Author:
• 金曜日, 12月 09th, 2011

①「エネアデスⅠ・Ⅱ」(中公クラシックス刊) プロティノス著
②「ヨーガ①」(せいか書房刊) エリアーデ著作集⑨
③「社会は絶えず夢見ている」(朝日出版社刊) 大澤真幸著
④「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書刊) 橋爪三郎×大澤真幸著
⑤「神秘の夜の旅」(トランスビュー社刊) 若松英輔著
⑥「娘巡礼記」(岩波文庫刊) 高群逸技著
⑦「世界宗教史」(ちくま学芸文庫刊) ミルチア・エリアーデ著
⑧「阿字観瞑想入門」(春秋社刊) 山崎泰廣著
⑨「仏教入門」(東京大学出版会刊) 高崎直道著
⑩「マンダラ事典」(春秋社刊) 森稚秀著
⑪「密教」(岩波新書刊) 松長有慶著
⑫「空海コレクション①」(ちくま学芸文庫刊) 宮坂宥勝監修
⑬「空海コレクション②」(ちくま学芸文庫刊) 宮坂宥勝監修
⑭「これはペンです」(新潮社刊) 円城塔著
⑮「超訳 ニーチェの言葉」(ディスカヴァー21刊) 白鳥春彦編・訳
⑯「蜩の声」(講談社刊) 古井由吉著
⑰「不可能」(講談社刊) 松浦寿輝著
⑱「存在の一義性を求めて」(岩波書店刊) 山内志朗著
⑲「密教辞典」(法蔵館刊) 佐和隆研編
⑳「宇宙は本当にひとつなのか」(講談社ブルーブックス刊) 村山斉著

9月から、本気になって、「空海」を読みはじめた。
機が熟したのかもしれない。「本」は、読む年齢によって、味わえる質がちがう。

20代の頃、「空海」の著作集を購入したが、歯がたたなくて、本棚に入れたまま、放ってあった。生きてみなければ、わからない、理解できない「本」がある。いや、頭でわかっても、身にしみて、なるほどと納得することはない。

「空海」の文章は、もう、現代人には、読みとれなくなっている。だから、「密教辞典」を索きながら、ゆっくりと、ゆっくりと読む。
宗教論、言語論、心理学、身体論、存在論、当時の総合的な、哲学の書である。
詩文もある。戯曲もある。随筆もある。碑文もある。手紙もある。引用が多い。すると、その引用の原典も読まなければならない。「空海」の文体を、感じられるようになるまで、何年かかるだろう。

とにかく、4年間、「空海」の主著を中心にして、読んでみよう、と考えて、高野山大学の門をくぐった。3.11以前の私には、考えられぬことである。
「空海」へと歩く、旅のはじまりである。どうなることやら、私にも、わからない。

結局、「空海」を読みはじめると、密教について、古代インドについて、中国について、中世について、キリスト教について、イスラム教について、というふうに、次から次へと、読むべきものが、根を張っていくのだ。

そして、「読む」と「瞑想」と「実践」が、ひとつにならないと、(三密)、(空海)さんは、わからない、ということが、わかってくる。精神と言葉と身体(意・口・身)で世界・宇宙を知る手法が密教であるから。

小説「不可能」は、松浦寿輝の三島由紀夫観から作られたものである。老いを嫌悪した三島由紀夫が、老人になるまで生きたら、という仮定のもとに、書かれた小説である。

社会学者、大澤真幸の「本」は、(知)であふれていて、刺戟を受ける。実に、面白い発想であり、切り口の斬新さ、読み込みの深さに驚かされる。が、いつも、最後に、さて、本人は、どうなんだと考えてしまう。小説で言えば、「私小説」の芯の、肉声がないのだ。

「娘巡礼記」は、若い娘が、四国八十八ヶ所を歩いて、巡礼する話、紀行文である。「遍路」本の元祖とも言える、古典である。歩くところに、物語が、発生する、だから、遍路は面白い。

村山斉の「宇宙・・・」は、終に、人類は、まったく新しい、宇宙論の時代に突入した、と教えてくれる、誰にでも、わかる本である。ニュートン、アインシュタインと進化してきた宇宙論が、原子・ニュートリノ・素粒子論が、否定される。10の500乗個の宇宙。原子で出来ていた宇宙が、実は、そうではなかった、まるで、もう、SFのような宇宙論。

※お受戒を受けた。
 阿息観を教わった。
 月輪観を教わった。
 「阿」字観を教わった。

深遠な、密教の世界への入口である。
確かに、「空海」を読むだけでは、なるほど、半分も、わからないはずだ、と、認識ができた。
「読む」と「実践」である。

Category: 読書日記
You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.
Leave a Reply