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• 火曜日, 11月 04th, 2008

河北町は名前の通り、河の北にある町である。川の名前は最上川。山形県最大の河川であり、多くの町がその水の恩恵を受けている。江戸時代に栄えた紅花や米の交易で、豪商の出現もあり、水の豊かな最上川を利用しての舟運業は、河北町にも財と文化をもたらしている。

現在、河北町の人口は約21,000名、5,800世帯、高齢化率は27%である。

山形県は酒田や鶴岡といった海の町と、山形市、天童市、米沢市など山の町に大きくわかれている。河北町は山の町である。

河北町は山形県内で、唯一「国保ヘルスアップ事業」に取り組んでいる市町村である。

11月10日・11日と、一泊二日の旅に出た。東京発9時24分発の“つばさ”に乗った。快晴である。

いつも思うことだが、新幹線の出現は、旅と出張の形を変えてしまったひとつの【事件】だった。風景が眼の中を飛び去って消えてしまう。トンネルが多くて景色が見えない。確かに、目的地には早く着くので“便利”にはなったが、失われたものも多い。

特急や急行、普通や夜行列車が次々に姿を消してしまって、各駅停車しか止まらぬ駅の人々は、さぞかし不便だろうと思う。

東北や北陸へ行く場合には、大宮・高崎・宇都宮あたりまでは新聞を読むか、眼をつむって目的地のことをあれやこれやと考えては、想像をめぐらしている。

関東平野はほとんどがビルと家屋の塊になってしまって、眼をとめるべきものがないからだ。

山形へは2〜3度、足を運んだことがある。1度目は「奥の細道」の芭蕉の声を求めて、通称“山寺”と呼ばれている立石寺を訪ねた。

「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」

真夏日で、蝉の声よりも人の声の方が多かったが、急な石段を登って、下から吹きあげてくる風を受けると、遠望する眼に時の壁がゆらいで、ふと、芭蕉の声が幻聴のように耳の奥に響いた。風景は、何重にも透視しなければ、その底に隠れたものは見せてくれない。

もう1度は、1月の寒い日に河北町で行われた介護予防教室に訪れたことがあった。雪の降る中を、要介護度1〜2の方が、町の出迎えのバスに乗って、参加してくれた記憶がある。町の温泉は元気になる源だった(べに花温泉・ひなの湯)。

河北町には新しいものに取り組む熱い姿勢がある。進取の精神、そんな伝統があるのだろうか。

「介護予防」事業だけではない。河北町には「健康かほく21行動計画」「健康づくり推進都市の宣言」「健康づくりいきいきサロン事業」と3本の柱がある。

「国保ヘルスアップ事業」に取り組んだ最大の理由は、成人の肥満者の増加と糖尿病予備軍の増加にあった。

「牛肉弁当、いも煮弁当、峠の力餅」と米沢・山形名物がアナウンスされると、風景が大きく変わって、山形県入りを確認した。空は曇天だ。

右手に堂々たる連山が続き、刈り入れの終わった田園が茶褐色にひろがり、川らしきものも眼にとびこんできた。

燃えるような赤は終わっていたが、紅葉が山一面にひろがり、ところどころに深紅のもみじが顔をのぞかせ、秋の風にススキが揺れていた。フルーツ王国らしく、鉄パイプの屋根が果樹園を覆っていた。

月山、羽黒山、湯殿山の出羽三山にはじまって、鳥海山、最上川、庄内平野、さくらんぼ、花笠踊りと、誰でも知っている【山形県】を頭の中で追ってみた。

山形県を舞台にした森敦の描いた名作「月山」、藤沢周平の「蝉しぐれ」、芭蕉の「奥の細道」は、私の心の中では山形ばかりではなく、日本の文学の神髄を語る作品となっている。

12時11分、つばさは“さくらんぼ東根駅”に到着した。      (つづく)

Category: 山形県, 紀行文
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