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• 火曜日, 11月 04th, 2008

海に雪が降っていた。

祭りの興奮が醒めたあとの、淋しさに似た気分を引きずったまま、猿払村を後にして、車で南へ、南へと下った。

北の日暮れは早くて、もう、外には薄闇がおりていて、車のライトに白い雪が浮かびあがる。透明な時間が、海に降る雪の中に流れていた。

長い間、都市で生活していると、時間は時計の中にあり、あるいは、壁に刻まれた線か傷のように思えて、息が苦しくなる。時々は、その感覚から解き放たれたい。嘔吐がするほど激しくなると、心の状態が、とても、悪化していると感じてしまうのだ。

今、北の海に降る雪を眺めていると、車の外にある風景に、透明な、形もない、原始の時間がぴったりと吸いついて、流れていくのがわかる。

都市では、日頃味わえない感覚が、内臓の内側からこみあげてきて、私を浄化するのだ。

何か得体の知れぬ大きなものが、途轍もないスピードで、私の身体を吹きぬけている。

風という時間。これが(北)の放出する時間なのだ。不思議な感覚だ。私はなぜか厳しい寒さを忘れて、少し幸福な気分になって、海に降り続ける雪に流れる(原始の時間)を、感じ続けた。

「ぼくたちの仕事は地の塩だね!!」

「地の塩ってどういうこと?」

「ほら、動物が地面を舌でなめてるだろう。あれさ、身体に必要な塩が地面の土に入っているんだよ。」

「ひとり、ふたり、元気な人が増えて、その輪がゆっくりとひろがっていく。」

「時間のかかる、根気のいる、仕事だね」

講師の小柳先生、大和産業の上原部長、若い営業マン、4人の乗った車は、激しい雪の降る道を、旭川市へ、南へと走り続けた。

北の冬の生活の話を、ぽつりぽつりと語ってくれる。眼で11月の雪を見ながら、耳で聞いた生活を想像する。旅と生活が合体する。

“音威子府”村で、私はひとり、車から下ろされた。特急が止まる駅だ。旭川へは、まだ、車で相当な時間がかかる。札幌へは特急に乗った方が便利だという理由だった。稚内へ向かう時、雪の中に見た駅名だから、妙に心の中に残っていた。まさかその駅に降りて、そこから特急に乗るとは、おかしな話だ。縁があるとしか思えない。

しかし困ったことに、無人駅で売店もなく、特急が来るまで1時間もある。空腹である。寒い。私は靴がすっぽりと入るほどに積もった雪の中を歩いて、店を探しはじめた。街を歩く人もいない。車もほとんど走らない。外灯と雪の明かりを頼りに、とにかく、店の灯りを求めて歩き続ける。

幸い、灯の点いた店が一軒、雪の中にあった。

女主人が、まるで幽霊でも来たのか、というふうな眼で私を見た。頭も、眼鏡も、コートも、靴も、雪だらけの姿だった。焼き肉屋さんだった。

日本酒、熱燗を一本、冷えた身体に流し込むと、五臓六腑に沁みわたった。北の人は親切で、情が深いのか、とにかく手づくりの酒のツマミになるものを、何品か出してくれた。どこから来たのか、何をしに来たのかと、旅人に訊くべきことを一通りきかれたので、私も冬は大変ですねと、どんな生活を送っているのかとたずねたりした。

「住めば都でね。何もなくてもね。2月にはね、全国のクロスカントリーの大会があってね、たくさん来てくれるよ。雪がいいんだね」

特急の時間が来たので、お金を支払って、その安さに驚き、札幌は遠いよと、ミカンと漬け物を手渡してくれたのには、二度驚いた。まるで、四国のお遍路さんに対する“お接待”と同じだった。

北の心に触れた一瞬だった。

旅のはるばると来たという感慨に、心がいっぱいになった。長い長い冬の夜、列車の旅は、あれやこれやの日々の苦労から解き放たれて、ひたすら、浮遊する思いをたぐり寄せては、旅愁の深い思いにひたりつづけた。

札幌のホテル着、11時。泥のように眠った。私が到り着いた一番の北の村、猿払村への旅は、もうすぐ終わる。

明日、眼が覚めれば、また大都市・東京での生活が待っているはずだ。いつか、また今度は、春か夏の猿払村を訪ねてみたいと、花々の咲く北の村を夢見ながら、眠り続けた。

Category: 北海道, 紀行文
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