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• 火曜日, 11月 04th, 2008

11月の菊の香りが広場に漂っていた。今回の会場は、河北町の農村環境改善センターである。講師は米沢の大学で教べんをとられている管理栄養士の加藤哲子先生である。参加者の一人一人が、カメラで撮影した自分たちの食事を、先生に分析してもらい、アドバイスを受ける。個別指導を受ける日である。

ちなみに開講式は、9月27日に行われた。講師は医学博士で長年糖尿病を予防する運動プログラムを開発され、現場での指導で効果をあげてきた藤沼宏彰先生だった。先生は無理をしないで、楽しみながら(?)日常生活の中で、実行して習慣化できることをモットーにして、指導されている。

会場の入り口には、菊の大輪の花が数本あって、その形、真っ白な色(なぜ植物から白が出てくるのか、いつも不思議に思っている)が見事だった。その傍らには、一本の茎か、数本の茎か見分けがつかぬが、その枝に、数百個の小さな花が咲いていて、楕円形にひろがった姿は、飛行機の翼のようだった。

開始まで1時間あり、スタッフが準備をする間、ふらりと散歩に出た。その町を知るには観光名所ではない、普通の生活の場を見るのが一番だ。

極々普通の町の路地を、あちこちと自由に歩いてみた。どこの庭先にも花があって、その香りが路上に漂っていた。足にまかせて西里地区を歩くと、晩秋の景色の中に花々の色彩が色鮮やかに、空気までも染めていた。

見慣れない光景に思わず足を止めた。広い庭の植木に、円錐形の形にした竹をたてかけて、細ひもで結んでいた。大きな植木には、太い木を寄せ木にしてある。黙々と作業をする手を、黙礼して、見せてもらった。

北国の冬支度だった。

冬には雪が1メートルも降る地方だ。植木も放っておくと、雪の重みで倒れたり、折れたりしてしまうのだろうか?

寺社があった。【曹洞宗永昌寺】とある。左手には朱に燃えるもみじがあった。門をくぐると、空気が凜と張りつめていて、音という音が吸い尽くされたような静寂があった。砂に箒(ほうき)の後が生々しい。

町のあちこちに用水路があって、透明な水が流れていた。しばらく歩くと、小学校があった。教室から遠く、子供たちの声がきこえてくる。校庭に入ると、校舎の入り口に鉢がたくさん並んでいた。

どの鉢にも咲き終わったあとの花の跡があり、鉢には子供たちの学年と名前を書いた札がついていた。(花を育てる)心のかたちを教えている。さすがに紅花で栄えた土地柄だ。長い時間をかけて育んできた文化が、こうして脈々と子供たちに受け継がれている。

河北町には紅花の交易で豪商となった堀米家があり、【紅花資料館】には紅花染の豪華な着物やひな人形が展示してある。

里の子たちにも文化と伝統は受け継がれていた。花を通じて、情操を育てるという形の中に、昔の姿が残っていた。柿の北限と言われる山形県だが、確かに熟した柿の実があちこちに点在していた。(つづく)

Category: 山形県, 紀行文
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