Archive for ◊ 6月, 2012 ◊

Author:
• 金曜日, 6月 29th, 2012

「凡そ最初口を開く音に、みな阿の声あり・・・故に悉曇の阿字を衆声の母となす」(「大日経疏」)

1. 人間とコトバ

コトバは、文明・文化の母である。コトバと道具とエネルギー(火・水・風など)のコントロールが、人間を人間たらしめた三大要素である。
話す(思想の伝達、記憶)、書く(記録して残す)、考える(コトバで概念を組み立てる)手段がコトバである。
四大文明は、文字を発明している。(エジブト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明)

コトバは、声と文字に別れ、インド・ヨーロッパ語は、表音文字を、中国語は、表意文字となった。音を写すコトバと、音を意味する漢字という、表象文字に表わしたコトバに分れた。

わが大和民族は、話しコトバの倭語はあっても、文字がなかった。仏教伝来と共に、中国から漢字が伝わった。漢字を、大和コトバで読んだのだ。それは、英語の、I am a boyを日本語で読むという、革命に近い手法であった。万葉仮名が出来て、平仮名が誕生し、現在の、漢字、ひらがな混り文の、日本文が完成をした。漢字と和語が結婚をしたのだ。

「甲骨文字」や「金文」から、古代宗教国家での、文字の誕生を実証した。
コトバ考は、本居宣長の「詞の玉緒」から時枝誠記の「言語過程説」三浦つとむ、吉本隆明の「指示表出、自己表出」へと至っている。

音が中心の西洋では、ソシュールの「構造言語論」から、バフチンの多重言語、チョムスキーの「言語論」に至り、「記号論」がコトバの中心を占めた。パロールとエクリチュールが、西洋の哲学のコトバ考の核となった。

2. 空海のコトバ −法身説話−

「自心の源底」に至った空海の言語哲学を、見事に分析し、コトバを、構造的に、意味と存在を分節した井筒俊彦の名著「意識と本質」は、圧巻である。三十ヶ国語を、自由自在に読み書き出来た井筒は、空海以来の、コトバの天才であろう。
サルトルの実在主義、フッサール、メルロポンティの現象学、ユングの深層意識、荘子のコトバ、芭蕉の時空を超えるコトバ、マラルメの絶対言語、禅の不立文字、そして、真なる言葉、大日如来の真言、空海が到達した「法身」の語るコトバへと、歩を進める。
西洋の言語学者が踏み込めなかった、アーラヤ識からくる言語、空海の創造した、最高のコトバ、異次元のコトバを再発明する。

阿字。真言。大日如来の、真なるコトバ、存在の、意味の、究極の地点を、井筒俊彦は、開示してみせた。
一切の音の、声の、根源である阿字。森羅万象の、根源である大日如来のコトバ。
「五大にみな響きあり、十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり」
「それ如来の説法は、必ず文字による、文字の所在は六塵その体なり。六塵は本の法仏の三密なり」(『声字実相義』より)
釈尊が、語れなかったところのものを、空海は、色身から法身へと転じることによって異次元で、語ってみせた。
西洋の、声と、記号を語る、言語哲学者たちが、到達できない、(自心の源底)へと千二百年も、昔の、空海は到達していたのである。空海は、すべての存在は、コトバであると言っている。

3. 梵字悉曇の歴史

表意文字である漢字を書く日本人に心理分析はいらない、と、精神分析の雄ジャック・ラカンは語った。表音文字を使うヨーロッパの哲学者のコトバだ。
しかし、表音文字である、サンスクリット語にも、字相と字義があると空海は語る。「吽字義」文字の表層の意味と、深秘な意味を分けて考えている。(huum)
文字に、(法身、報身、応身、色身)を読み込んでいる。
インドでは、四千年前の、インダス文明の象形文字は、まだ、読み解かれていない。紀元前三世紀のアショカ王の頃、アショカ文字が現れる。
そして、四世紀には、グプタ王朝のグプタ型文字、六世紀に、シッダマートリカ型とナーガリー型が現れて、その中のシッダマートリカ型が、<悉曇>と呼ばれることになる。
インドで誕生した仏教、密教は、中国漢文に翻訳された。
古訳時代(法護)旧訳時代(鳩摩羅什)は、共に、漢字による音写文字。
新訳時代(玄奘三蔵)は、直接、梵など。
密教の経典は善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等によって、次々と翻訳された。ただし、音の長短を重視する、悉曇文字は、書写された。真言陀羅尼は、訳すと、意味・原意が変わってしまう。
インドでは、貝葉に書かれた文字が、中国では、紙に、毛筆、木筆で書かれるようになる。そして、中国風な、梵字悉曇がそのまま日本に伝わってきた。

空海も、奈良の久米寺にて「大日経」を読み、はじめて、正体不明の、梵字に出会う(?)ことになる。唐に渡った空海は、梵字を修学して、日本で、体系化する。密教の教義とともに、梵字、悉曇をとりいれた。書写し、観想し、実修を説いた。

悉曇八家と呼ばれているのは、真言では、空海、常暁、円行、恵運、宗叡。天台では、最澄、円仁、円診である。真言では、中天を、天台では、南天の梵字を相承をした。
密教の教文は、秘められた宗教であるから、師資相承である。口伝であり、面授である。

戦国時代が終ると、江戸時代には、さまざまな文化が華を開いた。俳句の芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門、小説の井原西鶴、歌舞伎、相撲、演劇、娯楽、旅、巡礼、四国八十八ヶ所等々。寺子屋があって、識字率は、世界に誇れるのもであった。書道、算術も盛んになった。
さて、鎌倉時代に、大師流が、梵字悉曇として伝わっていたが、現在は、書道として、残るのみとなっている。
江戸時代には、梵字悉曇も、さまざまな流派が起ちあがった。

4. 慈雲流−その特徴

主な流派は
①慈雲流
②浄厳流
③澄禅流
④智満流である。

「書は文学である」、書そのものを芸術として、書にその人の思想を読み解いた、石川九楊のコトバである。(「中国書史」「日本書史」「近代書史」)
慈雲は、名を飲光と言い、号を葛城山人と言った。大阪に生れ、13歳で父を失い、住吉法楽寺にて、得度している。その翌年から、悉曇を学んでいる。儒学を学び、禅を学び、梵字、サンスクリット語を学び、「十善戒」を説き、河内高貴寺に根本道場を開いた。仏教は、もちろん、神道、儒教、そして西欧の事情にも詳しい学僧であった。
その成果は、今日でも、世界の驚異とされている。「梵学律梁一千巻」である。

浄厳流が「法隆寺貝葉梵本」に範をとり、静かで、整った、肉筆であるのに対して、慈雲流は「高貴寺貝葉梵本」の字体を範として、太い線で、素朴で、自然で、掠れがあり、雄大である。起点から終点まで、淀みがなく、(枝)らしきものが見えない。大河が堂々と海に至る、力感に似ている。四流派の阿字を凝っと眺めていると、澄禅派は、実に、繊細で優美である。(毛筆と朴筆体の両様を伝えるためか)浄厳流は、知的な、整然とした書風を感じさせ、智満流は、流動性、リズム、力感を覚える。
文房四宝は、書を芸術とする基である。特に、慈雲流では、筆は、短穂で、やや硬いものを用いる。
運筆は、澄禅流が、筆を紙に垂直に下ろすのに対して、慈雲流は、筆を側筆気味にする。
また、紙は、悉曇十八章の場合には、古来美濃紙を用いることになっている。(実は、私も、40年以上、原稿用紙は、神楽坂の山田家、ペンは、モンブランと決めている)
面授、師資相承の系図がある。高貴寺に伝わる「悉曇中天相承」である。

龍猛からはじまって、恵果に至り、恵果から弘法大師へ、そして、江戸の飲光へ、はるかな時空を超えて、平成の慈圓まで、インド中国、日本へと伝わっている。しかも、現在では、インド、中国での、梵字悉曇は止絶えて、わが日本国にのみ伝承されている。

書、写経、梵字悉曇は、真なるコトバに会い、真なるコトバを自らの中に発見するための、日本人の伝統である。手法である。
現代の日本人は、漢字、文章、日本文が書けなくなっている、筆も、鉛筆も、万年筆も使わなくなって、パソコンのキーを叩つ、音で入力をして、漢字に変換をする、メールを送る。

電子の文字の時代である。一画一画、一字一字、書いてこそ、文字である。字体、字風、字相、文体の復活が望まれる時代でもある。

(高野山大学大学院レポート)