Archive for 8月 25th, 2015

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• 火曜日, 8月 25th, 2015

3101. 目的を問うな。ただ、歩くために歩け。(歩く瞑想のレッスンをはじめる)

3102. 不可能性へとココロが渇いている。

3103. 事象しか見ない人。現象しか見ない人。心象まで見る人。いくつもの時空をも見る人。無数の、超球宇宙を見抜いてしまう人。

3104. どのステージに立つかで、(私)は決定される。さて、立つのは、誰か?

3105. 場が(私)であるなら、時空・身体での(私)の位置が、(私)を決定する。

3106. (私)は、瞬時瞬時に、定まる。固有の(私)など、どこにもない。

3107. 24人のビリーミリガン。多重人格者は(私)の成立を、証明する。

3108. つまり、(私)は、あらゆる時空に遍在する存在である。

3109. (死)は、単なる、消滅・無ではあり得ない。

3110. 意識の眼がなければ(私)も(宇宙)もない。

3111. 単なる、物質主義者の主義は、壊れた!!(モノ)は、単なるモノではない。(無即有)

3112. 3.11以降、誰にも、コトバは、降りてこなくなった。(啓示は消えた)語られる言葉は、内実のない、単なる、記号ばかりである。

3113. 理由は?天から降りてくる、魂のコトバを聞く、耳をもった人が、いなくなってしまったからだ。

3114. 3.11が、別れ目であった。ニンゲンのもっている一切が、一瞬で奪われてしまう、体験で、目覚める人、コトバが降りてきて、耳に入る人が現れなければならなかった。(また、いつのまにか、学者、政治家、科学者たちが、もとの姿にもどって、もとの言葉を、使いはじめた)

3115. 読めば、わかる文章ではなくて、生きなければ、わからない文章を書かねば。

3116. だから(私)が知りたいのは、よく生きた人の言葉、文章である。決して、よく勉強した評論家や学者の言葉ではない。

3117. ニンゲンは、長い間、(声)で対話をしてきた。活字の言葉ではなくて、生きている人の(声)という言葉で、人と人の信が交換された。人に、会うことが、一番である。

3118. その人全体が、(私)を表現しているから、出合いは、すでに、「大きな言葉(コトバ)」である。

3119. 生きる姿を見る。会えないから「本」で読む。決して、逆ではない。

3120. 思想は言葉の中にしかない?だから、思想をそのまま実践すると、躓いてしまう。

3121. いのちは、お互いに、いのちを、食べあうことによって、ネットワークを作り出している。

3122. 罪の原形は、いのちを食べる、にある。

3123. ニンゲンは、食べるいのちを、分類して、差別化し、聖化し、罪悪化し、お互いの「正義」を、主張しあっている。

3124. もちろん、原理的には、どれも「正義」ではない。空気も吸っても、水を呑んでも「罪」になる。

3125. 他に依らない、いのちは、成立しない。ゆえに、「いのち」が、罪を発生させる。

3126. 共生するしかない、いのちである。とりあえず、境界線を引いて、位相を変えて、宗教は、「戒」を作って、聖化する。

3127. 「人間原理」の中でしか、「正義」も「悪」も、語るしかない。いのちの宿命である。

3128. 仏教は、思考ではなく、洞察である。瑜伽=瞑想は、釈尊・空海の核となる思想である。(非想非非想天)に至れば(第四禅)意識も無意識もない、悟りの覚知の世界である。

3129. 哲学の思考世界が終わったところで仏教の涅槃(ニルヴァーナ)がはじまる。コトバのない世界では、存在がコトバそのものになる。

3130. 釈尊は、コトバなき世界を語れ、といわれて、断るが(無記)、結局、方便として、語ってしまう。で、弟子たちは、「如是我聞」と釈尊のコトバを、文字として残した。

3131. 宇宙はなぜ誕生したのか?宇宙自身を愉しむため。(哄笑)

3132. ニンゲンはなぜ誕生したのか?宇宙そのものを、見て、触って、考えて、その存在を確かめるため。(目的?)

3133. 見る者、考える者が存在しなければ、宇宙は存在しないも同然だ。(無・意味)

3134. 生きるとは?宇宙を呼吸することである。土・水・火・風・空とともに。

3135. 手が現れ、眼が現れ、脳が現れ、一切の誕生は、宇宙が必要としたためであるか?

3136. 沈黙の中にも、一番深いコトバがある。

3137. 直ぐに見えるものは、実は、危険だ。本当は、何も見ていないのも同然だから。見えないものは、もっと危険だ。実は、本当に見るべきものは、その中にこそ、あるのだから。

3138. 否定に、否定を重ね続ける人の深層には、大肯定を望むココロがある。(大欲へ)

3139. 内発するコトバが現成する時、本当の文章が顕現する。(存在の貌が見えるのだ)

3140. 書くこと(エクリチュール)は魔の行為でもある。

3141. 秘中の秘。秘密にして、隠しているのではない。現れ、出ることが、秘なのだ。

3142. 虚と実を、ひと跨ぎしてしまう、その力よ、コトバよ。

3143. 少年A(神戸の殺人者・酒鬼薔薇聖斗)からは、ドストエフスキーの『白痴』のムイシュキンが、出てきてほしかった。(15年たったら、無残な、告白者か!!)

3144. 見えないものは信じない。現実を視るという人へ。(眼の中の眼)(私)も(宇宙)も見えないもので出来ている。(現実)は、とりあえずの姿・形。

3145. 意識(ココロ)も思考も、見えぬものである。しかも、絶えず、流れて、運動している。

3146. 想いが、思考が(ビジョン)形になる。現実を作り出している。

3147. コトバに、息を吹き込んである、そんな文章には、なかなか、出会えないが。(光部美千代の晩年の俳句)

3148. ヒトは、現身で、飛び越えられぬからこそ、せめて、コトバで、跳び超える。文学には、そのダイナミズムがある。だから普遍になる。

3149. 「時間の瀑布」を感じている真昼日である。宇宙に舞う無数の光子とともに、流れる、流れる、時間が瀑布となって。

3150. ニンゲンは、(考える)という次元を三つ以上ステップすることはできない存在である。四つ目の位相に、ニンゲンが到達する時、もはや、それを、ニンゲンとは呼ばない。