Archive for ◊ 9月, 2022 ◊

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• 木曜日, 9月 08th, 2022
3651. 誰でも、一度は、”無限”に触れた感覚を体験する。

3652. (私)も、当然、1から無限になる。

3653. ”無限”は、超球宇宙と呼んでもよい。

3654. その時、ニンゲンは、蟻や鳥の視点から、超球宇宙からの視座を獲得する。

3655. つまり、(善とか悪とか)(罪とか罰とか)(天国と地獄)とかニンゲンの、地上の価値や意味の一切が消える。

3656. 一切が、無意味である。非・意味となる。

3657. 私が(一即無限)に至ったのは、無意味の果ての(”無限”=超球宇宙)の視座をもった時だ。

3658. 何も恐れることはない。一切は、消える。ニンゲン世界から解き放たれる。

3659. 意味は、ニンゲンとニンゲンの関係の中にしかない。
3660. 一切は(無)へ。超球宇宙へ。

3661. (死)とは?無限となって、超球宇宙へと翔び立つことではないのか?ニンゲンという形をなくして。眼には見えないが、透明な何かとなって。

3662. (死)は決して、生命の終着点ではない。一即無限の宇宙への旅のはじまりにすぎない。

3663. 今日も、小さな、小さな、惑星・地球の日常では、ニンゲンの視点から、考え、悩み、傷つき、悲しみ、苦しみ、のたうちまわる生きものの姿が、波となって、押し寄せている。ひたすら、意味を求めて。

3664. 色に会って、音にあって、色の放つコトバを、音の放つコトバを、人は、絵画として、音楽として、楽しんているではないか!!

3665. ゆえに、宇宙は、「コトバ」から出来ている。ニンゲンの使う、(文字)(声)という「言葉」ではない。

3666. コトバを、カミと呼ぶのも自由だ。仏陀と呼んでもよい。超越者と呼んでもよい。しかし、それは、ニンゲンの究極の姿である。

3667. 昔の人も言った。「松のことは松に習え(松の放つコトバを聞け)竹のことは竹に習え(竹の放つコトバを聞け)石のことは石に習え(そうだ、私も石の放つコトバを聞いている)

3668. 光は言葉である。いや、「光」という言葉のことではない。光そのものが「コトバ」だという意味だ。

3669. 「木」という言葉がある。ニンゲンが「木そのもの」に与えた言葉である。もちろん「木そのもの」とは「コトバ」である。

3670. 友の言葉はありがたいものだ。言葉の向うに思いが見える。言葉の向う側にある「コトバ」が見える。

3671. ニンゲンは、長い間、見えない「原子」の「コトバ」にむけて、言葉を放ってきた。無限の言葉は、歌となり、詩となり、小説となり、俳句となり、アフォリズムとなり、「コトバの原子」を、表現してきた。

2672. 終に、究極には、存在は思考を裏切るか?

3673. (科学)は、宇宙が、なぜ、誕生しなければならなかったのか、証明できない。

3674. (哲学)は、その論理では、宇宙を、分析できぬ。

3675. で、何が、いったい、何を、どのように、証明できるのか?

3676. 結局、不可思議なものを、生きている不思議だけが、存在している。(存在していない)

3677. 「いったい、何を、どこまで知っている?」と問えば、(知)に限界はない。

3678. (無限)に至る(知)。(無限)がある限り。

3679. 70億人が、同時に、ひとつのことを考える、思う、祈る!!その発出する”力”よ!!

3680. 銀杏の木に、1億年の時間を視る!!

3681. ニンゲンが一線を超える時。まだこちら側にいると思って、生きている人。もう、向う側にいると思って生きている人。(時間)の相がちがう。(死者の眼)と(生者の眼)

3682. (私)という出来事が、ただ流れている、宇宙を!!一瞬と無限を。(石)という出来事が、ただ宇宙を流れているように。

3683. (物自体)など、どこにもなかったのだ!!(カント)

3684. 石も鉄も太陽も、量子の流れにすぎない、出来事であるか。

3685. ”私”などない。”時間”など存在しない。一切は、関係性の中にニンゲンが見る”幻”である。

3686. 量子は、ニンゲンにとって幽霊である。ニンゲンの思考、能力では、考えられないものである。探究すると、気が狂うと、天才、ファインマンは語った。

3687. ”石”も、また、物質としての、モノではなく、石という出来事である。

3688. 世界に、宇宙には、確たるモノは存在しない。宇宙は生成される流れである。”石”であれ”惑星”であれ恒星であれ、銀河であれひとつの「出来事」でしかない。

3689. 従って”物”自体など、どこにもない。

3690. ビッグ・バンからの、流れがあるだけ。「時間」は存在しないのだ。ゆえに”今”は、どこにもない。天の川の”今”と他の銀河の”今”は、まったく、異なる!!”確定したい私”もない。”私”という出来事が流れている。

3691. 宇宙には青空がない。360度、闇の世界である。深い深い漆黒の闇の中に星々や銀河が光っている。

3692. ニンゲンは、地球の昼間の光に慣れすぎている。空気(大気)がある。太陽の光が降り注ぐ白昼は、空は(青空)である。大気は、青い光を吸収する。

3693. 昼間の光の世界は、宇宙ではあり得ない。夜の闇の世界が通常である。

3694. 地球は生きものたちの世界。宇宙は、星、銀河とガスとが漂う(死)の世界。

3695. ニンゲンは、(闇)の中、(死の世界)では生きていけない!!光と空気と青空の下で生きる。

3696. ニンゲンは、本当のこと(真実)を言う言葉をもたない、とニンゲンが言った。

3697. さて、その言葉は、本当のこと(真実)か、あるいは、嘘(虚)か?

3698. 言葉の、コトバを表現するためにある。コトバとは、あらゆる存在、非存在の放つサインである。

3699. 言葉も、究極は、量子の存在に似ている。あったり、なかったりする-同時に。あるいは、同じものであったり、異なるものであったりする。同時に。

3700. 老子の思想は、21世紀の思想にも共振する。色なき色を、形なき形を、声なき声を、言葉なき言葉を”無為自然(じねん)”の真理の”道(タオ)”として語ってみせた。まるで、量子のコトバである。”(老子)”は、今も、新しいぞ。

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• 木曜日, 9月 01st, 2022

 てんでんこに生きているニンゲンがいる

 ヒトは それぞれの
感覚で 意識で
言葉で 思想で
多様な宇宙観で てんでんこに生きている

 たいがいの人は
(今)(ここ)を現実と思って
生きていると言う
 しかし よくよく考えてみると
(今)とは いったい 何時の(今)か
(ここ)とは いったい どこの(ここ)か
(現実)だって? どんな(ゲンジツ)?

 揺らぎが ふたたび 襲ってくる
あらゆるものを

撹拌
シャッフル
する 無限の量子の手
1000億個の銀河群をひとめぐりして
帰ってきた無限遠点からの旅人は
いつのまにか(他者)になっている

どこでもない場所と誰でもない(私)に
怯えながらも 揺れて 漂って(今・ここ)を
探してみるが みつからない
そんなものは もう どこにもない

ヒトが てんでんこに生きる証拠がある
 夏目漱石は?「則天去私」の位相に
 荒川修作は?「天命反転」の宇宙に
 石牟礼道子は?「苦海浄土」の心世界に
 重田昇は?「一即無限」の超球宇宙に

モノもコトもヒトもココロも宇宙も
わかればわかるほどに
わからなくなる!!
本当のことなど
とうの昔になくなった ニンゲンがそうしたのだ

一切が 時空が 振り出しの(無)に戻る
そして ふたたび みたび よたび 波が来る
 ただ エネルギーの渦の中に
言葉から「コトバ」の宇宙へと
翔び続ける 宙吊りになった 存在者が
顕現して 浮遊している

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