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• 月曜日, 2月 22nd, 2010

立松和平の代表作「遠雷」を再読する。というよりも、立松の声を、私の中に甦えらせてみる。影、いや文章から、響いてくるのは、まぎれもなく、立松和平のものだ。

夜、”立松死す”の一報を聴いて、今年、本人に会うことが、不可能になったことを、思い知った。せめて、作品の中に立ち現れる姿を、一晩、見てみようと思ったのだ。「遠雷」の、紙の色も、時間の、経過を語っていて、日に当たって、薄茶色に変化はしているが、(文体)は、現身の本人以上に、その姿を語っている。愚直の中の、やわらかな魂だ。

立松和平の公式のHPを観る。
全小説、第一期、第二期、第三期30巻。全著作、300冊。40年の、軌跡である。
”行動派作家”の名にふさわしく、紀行文、エッセイ、発言、講演、レポート、そして、TV、小説と、多岐に渡った活動の表現がある。

それにしても、中上健次といい、立松和平といい、頑強な身体を誇る者たちから死んでいく。「早稲田文学」の時から、同時代の空気を吸った者として、悲しい限りだ。長寿社会が到来したというのに、その入口で、ポキンと折れてしまう。

立松よ、安らかに、眠れよ。合掌。(2月9日)

Category: エッセイ
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