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• 火曜日, 12月 17th, 2019
3401. 蟻が大河を渡っている。蟻が山を引いている。ニンゲンが銀河をめぐっている。ニンゲンが他の宇宙へと翔んでいる。

3402. (私)の呼吸を、宇宙の呼吸に合わせること。そのチューニングが一日の(私)の仕事である。

3403. コトバで書けると思っている作家たち(可能性の作家)コトバでは書けぬと思って書いている作家たち(不可能性の作家)

3404. 「石」に魂を奪われた人たち。宮沢賢治、秋山駿、石牟礼道子、吉増剛造、「石族」である。共通点は「無私」。(私)も「石」へ。

3405. 「無関係」は21世紀にはない。一切が結ぼれの中にある。

3406. いつのまにか、眼ではない、コトバで、モノを見ている。コトバに染められて。

3407. (悩み)のないニンゲンなどいない。だから(家)にも、必ず、ひとつ、ふたつの(悩み)が発生する。

3408. 幸せは長続きしない。不幸はいつまでも(傷)となって残るのに。

3409. 歩いて、大きな楠の下で放心して、瞑想して、そぞろ歩きをして、帰ってくる毎日。釈尊は菩提樹を仰ぎ見て、瞑想して、そぞろ歩きをした。気がつくと、(私)も自然に、釈尊の真似をしていた。なんだか、おかしい。
(そぞろ歩き→仏教では<経行>)

3410. アフォリズムは「存在の」のっぺらぼうを赦さない。

3411. ニンゲンの最後の仕事は、あらゆるものに、名前を付けることである。山に、川に、草に、木に、魚に、鳥に、昆虫に、石に、感情に。思考に。2000億個の銀河に。2000億✕2000億個の太陽=恒星たちに。恒星を廻る惑星たちに。

3412. 名前がすべてである。宇宙は名前であり、コトバである。

3413. 文字にも、声にも、どこまでも深める道がある。コトバの道は無限だから。

3414. 見る。(私)の眼で見る。意識の眼で見る。(無)から来たものも。

3415. 見るものを、すべて、コトバに変えるレッスンをしていた時期がある。

3416. ニンゲンから(名前)を抜き取って、匿名にする、単なる数にする。そして、残された、最後の、自由の(内面)さえも、ココロや意識を染め変えて、ニンゲンの尊厳を消し去ってしまう。そんな、暗い時代が到来する予兆が(AI)にはある。

3417. 正しい判断を下して、正しい基準を作って、正しい行動を決める。ニンゲンが行うのではなく(誤ちを犯すから)すべて間違うことのないAIが命令する。そして、その速度、正確さに負けてしまったニンゲンは、ただ、従うだけとなる。いったい、誰が?何が?生きているのか?

3418. ニンゲンは、何かに、迷い、悩み、苦戦して多くの誤ちを失敗の経験からなんとか、より良い(今)を、工夫し、選択して、生きている。
AIには、失敗も誤ちもない。膨大なニンゲンが与えたデーターの中から(正しい解)を選び出す。そのうちに(AI)は、自由に(考える)力をも兼ね備え、新しい(存在者)・(生きもの)となるだろう。

3419. 社会に生きている(私)、仕事をしている(私)よりも、生命記憶としての(私)は、深く、深く(私)を生きている。社会的な(私)などが知る由もない生命記憶としての(私)。

3420. 意識に浮びあがる日常の(私)よりも、40兆の生命記憶である(私)は、深淵をたたえている。

3421. その深みへと、意識を離れて降下していくと、(私)は、宇宙と同じくらいの、(不思議)として、横たわっている。

3422. さて、その深みへと降下するためには、歩き続ける、瞑想する、呼吸になるなどの、単純だが生命記憶を揺さぶって、あらゆるものの根源に達する方法がベストである。

3423. 今日は、意識が火照っている。

3424. 過剰な意識は不眠を呼ぶ。ほとんど病いと同じことだ。

3425. 意識が無限回転すれば、ニンゲンなど食い潰されてしまう。

3426. 歩行のリズムの中へと逃げる。(私)が消えて、リズムだけが残る。

3427. 時には、身体の疲れが必要だ。(考える)力もないほどの疲労が。そして、ただ(存在)している石になる。もちろん、目覚めはある。

2428. コトバよ、量子のコトバとなって、死者たちの耳にも届けよ。

3429. テレビ、パソコン、スマホで、画像を見る、文字を読む。終日、ニンゲンはそれらの情報に振り廻されている。いわば、虚の空間、虚の世界で生きている振りを強いられている。実に、滑稽な演技である。

3430. もちろん、実体には触れないセイカツである。香りも手触りもない。思考することもない。深く考えることもなく、反射している神経と意識。

3431. ああ、一歩、ただ歩くために歩く一歩一歩があれば、百や千の情報の、ネットワークの闇から抜け出せるのに。

3432. もちろん、ニンゲンは、いったい、自分が何をしているのかを知らない。ただ、浮遊している。半分死んでいる。生きているとは言えない。

3433. (私)は、小説を書くのではなくひとつの宇宙を書くのだ。

3434. ニンゲン中心ではなく、木も水も風も石も鳥も魚も山も川も海も空も一切が共生しており、相依相関の中にあるひとつの宇宙。

3435. 文字を書くのではなく、文字に至るコトバを書くのだ。一切の現象、事象が放っているのがコトバだから。

3436. 眼は、見えないものを透視し耳は聴こえない音を幻聴し形のないものには、ココロの指で触れる。もうひとつの宇宙を顕現させるために。

3437. ニンゲンは、まだ、宇宙の百万の一も知らない。宇宙は、コトバで書かれたものであるが、さて、ニンゲンがそのコトバを読み切るまで、滅びずに、生き延びられるか!!

3438. “今”を意識という光で射すことはできるが、射した瞬間に“今”は時空を移動してしまう。永遠の宙吊りだ。

3439. 現象としての(私)を、今日も、普通に生きている、重力に縛られたまま。

3440. “私”を一切から解き放つのは容易ではない。凡庸な日常という着物を脱がねば。

3441. とりあえず、ニンゲンに必要なものは、まったく新しい“ビジョン”である。

3442. ニンゲンなら、誰でも、一人にひとつずつ(ココロの水準器)を持っている。意識という光がそれにあたると、必ず(ココロの水準器)は方向を示してくれる。だから、(ココロの水準器)は、自然に保つべきなのだ。自らの魂を磨くように。決して、狂わせてはならない。

3443. モノを書く者なら、必ず、(コトバの水準器)をもっている。コトバの種子が、コトバそのものになる時、その人の根源において(コトバの水準器)が働いて、意識が触れるものを、適切な、正しいコトバに変えてくれる。ココロを無にしておれば。

3444. 一人のニンゲンが、(私)が、時代に、歴史に、宇宙にぴったりと重なったと思える時が来るのだろうか?何時も、ココは、(私)の場所ではない。今は(私)の時ではないと感じ続けて生きてきた(私)が???終に(私)が私に重なる時がなかったなら、(私)とは、いったい、何者であっただろう。

3445. (私)=非私・・・そんな存在のあり方は、宇宙に、突然、偶然、放り出された者の、差異、ズレ、遅延からくるものであろうか?

3446. 何時までたっても、決して、追いつくことがない、光という乗り物に、永遠に乗れないという感覚。(私)の外部に在る私。

3447. 量子にも意識はあるのかという問いに、量子の無数の塊りである(私)が答える。「もちろん」と。

3448. 「一即無限」である。(一=無限)一が無限でもあるという数の魔。一瞬が永遠であるという時間の魔。

3449. (無)から一切が顕現する不思議の空間、場の魔。

3450. ただ、ただ、不思議を生きるしかない(私)という宇宙。

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