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• 木曜日, 9月 19th, 2019

辺見庸の最新小説『月』を読む(見事な文体の振幅と強度)

ついにとうとうようやく、ぎりぎりのところで、辺見庸が小説家として自らの代表作となる「月」を完成させた。
三島由紀夫の「金閣寺」武田泰淳の「富士」埴谷雄高の「死靈」川端康成の「雪国」等に匹敵する傑作の出現である。
辺見庸といえば、代表作はルポタージュ「もの食う人びと」であった。もちろん詩集あり、評論あり、時評あり、紀行文あり、講演や対談ありと、さまざまなコトバを放ってきた。発言してきた。思想家として。その度、四種類の文体を発見し、辺見庸という思想を構築してきた。文体の進化、思想の深化。

思えば、スタートは、新聞記者の文章であり、作家として簡潔で、素朴で、竹を割ったような文体を重ねた「自動起床装置」(芥川賞受賞)であった。行間に含みをもたせて、余白に語らせる、スタイルであった。随分と地味な作風で、まだ、辺見庸が何者か、わからず、世間の注目を浴びる作品ではなかった。

三島由紀夫が、金閣寺放火という衝撃的な事件(素材)を借りて、自らの存在を、思想を語り尽くしたように、辺見庸も、神奈川県相模原市の障害者施設で発生した(津久井やまゆり園)大量殺人事件(素材)を借りて、その(事実)を想像力を駆使して、小説としての(じじつ)に変換し、ニンゲンとは何者か?存在とは何か?を根源的に問うことで、自らの思想を語ってみせた。(ニンゲンは誰でも病んでいる存在である)

ニンゲンの底が割れても(殺人者となっても)まだ、ニンゲンは、ニンゲンとして存在が可能であるのか?

辺見庸は、小説を、多視点を導入することで、六つの文体で書きわけている。

①はじまりは、呟きであり、意識による独白であり、まるで、モーリス・ブランショの「謎の男トマ」風に、「来たるべき書物」となっている文体。

②ニンゲン存在の深処からくる詩、アフォリズム、ピュアーなコトバ群からなる文体。

③そして、告発、厭世、抵抗、否定と洪水のように吐き出される文体。

④更に、思考に思考を重ねて、なお、その果てまで行こうとするコトバ群の文体。

⑤(現実)に寄り添って、事象をていねいに、ていねいにたどる、リアリズムのコトバの文体。

⑥疾走する、軽妙さの中に虚無や悲しみが走る音楽としてのコトバ・文体。

辺見は、さまざまなコトバを書くことで、自らの文体を鍛えあげてきた。あたかも、この小説『月』を書きあげるためでもあるかのように。

文体が多声的であるということは、同時に、登場人物、ニンゲンも多面的存在であるということだ。文体の中にしか思想はない。ポリフォニー小説「月」は何重もの壁に囲繞されたコトバの群れから成っている。独白あり、崩壊あり、幼児性あり、大衆性あり、知性あり、偏向性あり、俗性と聖性あり、コトバは七変化している。コトバそのものが、自己生成されて、勝手に動いているようにも見える。(力業である)
つまり、存在はコトバである。物語・単なるストーリを追っても、プロットを説明しても、辺見庸が投げかけるコトバの正体は容易に捉えられない。
もちろん、小説は歪んでいる、破綻している、壊れている、なぜ?ニンゲンがそのようにも存在しているからだ。

なぜか、救いのない事件を語る、辺見のコトバの中に、”無限のやさしさ”を感じた。
このココロの揺れは、いったい何だろう?どこからくるのだろう?(「自痴」のムイシュキンのような)

ニンゲン存在のグロテスクの中にも、手で手に触れる、他人への”無限のやさしさ”と覚える場面がある。不思議だ。それは、辺見庸が、さまざまな作品の中で書く”植物たち”への視線に含まれているある心情に似ている。
(在ること)(食べること)(殺すこと)(愛すること)生を構成するエレメント。簡単で、深い。根は同じところにある。つるつる滑ってしまう世間、社会の言葉の浅さと散漫に対して、辺見のコトバは、表面を深淵に変えてしまうほどに、したたかだ。
「月」の結末は?
「ああ、月だ。月に虹がかかっている。」
が余りにも凡庸で破綻していると読むかどうか?あるいは・・・。
三島由紀夫の最後の小説「豊饒の海」第四巻「天人五衰」の結末は?
「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。・・・」
コトバから生まれてきた三島由紀夫が何もないところに至ってしまう。なぜか?
ニンゲンは、動物・植物・鉱物と共生し、人間原理で生きている。宇宙原理では生きられない。しかし、実は、ニンゲンは、コズミック・ダンスを踊っている存在である。宇宙のビッグ・バンの風に吹かれて。
小説「月」は辺見庸の代表作、金字塔となるだろう。長く読まれんことを!!

Category: 書評
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