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• 木曜日, 8月 03rd, 2017

”無”と”無限”が結婚する。

長い間、バッハの音楽を聴くたびに、そんな思いを強くした。オルガン音楽は、無限螺旋階段を、昇ったり、降りたりした。ヴァイオリンによる、無伴奏パルティターやシャコンヌは、気が狂いそうな無限深淵へと、聴く者を連れていって、虚空へと放りだしてしまう。

ある深夜のことだった。ラジオの、深夜放送に、ゲストとして、ヴァイオリン奏者の、千住真理子が登場した。二年間、出演したが、今夜が、最後だから、と挨拶をして、今夜は特別に、生放送で、バッハを弾くという。
「バッハは、禅僧にならなければ弾けません」私は、そのコトバに、同志を見た。

ニンゲンの運命のベェートーベンでもなく、疾走する悲しみのモーツアルトでもなく、大地の歌のマーラーでもなく、光の煌めくドビュッシーでもなく、バッハは、神的なのだ。

バッハが流れた。千住真理子が翔んだ。バッハは、禅僧になって作曲した(無相)。千住真理子は、禅僧になって、ヴァイオリンを弾いた(無我)。私も、自然に、禅僧になって、バッハ音楽を、聴く人になっていた。(無心)。

闇の底に横たわっている、手と足が消えた。眼と鼻が消えた。舌と肌が消えた。胴体と内臓が消えた。頭と意識が消えた。耳だけが、宙に浮いていた。バッハが流れる。バッハの時が流れる。いつのまにか、最後に残った、私の耳まで消えていた。私は、私の外部へと誘い出されていた。

何処へ。果てへ。深淵へ。無限へ。はじまりもなく、終りもなく。快楽は大欲であった。私は、バッハの音になっていた。バッハと、千住真理子と、私が、ひとつの音となって、生きていた。至高者になっていた。

そして、終に、

非想非非想天へと、超出していた。そこには、異次元の時空があった。バッハ音楽(うちゅう)である。

”無”と”無限”が結婚している。

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