3651. 誰でも、一度は、”無限”に触れた感覚を体験する。
3652. (私)も、当然、1から無限になる。
3653. ”無限”は、超球宇宙と呼んでもよい。
3654. その時、ニンゲンは、蟻や鳥の視点から、超球宇宙からの視座を獲得する。
3655. つまり、(善とか悪とか)(罪とか罰とか)(天国と地獄)とかニンゲンの、地上の価値や意味の一切が消える。
3656. 一切が、無意味である。非・意味となる。
3657. 私が(一即無限)に至ったのは、無意味の果ての(”無限”=超球宇宙)の視座をもった時だ。
3658. 何も恐れることはない。一切は、消える。ニンゲン世界から解き放たれる。
3659. 意味は、ニンゲンとニンゲンの関係の中にしかない。
3660. 一切は(無)へ。超球宇宙へ。
3661. (死)とは?無限となって、超球宇宙へと翔び立つことではないのか?ニンゲンという形をなくして。眼には見えないが、透明な何かとなって。
3662. (死)は決して、生命の終着点ではない。一即無限の宇宙への旅のはじまりにすぎない。
3663. 今日も、小さな、小さな、惑星・地球の日常では、ニンゲンの視点から、考え、悩み、傷つき、悲しみ、苦しみ、のたうちまわる生きものの姿が、波となって、押し寄せている。ひたすら、意味を求めて。
3664. 色に会って、音にあって、色の放つコトバを、音の放つコトバを、人は、絵画として、音楽として、楽しんているではないか!!
3665. ゆえに、宇宙は、「コトバ」から出来ている。ニンゲンの使う、(文字)(声)という「言葉」ではない。
3666. コトバを、カミと呼ぶのも自由だ。仏陀と呼んでもよい。超越者と呼んでもよい。しかし、それは、ニンゲンの究極の姿である。
3667. 昔の人も言った。「松のことは松に習え(松の放つコトバを聞け)竹のことは竹に習え(竹の放つコトバを聞け)石のことは石に習え(そうだ、私も石の放つコトバを聞いている)
3668. 光は言葉である。いや、「光」という言葉のことではない。光そのものが「コトバ」だという意味だ。
3669. 「木」という言葉がある。ニンゲンが「木そのもの」に与えた言葉である。もちろん「木そのもの」とは「コトバ」である。
3670. 友の言葉はありがたいものだ。言葉の向うに思いが見える。言葉の向う側にある「コトバ」が見える。
3671. ニンゲンは、長い間、見えない「原子」の「コトバ」にむけて、言葉を放ってきた。無限の言葉は、歌となり、詩となり、小説となり、俳句となり、アフォリズムとなり、「コトバの原子」を、表現してきた。
2672. 終に、究極には、存在は思考を裏切るか?
3673. (科学)は、宇宙が、なぜ、誕生しなければならなかったのか、証明できない。
3674. (哲学)は、その論理では、宇宙を、分析できぬ。
3675. で、何が、いったい、何を、どのように、証明できるのか?
3676. 結局、不可思議なものを、生きている不思議だけが、存在している。(存在していない)
3677. 「いったい、何を、どこまで知っている?」と問えば、(知)に限界はない。
3678. (無限)に至る(知)。(無限)がある限り。
3679. 70億人が、同時に、ひとつのことを考える、思う、祈る!!その発出する”力”よ!!
3680. 銀杏の木に、1億年の時間を視る!!
3681. ニンゲンが一線を超える時。まだこちら側にいると思って、生きている人。もう、向う側にいると思って生きている人。(時間)の相がちがう。(死者の眼)と(生者の眼)
3682. (私)という出来事が、ただ流れている、宇宙を!!一瞬と無限を。(石)という出来事が、ただ宇宙を流れているように。
3683. (物自体)など、どこにもなかったのだ!!(カント)
3684. 石も鉄も太陽も、量子の流れにすぎない、出来事であるか。
3685. ”私”などない。”時間”など存在しない。一切は、関係性の中にニンゲンが見る”幻”である。
3686. 量子は、ニンゲンにとって幽霊である。ニンゲンの思考、能力では、考えられないものである。探究すると、気が狂うと、天才、ファインマンは語った。
3687. ”石”も、また、物質としての、モノではなく、石という出来事である。
3688. 世界に、宇宙には、確たるモノは存在しない。宇宙は生成される流れである。”石”であれ”惑星”であれ恒星であれ、銀河であれひとつの「出来事」でしかない。
3689. 従って”物”自体など、どこにもない。
3690. ビッグ・バンからの、流れがあるだけ。「時間」は存在しないのだ。ゆえに”今”は、どこにもない。天の川の”今”と他の銀河の”今”は、まったく、異なる!!”確定したい私”もない。”私”という出来事が流れている。
3691. 宇宙には青空がない。360度、闇の世界である。深い深い漆黒の闇の中に星々や銀河が光っている。
3692. ニンゲンは、地球の昼間の光に慣れすぎている。空気(大気)がある。太陽の光が降り注ぐ白昼は、空は(青空)である。大気は、青い光を吸収する。
3693. 昼間の光の世界は、宇宙ではあり得ない。夜の闇の世界が通常である。
3694. 地球は生きものたちの世界。宇宙は、星、銀河とガスとが漂う(死)の世界。
3695. ニンゲンは、(闇)の中、(死の世界)では生きていけない!!光と空気と青空の下で生きる。
3696. ニンゲンは、本当のこと(真実)を言う言葉をもたない、とニンゲンが言った。
3697. さて、その言葉は、本当のこと(真実)か、あるいは、嘘(虚)か?
3698. 言葉の、コトバを表現するためにある。コトバとは、あらゆる存在、非存在の放つサインである。
3699. 言葉も、究極は、量子の存在に似ている。あったり、なかったりする-同時に。あるいは、同じものであったり、異なるものであったりする。同時に。
3700. 老子の思想は、21世紀の思想にも共振する。色なき色を、形なき形を、声なき声を、言葉なき言葉を”無為自然(じねん)”の真理の”道(タオ)”として語ってみせた。まるで、量子のコトバである。”(老子)”は、今も、新しいぞ。