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• 土曜日, 7月 04th, 2009

「人間は、いつまでたっても、私という不思議を生きている、ひとつの現象だ。人の心はもっと不思議で、どのようにして作られ、どのようにして変容していくのか、自分自身でもわからない。」
著者は、私淑する秋山駿の著書への書評の冒頭にそう書き記している。本書には、紀行文やエッセイ、対談、講演、詩、小説などが詰め込まれていて、作者の姿のさまざまな側面を知ることができる。

ヘルスアップ事業を支えて全国津々浦々をたずね、車に依存している地方の老人達との交流や、母校での講演の記録などを読むと、作者が自ら足を運んで、じかに触れ合うことで、生きることの意味を、社会に対して、また作者自身に対して問い直すかのようだ。問いを投げかける根っこには強い信念がある。

形面上的な詩の言葉に、たとえば実験室のような閉じた空間で無心に精錬された言葉がありうるとしたら、本書を紡いでゆく言葉はその対極にある。作者という社会的な現象を、その、歩いて、笑って、考えたことがそのまま、粉飾されることなく、言葉になっている。

健康予防の側面から、機能としての生命をとらえる方法と、冒頭に引用したような心のありように踏み込んでゆく方法とを綯い交ぜて、現代を生きることの意味を探ろうとする。

大いに歩き、大いに笑うことを、どこかに置き忘れて生きてはしないか、と本書を読んで私は思った。歩いて考えてみよう、歩くことが生きることでありうるのだから。

 「詩と思想」(7月号)

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