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• 火曜日, 11月 04th, 2008

はるかな昔の話であるが、学生時代、青春の真っ盛りに、過剰な熱にうかされて、車で伊豆の長岡をめざして、車を走らせたことがある。文学仲間が集って、同人雑誌を出していた。その夜も4・5人が集って、文学談義に花を咲かせていた。

誰かが「夜の富士」を見に行こうかと提案した。富士という名前が夜の街に飽いた心にしのびこんできて、私たちの首根っこを押さえた。あとは勢いにまかせて、深夜の東名高速を走り続けた。闇の中に富士が見えたのか、もう記憶にはないが、その夜は、長岡のひなびた旅館に泊まった。翌日、伊豆スカイラインを走った。富士が眩しく輝いていた。

今から思えば、衝動的で冷や汗がでる。長い間、西伊豆には足を運んでいないから、30数年ぶりの“長岡の夜”になる。

沼津インターで東名高速を降りると、一路、長岡へと車を走らせた。

“長岡温泉郷”の看板を見たのが7時だから、2時間ばかりかかったことになる。

社員旅行、修学旅行、温泉旅行が盛んだった頃の賑わいはなくて、街は妙に静かだった。昔は浴衣姿で下駄を鳴らして、観光客が夜の街を闊歩していたものだったが…。

時代が変わってしまったのか。

“ゆもとや旅館”は、昔の旅館そのもので、部屋は柱も天井も古びてはいたが、妙に落ち着いた。トイレは共同で、部屋の外にある共同トイレだった。

食事は大広間で、客は私たち二人だけだった。昔の記憶をたどって、昔、とめてもらったのが、この宿かどうか訊いてみたが、どうやら別の旅館らしいと言うことだった。

魚中心の夕食に舌鼓を打って、真新しい畳の匂いを嗅ぎながら、昔の賑わいのあった頃の幻を思い描いてみた。あの頃、温泉は人であふれていた。

夜風に吹かれてみようか? 尾沼君に声をかけて、夜の温泉郷の探訪となった。人影も疎らで、やはり少し淋しい。30年代、40年代のあの熱気がないのだ。若い人たちは、もう温泉には足を運ばないのだろうか。旅館の下駄を鳴らして、昔日をしのびながら、ふらりふらりと歩いてみた。

歌声が流れてきた。カラオケの店だ。ストレス解消にと、店に入ってみた。中高年の男女がカウンターに座ってマイクを握っていた。大きな声で歌を歌うと、心の中に溜まっていたものが声とともに、外へ流れ出て、少しは気分がすっきりする。日頃は大声で笑ったり、叫んだり、とにかく声帯を使うことが少ない。

歌を聴くと、私たちと同年代で、昭和10年20年代生まれの、商店街で働く人たちのグループだった。いわゆる流行歌・歌謡曲で育った世代だ。美空ひばり、フランク永井、石原裕二郎、水原宏、耳に馴染んだ人たちの歌ばかりだった。

長岡の夜は、そうして更けていった。(つづく)

Category: 紀行文, 静岡県
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