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• 水曜日, 7月 16th, 2014
2951. 「内部の人間」トハ、イッタイ、何者デアロウカ。
内部の意識が無限速度で廻り続けて、あたかも、普通に生きる、生のリアリティと均衡し、あるいは、超えてしまっている人間のことである。(考える)ということを考える、球体の中に棲んでしまった人種(タイプ)だ。秋山駿は、(私)とは何かと問い続けて、「内部の人間」を生きた人である。
2952. 「内部の人間」トハ、誰カ?
北村透谷、中原中也、そして、秋山駿、李珍宇(小松川女子高生殺しの少年)。ラスコールニコフ(『罪と罰』)イポリット少年(『白痴』)地下生活者の役人(『地下生活者の手記』)そして、ドストエフスキーである。
2953. 「内部の人間」とは何者か、と考え始めると、もう、あなたは、「内部の人間」の入口にいる。
2954. 「内部の人間」も、ニンゲンである限り、外部世界・世間・社会に生きねばならぬ。そこで、矛盾が発生する。内部に生きることが、唯一の、絶対の存在の意味をもってしまう「内部の人間」が、果たして、意味を見い出せない外部世界に、どうやって、棲めるのか?生き延びられるのか?
2955. 秋山駿は「内部の人間」の声を「ノート」に記した。生きるために。決して日記ではない。考える・思索ノートである。(『内部の人間』)(処女作)から(『「生」の日ばかり』)(遺作)まで、類い稀な、思想のコトバである。
2956. 石塊(イシコロ)トハ何カ。
ある日、道端に転がっている石塊を拾ってきて、机の上に置いた。どこにでも転がっている、平凡な、普通の石塊である。秋山駿と石塊の対話がはじまる。見る、眺める、触る、噛む、割る、石塊とは何か、十日、百日、千日・・・。石塊は、私とは何者かという問いと同質であり、その存在が、秋山駿の存在を、照らし出した。(私は、一個の、石塊である、と)平凡な、普通の石塊は、秋山駿の中で、(普遍)へと達してしまった。秋山青年の知的クーデターの始まりであった。
2957. 石塊、砂粒、舗石、秋山駿の心性は、無機質の、単純で単調な、簡単なものへとむかっていく。断片、破片、切れ切れの存在へ。秋山駿は、決して、ココロの病者ではない。類似している心性・感情はあるが、分裂している訳ではない。「ノート」が(私)というものを、統一している。(『砂粒の私記』)(『舗石の思想』・・・中期の傑作)
2958. 石塊の行処?
ある日、義母が家を出るというので、秋山青年は、何もあげるものがなくて、一番大事にしていた、石塊をもって走り、義母に手渡した。自分の耳を切って、貧しい女に、手渡ししたゴッホの心性に酷似している。
2959. 秋山駿は、決して、抽象的な人間ではない。実に、具体的な人間である。文学のための文学を嫌った。あくまで、具体的なモノ、ニンゲン、セイカツから、考えることを始めた。存在そのものを考えはじめると、いつのまにか、その思考が、抽象的に見えるだけだ。
2960. 秋山駿のノートのコトバに触れると読者は、火傷をする。なぜか?すべてのコトバが、実際の、生きる為のコトバである、存在自体を考え尽くすコトバだから。強度の強い文体は、必死に生きる、考える、秋山駿の生の姿に比例している。
1000日たった。拾ってきた石塊は、もはや、以前の石塊ではなかった。純粋直観で見た石塊は、石塊そのものであった。ノートのコトバで考えた、石塊の物語である。
2961. 「内部の人間」のコトバと「社会」の言葉。「何をしている?」「考えるということを考えている。」「内部の人間」のコトバである。内部的意識が、語る。存在そのものが語る。私とは何か?と考える私・・・以下同様。それでは、社会に生きてゆけない。社会の言葉は、挨拶にはじまって、約束、契約の言葉である。記号である。ふたつのコトバは交わらない。衝突するのだ。秋山駿は、内部のコトバで生きる人だから、社会の言葉は、耳で聴いて、「なるほど」と返事をして、ココロの中を素通りさせてしまう。
2962. 秋山駿の「なるほど」と「うん」と「どうも」
他人の話を聞き終ると、「なるほど」と秋山駿は言う。決して、わかったという意味ではない。君は、そう思い、考えているのか、という了解の合図である。自分の話が終ると、必ず「うん」と最後に言う。まるで、正確かどうかを、再確認するかのように。他人に、贈り物をもらった時には、「どうも、な」と言う。社会の挨拶や、紋切り型のお礼が嫌手なのだ。ものをもらうと、必ず、持ち重りがする人であった。
2963. 「犯罪」と「内部の人間」
「理由なき動機なき犯行」(殺人)と新聞やテレビで報じられた、小松川女子高生殺しの少年による事件を、社会に抗って、「内部の人間」による犯罪であると断じたのは、秋山駿である。自分と同じ心性と思考を持っている少年に、同類の匂いを嗅ぎつけたのだ。二人の道は別れる。少年(李珍宇)は、内部の意識から一歩を踏みだしてしまう。その意識の延長を、犯行という現実に、接木をした。秋山駿は、ノートという、コトバの世界を創りあげた。そして、石塊になって、社会へ出た。社会で働いた。無用の者として、生きた。「内部の人間」のコトバを、生涯、手離さなかった。
2964. 「内部の人間」には、モノやコトとの自然な「結ぼれ」がない。決して、ココロが分裂している病者ではない。(酷似しているが、まちがってはいけない)ノートのコトバと社会の言葉が離反してしまうのだ。で、(私)のノートの声を殺して、複雑な手続きをとって、はじめて外部世界と関係を結ぶ。世間へ、社会へ、会社へと出ていくのだ。
2965. ニンゲンは、いったい、何を、礎にして、生きているのだろうか?
憲法、民法、戒、道徳、常識、倫理、あるいは、60兆の細胞の声・・・。秋山駿には、(「生」の綱領)がある。一個の石塊から、敗戦の焼け跡から、自らが発見し、創造した、生活とココロの掟である。「内部の人間」が生きるための、厳粛な規則であった。(自分の土地はもたない。自分の家はもたない。自分の子供はもたない。・・・以下、生活の細部に至って、規則がある)そして、83歳の生涯において、(「生」の網領)を実践した。
2966. ほんの、ちょっとしたことが、普通にできない(行為とコトバ)。
心の風景にあるのは、石ころ、砂粒、舗石、モノの断片、切れ切れのコトバ等々。心の病者と「内部の人間」秋山駿の心性は酷似している。しかし、秋山駿は、決して、病者ではない。(私)を統一しようとする、強い意思とノートのコトバをもっているから。ヒトとモノとの”結ぼれ”を喪失している、病者と秋山駿。病者は(私)を喪失しているが、秋山駿は、「石塊としての私」をもっている。石塊が歩くのだ。その実践の形が(私)を形成し、秋山駿となる。
2967. 「石塊とは何かという物語」
秋山駿は、道端に転がっている石塊を拾ってきた。どこにでもある、平凡な、なんの特徴もない、普通の石塊。そして、机の上に置いて、考えた。
①石塊がある。②私は石塊を見る。③私は石塊を考える。④撫でる、割る、砕く、噛む・・・石塊は石塊のままだ。⑤石塊は私に語っている。(石塊のコトバで)⑥石塊が私を見る!!※10日、100日、約1000日・・・石塊との対話が続いた!!⑦私は石塊になる(純粋直観)。⑧石塊!!石塊が現成する。⑨私!!私が現成する。
(私)はノートを棄て、石塊となって会社へ、社会へと歩きはじめる。
2968. 秋山駿の、あの「内部の人間」のノートの思想(コトバ)は、いったい、何処から来たのだろう?
①耳の手術(個の発見)(宇宙の中にただ一人の私)②石塊との対話(意識の発見)③戦後の焼け跡(現実の発見)が三つの原体験である。
2969. では、コトバは、何処から起ちあがったのか?
①中也のコトバは、秋山駿にとってココロの水準器であった。②ヴァレリーのコトバは、秋山駿にとって(知)のクーデターであった。③デカルトのコトバは、秋山駿にとって最も(信)のおける方法であった。④ドストエフスキーのコトバは、秋山駿にとって、魂の交憾であった。⑤小林秀雄のコトバは、秋山駿にとって、文章で、モノを”考える人”の手本であった。⑥ランボーのコトバは、秋山駿にとって、見者の予言であった。
2970. 日本の評論の祖・小林秀雄は、自らの生の評評化を断念して、天才たちの形姿を追った。ゴッホの絵、モーツァルトの音楽、ドストエフスキーの小説等。一方、秋山駿は、自らの生をどこにでもある平凡な、普通の一個の石塊と化し、団地の生活を、世間の声を、犯罪者の物語を、「内部の人間」のノートの思想として、生涯探求し続けた。
2971. 小説ではない。哲学でもない。評論ですらない。もちろん、日記ではない。ノートの思想(コトバ)は、「生」の現場から考える、「内部の人間」秋山駿の裸の形姿である。30年、40年(文学)から遠く離れて実人生を生きてきた(私)も、どういう訳か、秋山駿のノートの思想(コトバ)だけは、読み続けてきた。信頼に足る人間の声、形姿を、自分の眼と耳で追っていたかった。
①『内部の人間』(処女作)②『歩行と貝殻』③『地下室の手記』④『内的生活』⑤『舗石の思想』(最高傑作)⑥『砂粒の私記』⑦『「生」の日ばかり』(絶筆・遺稿集)
秋山駿のコトバは、時代の水準器であった。時代の流れに、社会の変化に、世間の声に、棹を差す、石塊のコトバである。
2972. ①私は石塊を見る②石塊は私を見る③石塊は石塊を見る④私は私を見る
そして「石塊!!」が現成する。「私!!」が現成する。井筒俊彦風に言ってみると。
秋山駿の中でも、1000日の間に、禅など知らずとも、似たような、ココロとコトバの転成が生じていたにちがいない。
秋山駿が使う(普通)は、普通の人が使う普通ではない。(普通)である秋山駿の、平凡な、どこにでもある石塊は、人々が見る、平凡な、どこにでもある石塊ではない。(普通)も石塊も、約1000日の対話を経て、ふたたび、顕現したものである。(石塊!!の現成!!)
2973. (私)の中心(内部)に私がいない。他人(医師)の声が(私)の中心にいる。(私)は、声に占領されている。(私)は、ノミとツチの音に占領されている。声が、音が、(私)の内部から聴こえる。
手術台では、あらゆるものが、手のとどかぬところに、存在した。ヒトもモノも。
(私)自身が私から遠い存在になった。(私)の喪失である。
まるで、蛸のように、裏返しにされて、自分もしらない(私)の秘密を、他人に覗かれる、「恥」の感覚が誕生した。「ホラ、これが脳膜だよ」
幼年期の、耳の手術が、秋山駿の原点・「内部の人間」の心性が誕生した瞬間である。そして、「片耳の男」となった、秋山駿は、大人になっても、自分が話し終ると、必ず「うん」と言うようになった。自分の声かどうか、正しいコトバかどうか、再確認をしているふうだった。
2974. 秋山駿のノートのコトバの中に立つ。いやノートのコトバを共に歩く。どこまで歩いても終らない、コトバの歩行がある。モノやヒトの形そのものが、ゆっくりと、低く、呟く声のもとに、顕現する。単色の、存在そのものの世界が無限に続いている。途轍もないものが、秋山駿という(私)を生きている。
2975. ノートのコトバがわかるためには、ノートのコトバの外へ出なければならない。そして、ふたたび、ノートのコトバの世界へと戻らねばならない。
①私は「内部の人間」である。②私は「内部の人間」ではない。③やはり、私は「内部の人間」であった、と。
2976. 秋山駿は、存在という神との対話を稀求した人だ。ノートのコトバは唯一その為にあった。他人との対話の為のコトバではない。コトバが、至高のも のに至らなければ、ノートのコトバに意味はない。普通は普遍。普遍は普通。石塊は、秋山駿にとって、神(存在)である。あらゆるものに開かれている。
2977. 対話、対談は、いつも、真剣勝負である。火花が散る。白熱すると、秋山駿は、白眼をむくのだ。何処か遠いところを見て、自分の蔵の中 にある、自分のコトバを取り出してくる。相手にも、同じ、真剣を求める。教養や知識や他人のコトバは許さない。必ず、自らの生の現場から掬いあげた コトバでないと、容赦しない。一言に賭ける、秋山駿のコトバは、他人を殺してしまう力をもっていた。
(「お別れ会」の時、法子奥さんが、死ぬ時には、白眼をむかずに、穏やかな死に顔でしたと語ってくれた)
2978. 文芸評論家としての地歩を築くと、(文学)の仕事が増えると、「内部の人間」としての(存在)のノートのコトバが減ってい く。すると秋山駿の本来の、力が衰弱する。ピンチである。コトバを売ることに、嫌悪が生じる。更に、ノートのコトバまで、社会に放出すると、大きな、矛盾 が生じてくるのだ。(生)のリアリティが変質する。(私)のコトバが、社会で、交換される。(私)の危機である。社会化された、秋山駿!!もう一度、否、 何 度も何度も、秋山駿は、コトバの原初に帰ろうとする。石塊を発見したあの、コトバの地点に。
2979. 三島由紀夫と秋山駿
突然、三島由紀夫から電話がかかってきた。法子夫人は、新宿で酒を呑んでいる主人に、連絡をした。「三島由紀夫という、小説家から電話があった」と。
なぜか?
三島由紀夫は、秋山駿に、同志を見た。代表作『金閣寺』の放火の主人公は、「内部の人間」である。犯罪を鋭く分析する、秋山駿に、シンパシーを感じたの だ。そしてその作品に最高の評価を下した。三島由紀夫は、秋山駿のエッセイ「簡単な生活」を、海外で紹介する、(翻訳の)労をとった。後に、『太陽と鉄』 小説でもエッセイでもないこの作品を、秋山駿は、三島のコトバの核だと、後に、評論する。三島由紀夫が、割腹自殺を企った後、秋山駿は、十五年勤めたス ポーツ新聞社を辞めて、筆一本の生活に入る。生命がけで事を為す、三島の姿勢に、共鳴し、鼓舞されたのだ。
「イッタイ、君ハ、何ヲシテイル?「内部の人間」の声ヲ貫ケ—俺ノ事件ヲ考エテクレ!!」
2980. 秋山駿は、労働争議の渦中の人となった。「内部の人間」も労働しなければ食ってはいけぬ。どだい、「内部の人間」として、 「生の綱領」を守って、社会に生きること自体が、大きな矛盾であった。会社の論理とも労働組合の論理とも、折り合いがつかない、衝突する。結局、15年間 勤めた、スポーツ新聞社を退社する。「何時来るかと待っていたよ」「君の笑顔を15年間、一度も、見たことがない!!」そう言われて、会社を去った。社会 の言葉と「内部の人間」のノートのコトバが、正面衝突をした結果であった。
2981. 野に遊ぶ、川に遊ぶ。
石ころだらけの川原に立って、石塊である秋山駿が、釣竿を振る。奇妙な光景であった。誰が言いだしたのか、『歩行』(文芸同人誌)の仲間たちと秋山駿で、 埼玉の川へ釣りに出かけた。屋根裏の哲学者のように、団地の一室で、原稿書きに明け暮れる「内部の人間」を、一瞬、野に解き放ってやろうよという目的だっ た。魚が釣れた。破顔の秋山駿が水の中に立っていた。後にも先にも、こんな場面はなかっただろう。「俺も、こんな面白いこと、やっていたいよ、うん」。 (思い出)
2982. ノートのコトバには、ノートのコトバで応えて。公的な、社会に流通する言葉で、秋山駿を語っても(論じても)文芸評論家・秋山駿の半身しか捉えられない。「内部の人間」の姿は隠れてしまう。
2983. 「内部の人間」秋山駿は、独身者ではない。
①男と女。駿と法子(夫と妻)
②20代は、「ともに、大地を掘る」共同生活者であった。30代は、「大地」が消えて、ひばりが丘の団地の「空虚」が現れた。サラリーマンの生活。
③40代は、文芸評論家とブック・デザイナーの「二人三脚」・共働きであった。
④70代は、共に病んで、老いて、「同行二人」の旅人(人生)となった。(「同行二人」は、本来は四国八十八ヶ所巡礼するお遍路さんと空海のことである。)
⑤80代は、ただの石塊である、秋山駿・「内部の人間」は、石の地蔵菩薩になっていた。(芸術院会員・勲四位)
2984. 「手の力(コトバ)」と「声という力(コトバ)」
意識が、ゼロ・ポイントに達してしまうと、もう、コトバがない。法子さんの痛みは、もう五年になる。朝、昼、晩、夜中、痛みは続く。毎日毎日苦痛の真只中 にいる法子さんに、掛けるコトバがない、秋山駿。そんな時、二人が、手を重ね合わせるだけで、一時、痛みがやわらぐのだ。耐えられるのだ。「手の力(コト バ)」である。”結ぼれ”の究極の形であろう。
病院から、法子さんが自宅に電話を入れる。「駿の声が聴けて好かった。元気?」声という力(コトバ)である。響きの波の中に二人がいる。
2985. 魂が魂を呼ぶ
延命治療を拒み、点滴も鎮痛剤も拒否した秋山駿は、10月2日、死んだ。(享年83歳)その日は、奇しくも、若くして死んだ母の命日であった。(法子さん談)(「お別れの会」にて)
2986. 秋山駿のノートのコトバは、単独者の為のものである。
最晩年に、秋山駿は、二人のコトバというものを、考えてこなかった、と悔いている。病者と、弱者と、貧者と、共に考えるコトバ。お互いの、ココロの一番深いところで、魂を交感できるコトバ。誰が、そんなコトバを、発しているか?
2987. 「内部の人間」秋山駿の咎と罪とは何か?
「生の綱領」を原理、原則として生きる限り、妻には、嫁の役割り、母の役割り、女の本質の役割りを与えられぬ。「内部の人間」の生涯に、巻き込んでしまった、妻への、お詫びがある。
2988. 「内部の人間」は、結局、「内部の人間」へと帰ってくる!!
会社員も、大学講師も、文芸評論家も、社会の役割りであった。至高の、意識のリアリティがある場が、(私)を「内部の人間」へと連れ戻すのだ。少年の、ノートの声が響きわたる時空へと。
2989. 「内部の人間」秋山駿は、未曾有の東日本大震災3・11から、無数の石塊が、「内部の人間」たちが、生れ、起ちあがってく る光景を、予見したにちがいない。敗戦の、焼け跡から、ただの石塊として起ちあがった自分の姿を、3・11の、あの、荒寥たる、無機質の光景に重ねなが ら。
2990. ある時を境に、ノートのコトバの色調が変わる。法子さんの登場の頃。(考える)コトバが(魂)のコトバに、転調しはじめる。書くというよりも、何か、大きなものに、書かされている。
2991. 最後まで本当の(知)を中也のコトバに求めた秋山駿であった。「内部の人間」の声。
コトバは人を遠くまで運ぶものだ。中也のコトバは、秋山駿を、10代から83歳まで運んでくれた。
2942. 秋山駿は、開かれた人であった。誰でもが通れる門を構えていた。誰もに答えるコトバをもっていた。生きれば傷つく人間である。秋山駿は、正しく、傷から歩きはじめた。見れば、そのままの、秋山駿が立っている!!
2943. 倦まず、たゆまず、八十三歳まで(私)を探求した「内部の人間」秋山駿であった。内部のノートのコトバが外部に放たれ、内 部が外部に、歩いた外部が内部になって、さながらメビウスの輪のような存在に、コトバは達して、死んでいった。コトバは、存在へと開かれた。
2994. 内的心象は、いつのまにか、コトバという外的事象となって、勝手に自己回転して、秋山駿の手を離れていった。世間に、社会に「内部の人間」のノートのコトバが種子となって、その「子供たち」が花を咲かせるだろう。
2995. 秋山さん、今、超球宇宙の、どのあたりを歩いているのですか?誰に遠慮もなく、気兼もなく、歩行だけを楽しんでいますか?そちらでは、どんな歩き方で歩いていますか?きっと、小さな、小さな、地球という惑星の歩行とはちょっとちがうのでしょうね!!
2996. 足が不自由になった秋山駿は、杖をついていつもの公園を歩行する。もう(私)が歩いているのではない。(私)が(公園) が、木が草が、あらゆるものが、照らし出されて、在る!!秋山駿は、歩きながら、コズミック・ダンスを踊っているのだ。此岸は彼岸、彼岸は此岸。
2997. ノートのコトバが沈黙する。沈黙が増えると、ノートのコトバは魂のコトバへと変わっていった。(私が語る)が(私は語らされている)へ。
2998. 秋山駿は、普通の、平凡な、簡単な日常の中に、すべてがある、石塊の生に、普遍があると信じて、生きた人である。天才、偉人を描くのではなく、普通の人間の中に、無限があると描いた「私」哲学の人であった。(『信長』は例外)
2999. ニンゲンには、「生・老・病・死」があるから、誰でも、人生に、四度以上、悩みをかかえることになる。実際、二進も三進も いかぬ時があるものだ。(私)が、私自身の内部へとへたり込んで、一歩も進めぬ時があった。若い妻と私が、不幸に、不幸が重なって、どん底に生きている 時、 秋山駿から、一通の手紙をもらった。
『私が敬愛するデカルトという人が、「光があると思って生きれば、必ずそうなる」、信じて下さい。』と。
そのコトバを信じて、生きてみた。コトバは、力であった。
3000. 大事ナ人ガ死ンダ時ニハ、ニンゲンハ、イッタイ、何ヲスレバイイノダロウ?
釈尊は、死の直前に、愛弟子・アーナンダが、泣き、嘆き、悲しみ、取り乱している姿を見て、お前は、まだ悟っていないのか、そして、「法(経)を唱えよ、自らを灯明とせよ」と語った。同じことだろう。
秋山駿なら、自らの足で、生の現場を歩け、歩き続けろ、そして、私のノートの思想(コトバ)を読んでくれと語るだろう。
「私は歩行する!—おそれず、あなどらず、いつわらず、まどわず、自然に。」(『歩行と貝殻』
超球宇宙を歩く秋山駿の姿が見える!!
さようなら、私の秋山駿!!
【追記】
ただ、悲しい。私は、秋山駿のノートの声を読み(聴き)ながら、私の感想とお礼のコトバを書いてみた。願わくば、秋山駿の読者が、それぞれの秋山駿の姿 を、書いてもらいたいものだ。私の知らない、秋山駿を見たい。知りたい。もう一人の「内部の人間」が、その子供たちが、生きはじめているだろう。
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