Archive for ◊ 7月, 2014 ◊

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• 金曜日, 7月 18th, 2014

1. 「空海素描」(高野山大学刊) 竹内孝善著
2. 「異邦人」(新潮文庫刊) カミュー著
3. 「カミュ論」(筑摩叢書刊) モーリス・ブランショ著
4. 「反抗的人間」(新潮社刊) カミュー全集
5. 「革命か反抗か」(講談社刊) カミュー=サルトル論争
6. 「ペスト」(新潮文庫刊) カミュー著
7. 「最澄と空海」(吉川弘文館刊) 佐伯有清著
8. 「空海と密教美術」(洋泉社刊) 竹内孝善・川辺秀美共著
9. 「空海」(吉川弘文館刊) 高木訷元著
10. 「あなただけの空海」(小学館刊) 立松和平・
竹内孝善共著
11. 「空海の本」(学研刊)
竹内孝善・竹内信夫共著
12. 「井筒俊彦全集」第一巻(アラビア哲学) (慶應義塾大学出版会刊)
13. 「昭和の貌」(弦書房刊) 写真:麦島勝 文:前山光則
14. 「新約聖書」訳と注「使徒列伝」
(作品社刊) 田川建三著
15. 「
新約聖書」訳と注「ヨハネ福音書」(作品社刊) 田川建三著
16. 「未明の闘争」(講談社刊) 保坂和志著
17. 「
明治の風、子規と鴎外」(イースト株式会社刊) 壬生洋二著
18. 「名作に見る比喩表現」
(イースト株式会社刊) 壬生洋二著
19. 「流星ひとつ」(新潮社刊) 沢木耕太郎著
20. 「晩年様式集」(講談社刊) 大江健三郎著
21. 「廃炉詩篇」(思潮社刊) 和合亮一著
22. 「宇宙が始まる前には何があったのか?」(文藝春秋社刊) ローレンス・クラウス著
23. 「サバイバル宗教論」(文春部書刊) 佐藤優著
24. 「禅仏教の哲学にむけて」(ぷねうま舎刊) 井筒俊彦著(野平宗弘訳)
25. 「『生』の日ばかり」(講談社刊) 秋山駿著
26. 「<世界史>の哲学」(講談社刊) 大澤真幸著
27. 「井筒俊彦全集」第四巻(慶應義塾大学出版会刊) 井筒俊彦著
28. 「地下室の手記」(旧:地下生活者の手記)(新潮社文庫刊) ドストエフスキー著 江川卓訳
29. 「江戸版 親父の小言」(大空社刊) 解説:小泉吉永

8月の眩暈に続いて、11月に、歩行が困難となった。
眼と耳と、肩と腰の筋肉の硬直。読めない、書けない、話せない、聞けない、歩けないの五重苦が来た。
読むと、眼の中で、活字が泳ぐ。見ると、映像が動いてしまう。大きな音、声は、耳が拒否する。考えがまとまらないので、上手く話せない、従って、書けない。散歩でもと思って歩くと、電信柱が右に左に揺れる。店に入ると、足がすくんで、光が乱反射して、歩けない。
ほとんど、死んでいる。コレは、重田昇ではない。何か、別の生きものだ。

身体からココロへと、症状が転移する。ウツになる。心身症状態である。
約半年間、「読書」ができなかった。六つの病院、九人の医師に診てもらったが、原因がわからない。疲労から過労へ。老化?ストレス?身体の不具合?
結局、終日、「呼吸法」と「瞑想」を行った。ココロと身体を、呼吸で、調整した。瞑想で、苦を解き放った。マッサージから、カイロプラティックへ。

5月に入って、ようやく、(普通)の状態が戻ってきた。杖をついて、歩く毎日から解放された。
やれやれ。
知識では、ココロの病いを知っていたが、自分の心身を通じては知らなかった。あらゆる能力が低下して、機能しなくなることは、ニンゲンにとって、恐怖である。
加齢による病いには、切りがない。ガン、心臓病、糖尿病、高血圧、脳卒中。そういう年齢になったということだ。

「空海」の資料を読みはじめて、もう、三年になる。結局、実践の伴わない、修学では、「空海」は現れない、わからないと解った。

「井筒俊彦全集」の刊行が始った。母校の慶應義塾出版会から。
単行本では読めない作品が、収録されるのがうれしい。全十三巻、ゆっくりと、味わいたい。

田川建三氏による「新約聖書」訳と注も、全六巻まで刊行された、あと二巻、生涯をかけた大仕事である。作品社の健闘をたたえたい。

「昭和の貌」 九州、熊本に生き、地域の文化、人物の変貌を撮り続けた、麦島勝氏による写真集。
どの写真からも、平凡な日常の風景からも、人々の表情からも(昭和)が立ち昇ってくる。貴重な記録である。
風の匂い、人々の表情、気配、どれをとっても、「昭和」である。
なお、文=解説は、前山光則氏。若き日の、文学青年の面影を知っている、私にとっては、忘れられぬ(文学)の友である。東京から、郷里の熊本に帰って、教師をしながら、地域の文化を書いている。

「名作に見る比喩表現」
壬生洋二・詩人。昔の文学仲間である。ブログで活躍。好エッセイを書いている。

「流星ひとつ」
自死した藤圭子と沢木耕太郎の対談。昔の、眠っていた原稿が、「本」となって、出版された。私の、学生時代に、藤圭子は、その時代の色を、歌ってくれた、ココロが共鳴する唯一の歌手であった。
「圭子の夢は夜ひらく」 「新宿の女」などなど・・・。
運命、宿命というコトバを身をもって、引き受け、歌にした、歌手であった。(合掌)

「宇宙が始まる前に何があったのか?」
宇宙論は、いつまでたっても、面白い。謎のまま終るのか、終に、ニンゲンがその正体を、見究めるのか、生きても、生きても、生きても、わからない、宇宙である。

「禅仏教の哲学にむけて」
井筒俊彦は、随分と、英語で論文を発表している。本書は、その英文を、他者が日本文に翻訳した書である。
井筒俊彦の(核)が、発見できる書である。

「『生』の日ばかり」
「死ぬ前に書くということ」 この本のタイトルは、編集者がつけたものである。秋山駿か、「『生』の日ばかり」で出版してもらいたかっただろう。時節を考えた、出版社がつけたタイトルである。
約40年、秋山駿を読んできた。お手紙をいただき、電話で話をし、酒を呑み、釣をして、対談、座談会までしてもらった恩人でもある。
「秋山駿」に対して、私のホームページで連載中の『コズミックダンスを踊りながら』で「鎮魂アフォリズム50作品<内部の人間>秋山駿に捧げる」を書いた。(2951~3000) 約600ページくらいの「本」になる予定である。

「江戸版親父の小言」は、江戸時代の寺子屋の教科書「往来物」の研究者、小泉吉永が発掘し、解説している。
小泉吉永は、学生時代に、神田の古本屋で、「往来物」を手にして、その魅力にとりつかれて、膨大な「往来物」を収集し、研究を続ける学者である。
縁があって、私が経営していた出版社で、優秀な、編集者として、働いてもらった男である。現在は、会社を辞めて、研究者として、活躍している。がんばれ、小泉吉永!!

(7月16日)

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• 水曜日, 7月 16th, 2014

狂いっぱなしの
存在という太鼓を
乱打している者がいる

身体に眩暈が来た八月
精神に眩暈が来た十一月
存在自体に眩暈が来た 何月?三月十一日
超球宇宙も眩暈しているのか?永遠に

独楽(スピン)する左巻きの素粒子たちよ
ニンゲンに垂直に立てと言っても
底もなく 中心もなく
何処に起点が置けるのか
座標軸が決定できぬ

私の自然の乱調である
分裂し
まるで
二十四人の多重人格者のように
一気に
私の内部(なか)へと雪崩れ込んで来た 誰だ?何だ?

歩行は 右へ左へ?上へ下へ?前へ後ろへ?
揺れに揺れて
ここは何処だ?
今は何時だ?
一切の判断も中止 ???宙吊りである

意識はとっくに
ゼロ・ポイントに陥っている
何が出て来ても 不思議ではない 時空の
ゆらぎの中で耐えている

さて
生きる・死ぬがどんなことであったのか
もう
すっかり 消え去ってしまった
終に
五十六億七千年の時が流れたのか
弥勒菩薩よ!!

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• 水曜日, 7月 16th, 2014

ニンゲンには、おびただしいものがやってくる。
事象であれ現象であれ、毎日毎日いや毎秒毎秒やってくるものがある。放っておけば、数秒で、数時間で、数日で消えてしまうものたちが大半である。

(私)は、やってくるものが、コトバに、変換される瞬間に、ノオトに、書き記してみた。約5年間に、3000のコトバが来た。(私)自身にさえ、意味不明のコトバもある。
イメージが来たり、気配が来たり、奇妙な音信が来たり、声が来たり、映像が来たり、その形姿はさまざまである。
深層意識から、無限遠点から表層意識から(私)の中心から、来るものがある。
必ずしも(思考)のみではない。直観もあれば、五感もある。

無数のものが(私)を構成している。
(私)の中で、あらゆるものたちが、コトバとなって、現成する。(私)は、それらのコトバを、アフォリズム(箴言詩)と呼んでいる。
書いた本人も、それらのコトバを読むと、深く、考えざるを得ないものもある。
読者も、3000の、アフォリズムを読んで、共に、コトバを、生きてほしい。

芥川龍之介、萩原朔太郎、埴谷雄高、寺山修司、パスカル、カフカ等が愛用した、アフォリズムの水脈を、私は、受け継ぎたい。現代に再生させる。
未来へ、未知へ、未だ開かれざる存在たちへ、コトバを投げかけてみる。
(私)の宇宙が顕現するものと信じながら。

2014年6月 記

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• 水曜日, 7月 16th, 2014
2951. 「内部の人間」トハ、イッタイ、何者デアロウカ。
内部の意識が無限速度で廻り続けて、あたかも、普通に生きる、生のリアリティと均衡し、あるいは、超えてしまっている人間のことである。(考える)ということを考える、球体の中に棲んでしまった人種(タイプ)だ。秋山駿は、(私)とは何かと問い続けて、「内部の人間」を生きた人である。
2952. 「内部の人間」トハ、誰カ?
北村透谷、中原中也、そして、秋山駿、李珍宇(小松川女子高生殺しの少年)。ラスコールニコフ(『罪と罰』)イポリット少年(『白痴』)地下生活者の役人(『地下生活者の手記』)そして、ドストエフスキーである。
2953. 「内部の人間」とは何者か、と考え始めると、もう、あなたは、「内部の人間」の入口にいる。
2954. 「内部の人間」も、ニンゲンである限り、外部世界・世間・社会に生きねばならぬ。そこで、矛盾が発生する。内部に生きることが、唯一の、絶対の存在の意味をもってしまう「内部の人間」が、果たして、意味を見い出せない外部世界に、どうやって、棲めるのか?生き延びられるのか?
2955. 秋山駿は「内部の人間」の声を「ノート」に記した。生きるために。決して日記ではない。考える・思索ノートである。(『内部の人間』)(処女作)から(『「生」の日ばかり』)(遺作)まで、類い稀な、思想のコトバである。
2956. 石塊(イシコロ)トハ何カ。
ある日、道端に転がっている石塊を拾ってきて、机の上に置いた。どこにでも転がっている、平凡な、普通の石塊である。秋山駿と石塊の対話がはじまる。見る、眺める、触る、噛む、割る、石塊とは何か、十日、百日、千日・・・。石塊は、私とは何者かという問いと同質であり、その存在が、秋山駿の存在を、照らし出した。(私は、一個の、石塊である、と)平凡な、普通の石塊は、秋山駿の中で、(普遍)へと達してしまった。秋山青年の知的クーデターの始まりであった。
2957. 石塊、砂粒、舗石、秋山駿の心性は、無機質の、単純で単調な、簡単なものへとむかっていく。断片、破片、切れ切れの存在へ。秋山駿は、決して、ココロの病者ではない。類似している心性・感情はあるが、分裂している訳ではない。「ノート」が(私)というものを、統一している。(『砂粒の私記』)(『舗石の思想』・・・中期の傑作)
2958. 石塊の行処?
ある日、義母が家を出るというので、秋山青年は、何もあげるものがなくて、一番大事にしていた、石塊をもって走り、義母に手渡した。自分の耳を切って、貧しい女に、手渡ししたゴッホの心性に酷似している。
2959. 秋山駿は、決して、抽象的な人間ではない。実に、具体的な人間である。文学のための文学を嫌った。あくまで、具体的なモノ、ニンゲン、セイカツから、考えることを始めた。存在そのものを考えはじめると、いつのまにか、その思考が、抽象的に見えるだけだ。
2960. 秋山駿のノートのコトバに触れると読者は、火傷をする。なぜか?すべてのコトバが、実際の、生きる為のコトバである、存在自体を考え尽くすコトバだから。強度の強い文体は、必死に生きる、考える、秋山駿の生の姿に比例している。
1000日たった。拾ってきた石塊は、もはや、以前の石塊ではなかった。純粋直観で見た石塊は、石塊そのものであった。ノートのコトバで考えた、石塊の物語である。
2961. 「内部の人間」のコトバと「社会」の言葉。「何をしている?」「考えるということを考えている。」「内部の人間」のコトバである。内部的意識が、語る。存在そのものが語る。私とは何か?と考える私・・・以下同様。それでは、社会に生きてゆけない。社会の言葉は、挨拶にはじまって、約束、契約の言葉である。記号である。ふたつのコトバは交わらない。衝突するのだ。秋山駿は、内部のコトバで生きる人だから、社会の言葉は、耳で聴いて、「なるほど」と返事をして、ココロの中を素通りさせてしまう。
2962. 秋山駿の「なるほど」と「うん」と「どうも」
他人の話を聞き終ると、「なるほど」と秋山駿は言う。決して、わかったという意味ではない。君は、そう思い、考えているのか、という了解の合図である。自分の話が終ると、必ず「うん」と最後に言う。まるで、正確かどうかを、再確認するかのように。他人に、贈り物をもらった時には、「どうも、な」と言う。社会の挨拶や、紋切り型のお礼が嫌手なのだ。ものをもらうと、必ず、持ち重りがする人であった。
2963. 「犯罪」と「内部の人間」
「理由なき動機なき犯行」(殺人)と新聞やテレビで報じられた、小松川女子高生殺しの少年による事件を、社会に抗って、「内部の人間」による犯罪であると断じたのは、秋山駿である。自分と同じ心性と思考を持っている少年に、同類の匂いを嗅ぎつけたのだ。二人の道は別れる。少年(李珍宇)は、内部の意識から一歩を踏みだしてしまう。その意識の延長を、犯行という現実に、接木をした。秋山駿は、ノートという、コトバの世界を創りあげた。そして、石塊になって、社会へ出た。社会で働いた。無用の者として、生きた。「内部の人間」のコトバを、生涯、手離さなかった。
2964. 「内部の人間」には、モノやコトとの自然な「結ぼれ」がない。決して、ココロが分裂している病者ではない。(酷似しているが、まちがってはいけない)ノートのコトバと社会の言葉が離反してしまうのだ。で、(私)のノートの声を殺して、複雑な手続きをとって、はじめて外部世界と関係を結ぶ。世間へ、社会へ、会社へと出ていくのだ。
2965. ニンゲンは、いったい、何を、礎にして、生きているのだろうか?
憲法、民法、戒、道徳、常識、倫理、あるいは、60兆の細胞の声・・・。秋山駿には、(「生」の綱領)がある。一個の石塊から、敗戦の焼け跡から、自らが発見し、創造した、生活とココロの掟である。「内部の人間」が生きるための、厳粛な規則であった。(自分の土地はもたない。自分の家はもたない。自分の子供はもたない。・・・以下、生活の細部に至って、規則がある)そして、83歳の生涯において、(「生」の網領)を実践した。
2966. ほんの、ちょっとしたことが、普通にできない(行為とコトバ)。
心の風景にあるのは、石ころ、砂粒、舗石、モノの断片、切れ切れのコトバ等々。心の病者と「内部の人間」秋山駿の心性は酷似している。しかし、秋山駿は、決して、病者ではない。(私)を統一しようとする、強い意思とノートのコトバをもっているから。ヒトとモノとの”結ぼれ”を喪失している、病者と秋山駿。病者は(私)を喪失しているが、秋山駿は、「石塊としての私」をもっている。石塊が歩くのだ。その実践の形が(私)を形成し、秋山駿となる。
2967. 「石塊とは何かという物語」
秋山駿は、道端に転がっている石塊を拾ってきた。どこにでもある、平凡な、なんの特徴もない、普通の石塊。そして、机の上に置いて、考えた。
①石塊がある。②私は石塊を見る。③私は石塊を考える。④撫でる、割る、砕く、噛む・・・石塊は石塊のままだ。⑤石塊は私に語っている。(石塊のコトバで)⑥石塊が私を見る!!※10日、100日、約1000日・・・石塊との対話が続いた!!⑦私は石塊になる(純粋直観)。⑧石塊!!石塊が現成する。⑨私!!私が現成する。
(私)はノートを棄て、石塊となって会社へ、社会へと歩きはじめる。
2968. 秋山駿の、あの「内部の人間」のノートの思想(コトバ)は、いったい、何処から来たのだろう?
①耳の手術(個の発見)(宇宙の中にただ一人の私)②石塊との対話(意識の発見)③戦後の焼け跡(現実の発見)が三つの原体験である。
2969. では、コトバは、何処から起ちあがったのか?
①中也のコトバは、秋山駿にとってココロの水準器であった。②ヴァレリーのコトバは、秋山駿にとって(知)のクーデターであった。③デカルトのコトバは、秋山駿にとって最も(信)のおける方法であった。④ドストエフスキーのコトバは、秋山駿にとって、魂の交憾であった。⑤小林秀雄のコトバは、秋山駿にとって、文章で、モノを”考える人”の手本であった。⑥ランボーのコトバは、秋山駿にとって、見者の予言であった。
2970. 日本の評論の祖・小林秀雄は、自らの生の評評化を断念して、天才たちの形姿を追った。ゴッホの絵、モーツァルトの音楽、ドストエフスキーの小説等。一方、秋山駿は、自らの生をどこにでもある平凡な、普通の一個の石塊と化し、団地の生活を、世間の声を、犯罪者の物語を、「内部の人間」のノートの思想として、生涯探求し続けた。
2971. 小説ではない。哲学でもない。評論ですらない。もちろん、日記ではない。ノートの思想(コトバ)は、「生」の現場から考える、「内部の人間」秋山駿の裸の形姿である。30年、40年(文学)から遠く離れて実人生を生きてきた(私)も、どういう訳か、秋山駿のノートの思想(コトバ)だけは、読み続けてきた。信頼に足る人間の声、形姿を、自分の眼と耳で追っていたかった。
①『内部の人間』(処女作)②『歩行と貝殻』③『地下室の手記』④『内的生活』⑤『舗石の思想』(最高傑作)⑥『砂粒の私記』⑦『「生」の日ばかり』(絶筆・遺稿集)
秋山駿のコトバは、時代の水準器であった。時代の流れに、社会の変化に、世間の声に、棹を差す、石塊のコトバである。
2972. ①私は石塊を見る②石塊は私を見る③石塊は石塊を見る④私は私を見る
そして「石塊!!」が現成する。「私!!」が現成する。井筒俊彦風に言ってみると。
秋山駿の中でも、1000日の間に、禅など知らずとも、似たような、ココロとコトバの転成が生じていたにちがいない。
秋山駿が使う(普通)は、普通の人が使う普通ではない。(普通)である秋山駿の、平凡な、どこにでもある石塊は、人々が見る、平凡な、どこにでもある石塊ではない。(普通)も石塊も、約1000日の対話を経て、ふたたび、顕現したものである。(石塊!!の現成!!)
2973. (私)の中心(内部)に私がいない。他人(医師)の声が(私)の中心にいる。(私)は、声に占領されている。(私)は、ノミとツチの音に占領されている。声が、音が、(私)の内部から聴こえる。
手術台では、あらゆるものが、手のとどかぬところに、存在した。ヒトもモノも。
(私)自身が私から遠い存在になった。(私)の喪失である。
まるで、蛸のように、裏返しにされて、自分もしらない(私)の秘密を、他人に覗かれる、「恥」の感覚が誕生した。「ホラ、これが脳膜だよ」
幼年期の、耳の手術が、秋山駿の原点・「内部の人間」の心性が誕生した瞬間である。そして、「片耳の男」となった、秋山駿は、大人になっても、自分が話し終ると、必ず「うん」と言うようになった。自分の声かどうか、正しいコトバかどうか、再確認をしているふうだった。
2974. 秋山駿のノートのコトバの中に立つ。いやノートのコトバを共に歩く。どこまで歩いても終らない、コトバの歩行がある。モノやヒトの形そのものが、ゆっくりと、低く、呟く声のもとに、顕現する。単色の、存在そのものの世界が無限に続いている。途轍もないものが、秋山駿という(私)を生きている。
2975. ノートのコトバがわかるためには、ノートのコトバの外へ出なければならない。そして、ふたたび、ノートのコトバの世界へと戻らねばならない。
①私は「内部の人間」である。②私は「内部の人間」ではない。③やはり、私は「内部の人間」であった、と。
2976. 秋山駿は、存在という神との対話を稀求した人だ。ノートのコトバは唯一その為にあった。他人との対話の為のコトバではない。コトバが、至高のも のに至らなければ、ノートのコトバに意味はない。普通は普遍。普遍は普通。石塊は、秋山駿にとって、神(存在)である。あらゆるものに開かれている。
2977. 対話、対談は、いつも、真剣勝負である。火花が散る。白熱すると、秋山駿は、白眼をむくのだ。何処か遠いところを見て、自分の蔵の中 にある、自分のコトバを取り出してくる。相手にも、同じ、真剣を求める。教養や知識や他人のコトバは許さない。必ず、自らの生の現場から掬いあげた コトバでないと、容赦しない。一言に賭ける、秋山駿のコトバは、他人を殺してしまう力をもっていた。
(「お別れ会」の時、法子奥さんが、死ぬ時には、白眼をむかずに、穏やかな死に顔でしたと語ってくれた)
2978. 文芸評論家としての地歩を築くと、(文学)の仕事が増えると、「内部の人間」としての(存在)のノートのコトバが減ってい く。すると秋山駿の本来の、力が衰弱する。ピンチである。コトバを売ることに、嫌悪が生じる。更に、ノートのコトバまで、社会に放出すると、大きな、矛盾 が生じてくるのだ。(生)のリアリティが変質する。(私)のコトバが、社会で、交換される。(私)の危機である。社会化された、秋山駿!!もう一度、否、 何 度も何度も、秋山駿は、コトバの原初に帰ろうとする。石塊を発見したあの、コトバの地点に。
2979. 三島由紀夫と秋山駿
突然、三島由紀夫から電話がかかってきた。法子夫人は、新宿で酒を呑んでいる主人に、連絡をした。「三島由紀夫という、小説家から電話があった」と。
なぜか?
三島由紀夫は、秋山駿に、同志を見た。代表作『金閣寺』の放火の主人公は、「内部の人間」である。犯罪を鋭く分析する、秋山駿に、シンパシーを感じたの だ。そしてその作品に最高の評価を下した。三島由紀夫は、秋山駿のエッセイ「簡単な生活」を、海外で紹介する、(翻訳の)労をとった。後に、『太陽と鉄』 小説でもエッセイでもないこの作品を、秋山駿は、三島のコトバの核だと、後に、評論する。三島由紀夫が、割腹自殺を企った後、秋山駿は、十五年勤めたス ポーツ新聞社を辞めて、筆一本の生活に入る。生命がけで事を為す、三島の姿勢に、共鳴し、鼓舞されたのだ。
「イッタイ、君ハ、何ヲシテイル?「内部の人間」の声ヲ貫ケ—俺ノ事件ヲ考エテクレ!!」
2980. 秋山駿は、労働争議の渦中の人となった。「内部の人間」も労働しなければ食ってはいけぬ。どだい、「内部の人間」として、 「生の綱領」を守って、社会に生きること自体が、大きな矛盾であった。会社の論理とも労働組合の論理とも、折り合いがつかない、衝突する。結局、15年間 勤めた、スポーツ新聞社を退社する。「何時来るかと待っていたよ」「君の笑顔を15年間、一度も、見たことがない!!」そう言われて、会社を去った。社会 の言葉と「内部の人間」のノートのコトバが、正面衝突をした結果であった。
2981. 野に遊ぶ、川に遊ぶ。
石ころだらけの川原に立って、石塊である秋山駿が、釣竿を振る。奇妙な光景であった。誰が言いだしたのか、『歩行』(文芸同人誌)の仲間たちと秋山駿で、 埼玉の川へ釣りに出かけた。屋根裏の哲学者のように、団地の一室で、原稿書きに明け暮れる「内部の人間」を、一瞬、野に解き放ってやろうよという目的だっ た。魚が釣れた。破顔の秋山駿が水の中に立っていた。後にも先にも、こんな場面はなかっただろう。「俺も、こんな面白いこと、やっていたいよ、うん」。 (思い出)
2982. ノートのコトバには、ノートのコトバで応えて。公的な、社会に流通する言葉で、秋山駿を語っても(論じても)文芸評論家・秋山駿の半身しか捉えられない。「内部の人間」の姿は隠れてしまう。
2983. 「内部の人間」秋山駿は、独身者ではない。
①男と女。駿と法子(夫と妻)
②20代は、「ともに、大地を掘る」共同生活者であった。30代は、「大地」が消えて、ひばりが丘の団地の「空虚」が現れた。サラリーマンの生活。
③40代は、文芸評論家とブック・デザイナーの「二人三脚」・共働きであった。
④70代は、共に病んで、老いて、「同行二人」の旅人(人生)となった。(「同行二人」は、本来は四国八十八ヶ所巡礼するお遍路さんと空海のことである。)
⑤80代は、ただの石塊である、秋山駿・「内部の人間」は、石の地蔵菩薩になっていた。(芸術院会員・勲四位)
2984. 「手の力(コトバ)」と「声という力(コトバ)」
意識が、ゼロ・ポイントに達してしまうと、もう、コトバがない。法子さんの痛みは、もう五年になる。朝、昼、晩、夜中、痛みは続く。毎日毎日苦痛の真只中 にいる法子さんに、掛けるコトバがない、秋山駿。そんな時、二人が、手を重ね合わせるだけで、一時、痛みがやわらぐのだ。耐えられるのだ。「手の力(コト バ)」である。”結ぼれ”の究極の形であろう。
病院から、法子さんが自宅に電話を入れる。「駿の声が聴けて好かった。元気?」声という力(コトバ)である。響きの波の中に二人がいる。
2985. 魂が魂を呼ぶ
延命治療を拒み、点滴も鎮痛剤も拒否した秋山駿は、10月2日、死んだ。(享年83歳)その日は、奇しくも、若くして死んだ母の命日であった。(法子さん談)(「お別れの会」にて)
2986. 秋山駿のノートのコトバは、単独者の為のものである。
最晩年に、秋山駿は、二人のコトバというものを、考えてこなかった、と悔いている。病者と、弱者と、貧者と、共に考えるコトバ。お互いの、ココロの一番深いところで、魂を交感できるコトバ。誰が、そんなコトバを、発しているか?
2987. 「内部の人間」秋山駿の咎と罪とは何か?
「生の綱領」を原理、原則として生きる限り、妻には、嫁の役割り、母の役割り、女の本質の役割りを与えられぬ。「内部の人間」の生涯に、巻き込んでしまった、妻への、お詫びがある。
2988. 「内部の人間」は、結局、「内部の人間」へと帰ってくる!!
会社員も、大学講師も、文芸評論家も、社会の役割りであった。至高の、意識のリアリティがある場が、(私)を「内部の人間」へと連れ戻すのだ。少年の、ノートの声が響きわたる時空へと。
2989. 「内部の人間」秋山駿は、未曾有の東日本大震災3・11から、無数の石塊が、「内部の人間」たちが、生れ、起ちあがってく る光景を、予見したにちがいない。敗戦の、焼け跡から、ただの石塊として起ちあがった自分の姿を、3・11の、あの、荒寥たる、無機質の光景に重ねなが ら。
2990. ある時を境に、ノートのコトバの色調が変わる。法子さんの登場の頃。(考える)コトバが(魂)のコトバに、転調しはじめる。書くというよりも、何か、大きなものに、書かされている。
2991. 最後まで本当の(知)を中也のコトバに求めた秋山駿であった。「内部の人間」の声。
コトバは人を遠くまで運ぶものだ。中也のコトバは、秋山駿を、10代から83歳まで運んでくれた。
2942. 秋山駿は、開かれた人であった。誰でもが通れる門を構えていた。誰もに答えるコトバをもっていた。生きれば傷つく人間である。秋山駿は、正しく、傷から歩きはじめた。見れば、そのままの、秋山駿が立っている!!
2943. 倦まず、たゆまず、八十三歳まで(私)を探求した「内部の人間」秋山駿であった。内部のノートのコトバが外部に放たれ、内 部が外部に、歩いた外部が内部になって、さながらメビウスの輪のような存在に、コトバは達して、死んでいった。コトバは、存在へと開かれた。
2994. 内的心象は、いつのまにか、コトバという外的事象となって、勝手に自己回転して、秋山駿の手を離れていった。世間に、社会に「内部の人間」のノートのコトバが種子となって、その「子供たち」が花を咲かせるだろう。
2995. 秋山さん、今、超球宇宙の、どのあたりを歩いているのですか?誰に遠慮もなく、気兼もなく、歩行だけを楽しんでいますか?そちらでは、どんな歩き方で歩いていますか?きっと、小さな、小さな、地球という惑星の歩行とはちょっとちがうのでしょうね!!
2996. 足が不自由になった秋山駿は、杖をついていつもの公園を歩行する。もう(私)が歩いているのではない。(私)が(公園) が、木が草が、あらゆるものが、照らし出されて、在る!!秋山駿は、歩きながら、コズミック・ダンスを踊っているのだ。此岸は彼岸、彼岸は此岸。
2997. ノートのコトバが沈黙する。沈黙が増えると、ノートのコトバは魂のコトバへと変わっていった。(私が語る)が(私は語らされている)へ。
2998. 秋山駿は、普通の、平凡な、簡単な日常の中に、すべてがある、石塊の生に、普遍があると信じて、生きた人である。天才、偉人を描くのではなく、普通の人間の中に、無限があると描いた「私」哲学の人であった。(『信長』は例外)
2999. ニンゲンには、「生・老・病・死」があるから、誰でも、人生に、四度以上、悩みをかかえることになる。実際、二進も三進も いかぬ時があるものだ。(私)が、私自身の内部へとへたり込んで、一歩も進めぬ時があった。若い妻と私が、不幸に、不幸が重なって、どん底に生きている 時、 秋山駿から、一通の手紙をもらった。
『私が敬愛するデカルトという人が、「光があると思って生きれば、必ずそうなる」、信じて下さい。』と。
そのコトバを信じて、生きてみた。コトバは、力であった。
3000. 大事ナ人ガ死ンダ時ニハ、ニンゲンハ、イッタイ、何ヲスレバイイノダロウ?
釈尊は、死の直前に、愛弟子・アーナンダが、泣き、嘆き、悲しみ、取り乱している姿を見て、お前は、まだ悟っていないのか、そして、「法(経)を唱えよ、自らを灯明とせよ」と語った。同じことだろう。
秋山駿なら、自らの足で、生の現場を歩け、歩き続けろ、そして、私のノートの思想(コトバ)を読んでくれと語るだろう。
「私は歩行する!—おそれず、あなどらず、いつわらず、まどわず、自然に。」(『歩行と貝殻』
超球宇宙を歩く秋山駿の姿が見える!!
さようなら、私の秋山駿!!
【追記】
ただ、悲しい。私は、秋山駿のノートの声を読み(聴き)ながら、私の感想とお礼のコトバを書いてみた。願わくば、秋山駿の読者が、それぞれの秋山駿の姿 を、書いてもらいたいものだ。私の知らない、秋山駿を見たい。知りたい。もう一人の「内部の人間」が、その子供たちが、生きはじめているだろう。