Archive for 5月 18th, 2010

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• 火曜日, 5月 18th, 2010

1. 「ピストルズ」(講談社刊) 阿部和重著
2. 随筆集「一私小説書きの弁」(講談社刊) 西村賢太著
3. 「続審問」(岩波文庫刊) J.L.ボルヘス著
4. 「創造者」(岩波文庫刊) J.L.ボルヘス著
5. 「ヘレン・ケラーまたは荒川修作」(新書館刊) マドリン・ギンズ 荒川修作 共著 定価4,800円
6. 「どうで死ぬ身の一踊り」(講談社文庫刊) 西村賢太著
7. 「マラルメ全集」(全5巻)第1巻「詩・イジチュール」(筑摩書房刊) 訳:松室三郎・阿部良雄・菅野昭正・清水徹・渡辺守章 定価 19,000円

※21年の歳月をかけて、「マラルメ全集」全5巻が完結した。5人の翻訳者の方々にとっては、半生を費した仕事だろう。(訳者の一人、松室三郎氏は故人となっている)

なぜ、21年という長い、長い、歳月がかかったのだろうか?
①マラルメの作品は、実に難解である。(本当に、日本語として訳し得るのか?)
②没後、100年を過ぎて、次々に新しい資料が出て来た。

ちなみに、私が、第1回配本を購入したのは、1989年3月(東京の、八重洲ブックセンター)である。
「ディヴァガシオン他」(単価9,500円) 本文544ページ、別冊・解題・注解334ページ。
銀色の函に入っていた。帯文には「世界は一冊の書物へと到るためにつくられているのです」というステファヌ・マラルメの言葉が刻まれている。

出版社にとっても、息の長い、忍耐のいる、大きな、大きな事業であっただろう。

現在、小説(純文学)が売れない。詩は、もっと売れない。数十、数百冊単位だと云う。しかし、小説を書く人も、詩を書く人も、大勢いる。インターネットで、自由に、詩を書いて、発表している。

せめて、現代詩を書く人たちには、先人たちの詩を読んでもらいたい。
不出生のマラルメの詩に、一度でも触れる機会があれば、その人の詩作は、まったく、ちがったものになるだろう。

存在について、人間について、言語について、これほど、深く考えて、実践した詩人は、他にない。
現在でも、マラルメに匹敵する詩を書ける詩人はいない。(吉増剛造?)
難解なものに挑まない(知性)は、(知)ですらない。最高の詩、マラルメの「絶対言語」、それは、ニンゲンが作り出した、もうひとつの宇宙である。

21年間、待って、「マラルメ全集Ⅰ」を入手した。
感動は、実に深い。だから、読書はやめられない。
出版社・訳者の方々に、一読者として、お礼を言いたい。感謝である。

※ボルヘス再読。実に、切れ味が良い。ボルヘスの博覧強記に触れると、どういう訳か、いつも、日本の天才・南方熊楠を思い出してしまう。

※天才・奇才の荒川修作の「ヘレン・ケラーまたは荒川修作」も、実に楽しみな一冊である。

まだまだ、ニンゲンは、すてたものではない。思考は、活火山のように、爆発をしている。問題は、それを、読者が、共有する努力を惜しまないことだ。時間が足りない。

マラルメやボルヘスの作品に触れると、どうしても、現代の日本の作家たちの作品が、色褪せてみえてしまう。
作者たちは、青くなって、必死に、思考し、文章を紡がねば、いつまでたっても、衰弱する文章しかひねり出せまい。

文学は、科学のようには、進化をしないものだ。思考の密度、文章の格がちがうのだ。
日本の作家で、対抗できるのは、おそらく、零記号のような文体をもつ古井由吉くらいだろうか?古井由吉は、そこに、石が存在するように、文章を存在させる域に達している唯一の人・作家である。