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• 水曜日, 7月 08th, 2009

一寸先は闇の人生である。誰もが、昨日の延長で今日を生きており、今日が明日につながる、それが普通の生だと考えて生きている。明日、死ぬ、それほどの覚悟で、今日を生きている人は少ないだろうし、突然の不幸が自分に襲いかかると予想して生きている人もいないだろう。人は、いつも、(今・ここ)を生きている。

「免疫の意味論」は、知のパワー全開の多田富雄の本であり、十年に一度、出会えるかどうかという、見事なものだった。胸腺の研究を中心に、生命は超スーパーシステムだと論じた、医学者として、ノーベル賞ものの内容であった。

ところが、地方都市での講演の最中に、突然倒れて、言葉と手足の自由をうしない、描いていた人生からは、まったく別の世界の人となる。順風満帆の、華麗な人生が、一転して、地獄になる。

本書は、<知>で書いた「免疫の意味論」とは対極にある<全身>から呻き声を絞り出すようにとにして書かれた<人間>の本である。

呟きが、そのまま声となって、読者の心をうつのだ。決して、知識で武装した文体ではないが、ぷつぷつ切れて、折れて、停って、どもって、心に泌みわたる文章で、感動を呼ぶ。

詩を書き、新能楽を書き、論文を書き、エッセイを書き、数々の賞を受賞して、輝やきの頂点にあった著者が頭から真っ逆さまに地面に衝突して、もだえ、あがき、希望をなくし、死を思う床から、あたらしい(巨人)として、歩き出そうとする姿は、人に勇気とエネルギーを送ってくれる。「歩くというのは人間の条件なのだ」と多田富雄は、電動車椅子を拒む。新しい生命を生きるために、苦業のリハビリに挑み続ける。正に魂の書である。

Category: 書評
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