない。
572. (現場)に人の姿が少なくなった。
     (街)に人の姿が少なくなった。
     (病院)に行くと、人ばかりである。
573. 久しく、(人の高み)のようなものを見たことがない。
574. 人の持つ場所の形はさまざまだが、必ず一人にひとつ場所が必要だ。歪んでいても。
575. 一人の人間の手が届く範囲など、たかだか知れたものだ。何度、断腸の思いをしたことか、ほんの身近で。
576. 大事の時に、知恵と力が足りなかった。努力をしても、いつも、「後の祭り」だ。赦してくれ!!
577. 知恵と力が少しは、身についてきたと思ったら、もう、本人自身が、ボロボロである。
578. 実の業という。(実業)万巻の書を読破するよりも、具体的な、ひとつの行為が要る場合がある。
579. 無学、無知は、責められないが、辛いことに、それが(悪)を生むことがある。更に辛くなる。
580. 壁は、次から次へと現れる。人が、高みへと昇ろうとすれば。おそらく、限度がない。
581. 人が高揚するように時代も高揚する時がある。
582. 沈滞する、没落する時には、淋しく、悲しく、辛いものだが、いつかは、歩み出す時が来る。ぐるぐる廻る世界だから。
583. 生き方と、放つ言葉が合致しなければ、言葉は、正直なもので、見事なくらいに反逆して、その人を撃つ。
584. 若いうちには、先行した言葉が、肉離れを起こしても、当然だ。まだ、生きていないから。ヴィジョンのままに走れ!!
585. 江戸の風を受けて育った福沢諭吉が、なぜ「学問のすすめ」を書けたのか。百年も生き延びる言葉を。明治の風が吹きぬけたのだ、彼の内部に。
586. 原子たちが、何億、何兆も集って、歩き出し、笑ったり、泣いたり、考えはじめたと思えば、なんだか、おかしい。不思議そのものである。
587. 一千万分の一の世界。原子を、ニンゲンが、見る時代になった。原子のかたまりが原子を覗く不思議。言葉がとどかない。何?それ。
588. 頭がくらくらして、眼が、見るという力の限界を越してしまったような畏怖が来た。原子の並んだ絵図に。
589. 闇の中で、眼を閉じて、モノを見ようとしはじめた(私)がいる。透視する力の顕現。
590. 宇宙に吹きわたる原子の風。今日も縁側で風を受ける。煙草を喫いながら。
591. 細胞の粒々が、すべてが、眼になる。
592. 電子言語は、時空へと放たれるモノであったのか?
593. 空騒ぎであれ、他人真似であれ、真険であれ、とにかく、他人がするということを、私もやってみる。神輿を担ぐ一人、参加者になるために。
594. 朝日が昇り、夕日となって沈む。眼は、いつも、発見している。何を?光という太陽の不思議を。
595. (私)の声だけを記している「本」を探している。なかなか、見つからない。混ざった、濁った声ばかりだ。
596. 作為のない、自然な(私)の声に耳を傾けたいが、雑音ばかりが流れてくる。
597. 余分なものが多すぎる。簡素が一番であるのに。
598. 私には、地面に対して、垂直に立つための、首と顔・頭の位置の在り方(納まり方)がわからない。誰でもがするように、自然に立っても傾いているのだから。
599. 40年振りにお会いした、高校の音楽の先生が「あなたは、いつも、首を傾けて歩いていたわね」と告白った。そういえば、私の一番古い写真、祖母と並んだ写真も口を真一文字に結び、掌を握りしめて、首を傾けている。なぜ、私は、傾いているのか?
600. 冬の日、雨の後、木の枝に無数の水滴が付着している。それが、落ちるさまを、長い間、眺めていた。無為の休日。