如是我聞
(私)は太鼓の音(オト)を耳で聞いた と
無限遠点から
深層意識から
アーラヤ識から
細胞の遺伝子から
神社・仏閣から
祭りの路上から
3・11の東北から
今日も太鼓の音が流れている
空振りの一日も
足の裏がヒリヒリする一日も
不条理の棒を呑み込んだ一日も
太鼓の音さえ聞こえていれば
独りでも夜まで歩いていける
耳を立てて
如是我聞
(私)は太鼓の音(コトバ)を腸管で聞いた と
脳が聞く 耳が聞く 意識(ココロ)が聞く 太鼓の音(コトバ)よりも
腸管が聞く 太鼓の音(コトバ)が 深く やさしい 21世紀の脳の知が破綻した今 生命の原初から生きている腸管をこそ 信ずるべきだ
モノを包む 他者 (他物) を (私) に変換する腸管の力が光っている ココロまで生んでしまった腸管のパワーだ 腸管を開いて
如是我聞
(私)は太鼓の音(パルス)を手で聞いた と
(私) が無限に手を振ると
100億光年の彼方では
ひとつの銀河が大爆発をする
(宇宙的ハンド・パワー効果だ)
なんの不思議があるものか
東京で一匹の蝶が羽搏くと
ニューヨークでは大風が吹く
(地球的バタフライ効果だ)
手は いつまでも 振り続ける
歩いて 踊って 跳んで 一日が終わる
今日も 地球の 宇宙の太鼓の音(オト※コトバ・パルス)が
十一次元の時空に流れていた
壁はどこまでも進化する。
「私は壁である」とニンゲン・私が言ったら「壁は私である」と壁が応えた。
壁の来歴ステップ1(少女M)
夏の日盛りに、隣りの席に坐っていた、可愛い女の子が、突然、死んだ。たった七歳だった。理由はわからない。何処へ行ったのか知る術もない。探すにも空席があるばかりだ。
コトバが出ない。足が動かない。ココロが叩き割られた。で、登校拒否になった。透明な壁を見た。ニンゲンには途轍もないことが起こってしまう。
壁の来歴ステップ2(朋輩K)
桜の花が風に揺れる時節に、中学校に入学した。隣の町から、土佐のイゴッソが越境入学をしてきた。
阿波の気質は温厚で、コトバはやわらかい。土佐の気質は豪放で、コトバは直截である。ある日、Kが言い放った。
「おんしの笑顔は、何か隠しとる、嘘言ったらあかんぜよ、朋輩になれん」
血の流れが止まった。笑顔が痙攣でひきつった。Kのコトバは、針だった。針を呑むと、イゴッソKとは、生涯の朋輩となった。コトバの壁が崩れた。
壁の来歴ステップ3(友人S)
高校生の時、Sの家を訪ねた。
家の西側に大きな石の壁があった。苔の生えた周辺に時間が刻まれていた。石の壁の中心だけが、何かで掃き清めたように光っていた。
Sは、軟式野球のボールをもっていきて、石の壁にむかって投げはじめた。野球の練習かと聴いたら、いいや、ちがうと答えた。理由を訊いたら、祖父、父、そして、自分と、三代にわたる”仕事”だと言う。石の壁に、ボールを投げるのが、なぜ、”仕事”だと、たびたび問いつめた。
祖父も父もSも、毎日、朝夕、ボールを投げ続けている。千回、万回、億回、兆回投げ続けると、いつか、必ず、ボールは、石の、向こう側へ突き抜ける時がある、その証明の為に、家族は、石の壁にむかっていると、Sは言った。君は、信じるかい?
いかにも、ニンゲンらしい行為である。伝統ある”仕事”を、Sは、生涯続けるだろう。
”不合理ゆえに我信ず”ではない。理論としては、正しすぎるくらい正しいのだ。
壁の、千のステップは、いつまでも、どこまでも続いている。ニンゲンが、眼耳鼻舌身意に頼って生きる限りは。
(平成27年2月16日)
イッタイ 何人ノ人間ガ宇宙樹(コズミック・ツリー)ヲ視タカ?
花を見る
花が見る
幻花を見る
幻花が見る
現(うつつ)も夢(ゆめ)も ひとつの事象(コト)である
視よ 花が現成(げんじょう)している
視るも
聴くも
歩くも ひとつの行為(コト)である
決して 別のものではない
根はひとつである
色は音に
音は色に
色も音も歩いている
モノにも
ココロにも
宇宙にも
コトバを 正しく 置く
すべての時空に
存在にも 非在にも
コトバは開かれている
その時
自心の源底に至った時
存在はコトバである※
コトバが存在ではない
視ヨ 宇宙樹(コズミック・ツリー)ガ ソノママ
現成シテイルデハナイカ!!
※井筒俊彦のコトバ。『読むと書く』より。
狂いっぱなしの
存在という太鼓を
乱打している者がいる
身体に眩暈が来た八月
精神に眩暈が来た十一月
存在自体に眩暈が来た 何月?三月十一日
超球宇宙も眩暈しているのか?永遠に
独楽(スピン)する左巻きの素粒子たちよ
ニンゲンに垂直に立てと言っても
底もなく 中心もなく
何処に起点が置けるのか
座標軸が決定できぬ
私の自然の乱調である
分裂し
まるで
二十四人の多重人格者のように
一気に
私の内部(なか)へと雪崩れ込んで来た 誰だ?何だ?
歩行は 右へ左へ?上へ下へ?前へ後ろへ?
揺れに揺れて
ここは何処だ?
今は何時だ?
一切の判断も中止 ???宙吊りである
意識はとっくに
ゼロ・ポイントに陥っている
何が出て来ても 不思議ではない 時空の
ゆらぎの中で耐えている
さて
生きる・死ぬがどんなことであったのか
もう
すっかり 消え去ってしまった
終に
五十六億七千年の時が流れたのか
弥勒菩薩よ!!
夢を見るのはニンゲンだけであろうか?
夢を生きるのもニンゲンだけであろうか?
夢がたり 正夢 逆夢 白昼夢 夢占い 夢魔 夢じら
せ 夢合せ そして 夢枕
昔から ヒトは 夢を語ってきた
樹上に坐禅をした 鎌倉時代の 明恵上人は 一生涯
見た夢を綴り続けた 「夢記」
平成の詩人 一色真里は 「夢千一夜」 を記した もち
ろん 夢を科学して 無意識やリビドーを発見したのは
フロイドである 「夢判断」
他人から 見た夢の話を聴く 誰でもが 普通に経験す
る ありふれた話である ところが 他人の夢に 自分
が現れた 夢の話となると 少し 話がちがってくる
まして 夢枕に立ったと言われると、もっと奇妙なこと
になる
もう20年も昔のことである 五月の ある日の 早朝に
聞き覚えのない 女性の声で 電話がかかってきた 昨
夜 Nが死にました 何? なぜ? 肺ガンでした 死
ぬ少し前に あなたが 主人の夢枕に立ちました さよ
うならの挨拶に来てくれたと大変 喜んでいました 死
んだら お礼の電話を入れるようにと Nの遺言でした
返事に窮して お悔みを言ってみたが 父母でもなく
兄弟でもなく なぜ 友人の私であったのだろうと 長
い間 私の心に棲みついている声であった 昔から 夢
枕に立つのは 神 仏と相場が決まっているのに
Nはラグビーのボールを追っていた
私は ブラスバンドの指揮棒を振っていた
田舎の高校の同級生であった 無二の親友というのでも
なかった 東京の大学生の時二年間 同じ下宿にいた
その後も 街角で 街頭で 駅の改札口で 妙な出合い
かたをした 偶然というには 余りにも 変な縁であっ
た 最後に会ったのも 路上であった 俺 肺にカビが
生えているらしい 真黒な顔で 淋し気で 消え入るほ
どの声だった
昨夜 私の夢にNが顕れた どうだい? そちらこそ
どうだい? 夢も現も融け合って あらゆる境目が揺れ
時空もゆらぎはじめた齢になった あの時 君の夢枕に
立ったのは確かに私だとNに告げた
生きている存在だけが生きているのではない 死者も
また 生きている
深夜の 闇の中での 眼の訓練(レッスン)は もう 日々の儀式とな
った 時計が十二時を廻ると闇の底の 部屋のベッドに 横
たわって ゆっくりと眼を閉じて 呼吸を整え モノとコト
を消し 身体を消し コトバを消して 瞑想し 宇宙で一番
深い闇の底で あるモノを見る 眼の練習を開始する 宇宙
に浮遊して
眼があるだけではモノは見えない 赤ん坊は 生れると
毎日 モノを見るために 眼の使い方の練習(レッスン)をする 眼を開
けているだけでもモノは見えない 生まれつきの盲人が ある
日突然 眼の機能が回復しても モノは見えない 白い幕が
見えるだけだ 風景や顔を見るためには 眼の使い方の訓練(レッスン)
が必要だ
眼を閉じていても モノは見える 夢がある 記憶がある
幻がある 白昼夢がある 頭を強打した時には 瞼の裏に
光の火花が散る 指で両眼の眼窩を強く押し続けると 光
の洪水が見える 金色の光の海である
三ヶ月間 深夜の儀式を続けた ある日 突然 闇の中に
丸く白い暈(アロー)が顕現した 閉じた右眼の前方に 二 三セン
チの 十円玉ほどの柔らかい光の暈(アロー)が示現した 微かな 瞼
と眼球の動きで 消えたり 現れたりを繰り返した 闇の中
の華であった
半年が経った ある日 突然 光の形象が来た 眺めてい
ると 八種類の光の形象だった 全宇宙の モノの形は 基
本型が八つである 宇宙の原理だ 夥しい光の祭典だった
一年が経った いつもの 閉じた眼の前方に現れる 白く
丸く柔らかい光の暈が 突然破れた 開いた 見知らぬニン
ゲンの顔が現れた 顔は 数秒毎に 次から次へと入れ変わ
って 十人 百人 千人と増え 一向に止むことがない い
ったい何が起こってるのか 瞬間 身体の機能が壊れてし
まったかと一抹の不安が横切った 無数の顔は 何処から来
るのか 宇宙の無限遠点から 瞬間移動をしてくるのか あ
るいは ココロの 無・意識の アーラヤ識の 種子たちが
顔となって薫習(くんじゅ)してくるのか わからない 結局 無数の
顔の出現に畏怖を感じて 眼を開いた 眼の前には いつも
の 平凡な 部屋の闇があった
求めているのは 幻身である 誰も見たことがない その
手法もわからない 今日も 眼を閉じて 宇宙で一番深い闇
の底に 幻身を見る儀式は続いている
(注)「幻身」(チベット密教-ゲルク派・ツォンカパの幻身理論。
意識の上だけではなく、体外離脱をして、マンダラとともに、本当
の本尊の身体を出現させること) 絶対に、真似しないで下さい。
「がんばれ、日本、がんばれ日本」
???
TVで連日放送されたコマーシャルである
サッカーの応援ではない
3-11の、東北へのメッセージである
ちがう、ちがう、ソレはちがう
瞬間、心痛が走った 耳が拒絶をした
不愉快、不快、怒りが来た
ウツ病患者に、がんばれと言うか? 言うまい
アウシュヴィツの、ホロコーストの、死者たちに、被害者たちに、がんばれ、ユダヤ人と言うか? 言うまい
ヒロシマの、ナガサキの、死者たちに、被爆者たちに、がんばれ、ヒロシマ、がんばれナガサキと言うか? 言うまい
3-11の死者たちに、被災者たちに、がんばれ、日本、がんばれ、東北と言うな!!
声は言霊である。
コトバは、記号でも、道具でもない
明呪であり、殺呪である
死者は二度死ぬ
生きられる人をも殺してしまう
ただちに人体に影響はありません(政治家)
二重、三重にガードされているので、メルトダウンはありません(科学者)
小さな魚だけで、大きな魚は汚染されません、大丈夫です、汚染水は、流されて、薄められて、拡散されます(生物学者)
コトバは兇器だ、いや、乱れたコトバは、信を崩し、安心を奪い、国を滅亡させる
コトに、モノに、コトバを正しくあてがえと孔子は言った。
今、21世紀の「正名論」が希求される。
※「正名論」 孔子は、弟子の子路に「先生、国の秩序の乱れを正すためには、どうすればいいのでしょうか」と問われて「コトバを正しく使うことだ」と答えた。
夢を見たのではない。幻を視たのでもない。縁側に蹲って、夜の闇に眼を泳がせている時、不意に、一人の男の姿が見えた。あるいは、私の脳裡に浮かんだものが、闇の中に投影されたのかも知れない。とにかく、大地に立っている一人の大男を視たのだ。兵隊のように大地に直立し、大きく開いた両足は、地面の砂利に突き刺さっていて、両手は、天に向かって伸び、眼を見開き、鮭のように開いた大きな口から、真っ赤な、長い長い舌を出していた。父だった。
今しがた、四国の弟から電話があった。平成21年1月2日、夜、10時47分、父が死にました。そうか、と静かに電話を切って、独りになりたくて、縁側に出た。
共感覚とでも言うのだろうか?弟の声に呼応するかのように、父の画像(イメージ)が発生した。私自身は、ちっとも不思議がることもなく、自然に、父の画像を受け入れた。父の大きく開けた口からは、真っ赤な、長い、長い舌が伸びてきて、私に迫ってくるのだ。何か、大切なことを、必死で、訴えているらしい。舌は、波のように揺れて、どんどん、どんどんと伸びてくる、まるで、一匹の生きものだ。その舌の上には、無数の文字が刻まれている。時空も揺れていた。距離も、時間も、ゆがんでいて、一切が、不定であった。
名状しがたい、その経験は、私にとっては、実に、自然であるのだが、おそらく、詩にも、小説にもならない。不思議を、そのまま語れば、文章にもならぬ。私は、夜の、冬空のもとで、ふるえながら、いつまでも、消えない父の画像を眺めていた。いったい何を伝えたいのか。
翌朝、電車に乗り、新幹線に乗り、バスに乗り、父のもと(?)へ帰郷する間も、眼を閉じれば、父の画像が来て、真っ赤な、長い長い舌が、活き活きと蠢めき、私に迫ってきた。もう、一年にもなるが、一周忌の法事が終っても、その姿は、現れた時のままで、私に、舌に書かれた文字を読み解くように、要求している。
身体や形質は、遺伝する。声で伝える思想もある。しかし、このような形での伝え方を、何と呼べばいいのだろうか?
父の、もうひとつの遺伝子が、最期の挨拶でも送っているのだろうか。私は知らない。私の、父への、唯一の返礼は、真っ赤な、長い長い舌に書かれた文字を、いつの日か、読み解くことである。
平成22年(3月4日)記
木は立っている。
蛇は這っている。
魚は泳いでいる。
鳥は飛んでいる。
人間は歩いている。
石はそこに在る。
風が立ち
水が流れ
火が燃えあがり
土がある
ものが動き
ことが起こり
エネルギーの
交換がある。
「世界」という
事象はたった
それだけだ。
超球は廻り続け
時間が生起する宇宙(コスモス)だ。
昨日は牛を食った
今日は魚を食った
明日は鳥でも食べようか
ヒトはいつでも食っているから
豚肉はいけない
鯨肉もいけない
もちろん酒などとんでもない
麦もいけない
キノコもいけない
当然 血もだめである
最後まで歩をすすめてみると
水もいけない
空気もいけないとなる
恋人と交接した 人妻と交接した 姉と交接した 犬とも交接してみた 見えない
途轍もないものとも交接してみたが
小遣いをもらった
給料をもらった
配当ももらった
みかじめ料(・・・・・ )も受け取った
賄賂(わいろ)も当然もらった
遺産ももらった
他人の懐から財布までも
盗(もら)ってしまった
もう何ももらいたくない 一切不要だ
藁葺(わらぶき)の小屋に棲んでいた
下宿に棲んだ アパートにも
社宅へと引越をした
家を建てた
青テントに棲んだ
終には 墓に棲むことになった
御襁褓(おむつ)をはいていた
パンツもはいた
学生服を着た
背広に着替えた
カシミアのコートも手に入れた
最後の服は
経帷子(きょうかたびら)だった
村を歩いた(神社とお寺があった
町まで歩いた(学校がある)
都市へと歩いた(会社である)
空まで歩いた(宇宙の縁か?)
夢の中でも歩いてみた(私に酷似しているがまったく別の生きものを発見)
結局 いつまでも
私という不思議(・・・・・・・)を歩いているがそこは永久に迷宮だ( )
燐寸(マッチ)をすって焚火(たきび)をした
ローソクに火を点けた
裸電球の紐をひいた
火薬の、発火のスイッチを押した
原子爆弾を落として破裂させた
灰になるまで、私を 火で焼いてみた
見ていたのは いったい 誰だろう?
夜空には 百億 百兆の太陽が 星として煌めいているのに ひとつの銀河の
たったひとつの太陽の周りを廻りながら 緑色に輝く小さな惑星の方法(・・・・・)で飽きもせずに歩いている者がいる