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• 木曜日, 12月 23rd, 2021
3601. 孔子は「人間原理」を説き、老子は「宇宙原理」を説く。

3602. 「言葉」に信を置く孔子。「正名論」。「言葉」の外に信を置く老子。「無名論」。(孔子は言葉を、老子はコトバを)

3603. 孔子は、外部の道を歩いて人や物や風景に会う!!(実在主義者)老子は内部の道を歩いて一切を超えた(道(タオ))に会う!!(超越論者)

3604. (私)を低くすれば、(私)は海になる!!水は必ず高いところから低いところへ流れ込むから。(老子)

3605. (私)を空(くう)にすれば、(私)は必ず充たされる。あらゆるものが雪崩れ込むから。(重田)

3606. 空(くう)は、大きければ大きいほど良い。(無)(空虚)こそ、ニンゲンのもっともすぐれたココロの状態だ。(私)を四方八方に、開け放っておくこと。

3607. 人は、父と母から生まれてくる(第一の誕生)人は、コトバからも生まれてくる(第二の誕生)「内部の人間」の秋山駿のコトバの父はデカルト、母はドストエフスキーである。兄弟は、ランボーと中原中也。

3608. ヒトは、コトバに染められて、ニンゲンとして、コトバの命じるままに、生きる。血肉となるコトバは思想に。

3609. もちろん、コトバは生命である。

3610. 血となり、肉となったコトバで思考して、ヒトは(私)は、コトバだと知る。

3611. 一切の存在はコトバである。

3612. ニンゲンからコトバを取りあげれば、一歩も歩けぬ、何も考えられぬ。

3613. わが超球宇宙は、無限のコトバの織物である。

3614. 言葉も生きものである。時代によって、場所によって変化し、生きたり死んだりする。

3615. 言葉の向う側のコトバは、モノ自体が放つものだから、時代を超え、場所を超え、生き続けている。私は、小説、詩、アフォリズムと三つの言葉を書きながら、いつも、言葉の向う側のコトバを書いているつもりである。

3616. 存在たちの眩暈?木の眩暈?水の眩暈?石の眩暈?風の眩暈?量子の眩暈?宇宙は眩暈に充ちている!!

3617. ニンゲンが、人生の目標、目的をもった時代がある。①悟る-仏陀になる。(仏教徒)②仙人になる(老子)現在の、ニンゲンは、何を目標、目的にしているのか?

3618. ただ、今の(私)を生き切る~では少し淋しい。(天国)へ行く(キリスト教)(極楽浄土)へ行く(仏教)という目標も、21世紀の科学と懐疑の時代では、どれくらいの人が信じているのか?

3619. 大きな、大きな夢が消えて、ニンゲンは、(仕事)が、夢となってしまった。(少し淋しい)

3620. 仕事は、生きるための手段であろう。(生きる)はセイカツよりも、もっと幅の広いものである。

3621. 本気で、必死に、生きれば生きるほど、滑稽に見えてしまうニンゲンがいる。なぜ?ドン・キホーテである。『白痴』のムイシュキンである。

3622. 左へ行け、決して左に曲がらずに。右へ行け、決して右に曲がらずに!!

3623. ニンゲンは、宇宙の迷子。まだ、宇宙には地図がない。

3624. 一億年も二億年も、現在の形態で生き延びてきた銀杏の樹に(知性)がない訳がない。ニンゲンのもっている(知)とは別の(知)であるが。(青葉の森で、銀杏の巨木を眺めながら)

3625. たかだか百年のニンゲンの寿命では計れない尺度が無数にある。直観や思考以外の、(知)が宇宙には、眠っているはずだ。

3626. 三密を避けても、距離をとってもステイ・ホームしても、何時、どこで感染するのか、わからない。(死)はいつも、私の足もとにある。

3627. (私)が生きる-そのこと自体が大きな問い、謎と化してしまうこと。

3628. まだ、どこにもない場を、発見し、創造してしまう文体の魔。(古井由吉と吉増剛造)

3629. (私小説)作家と呼ばれていても、二つのタイプがある。(現実=リアル)の(事実)を積み重ねて書けば、(私)の真実に至ると思っている作家と、(私)の(事実)をいくら積み重ねても、私という不思議には至らないと思って書く作家。

3630. 質の良いニンゲンに出会うことは稀れである。人生に、何人もいない。声も思考も立ち姿も、これぞニンゲンとして、存在そのものが静かに輝いている!!

3631. いい耳を持った人も稀れである。ヒトのココロの傷を、悲を、苦を、傾聴できる、耳をもっている。”やさしさ”は耳から始まる。

3632. 魂のダンディズムを具現した旧友がいる。人生で、特別に、何かを為した訳ではない。普通の生活人であった。しかし、その男の魂は、実にやさしかった。”さらば、お先に”という言葉を遺して、逝った、旧友、中川繁よ。

3633. 何が耐えられぬ?(私)が終る(無)になることではなく(永遠の宙吊り)が畏怖である。

3634. 終わりが来るのは耐えられる。終われない恐怖は、気絶してしまう!!それでも、また、眼が覚めて、(私)が続く、漂う、浮遊する宇宙に。

3635. (死)が来るから、苦しい生にも耐えられる。永遠の責苦に(私)の意識は耐えられぬ。

3636. 狂わないためにも(死)は必要である。

3637. 正気で永生を生きるのは怪物である、ニンゲンではない。

3638. 永訣の朝と夕べがあるから(美)も誕生する。

3639. 病人は、病人のコトバで考える。老人は?老人のコトバで考える。なってみてはじめてわかること。

3640. 元気すぎる人のコトバは、病人のココロには届かない。

3641. 若者の、夢を語るコトバも夢を喰い潰した老人の耳には届かない。

3642. その身になって、考える-なかなか出来ぬことである。(ココロの距離)

3643. 死の淵にいる人に、声を掛ける。さて、どんなコトバが、ココロに響くだろうか?共時的な、体験のコトバか?「君は、確かに、居たよ、僕は知っているとも」

3644. 99パーセントのニンゲンは(人間原理)のもとで生きている。1パーセントのニンゲンが(宇宙原理)でも生きている。

3645. 視座が異なると、あらゆる(意味)が変わってしまう。

3646. 11次元を発見して、11次元に生きていると思っている人は、4次元に生きている人とは、(存在)の形が(存在理由)が異なって見えている。

3647. ニンゲンは(人間原理)で生きる限り、あらゆるものに(名前)をつけて、意味付けをする。

3648. (宇宙原理)で生きる人は、宇宙は、非・意味の世界であるから、ニンゲンを、特別視しない。非・意味の世界で、眺めている。

3649. ただし、ニンゲンは、非・意味の世界に耐えられない。意識で夢を見る。

3650. 光に遭遇して、何に会ったのか?誰に会ったのか?直観できる人は、わかる人は、どのくらいいるのだろうか?