Archive for 2月 22nd, 2011

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• 火曜日, 2月 22nd, 2011
1501. 思考のステップと実践のステップは、似て非なるものだ。
1502. 決して、愉しんではいけない、不幸な人がいる限り、と、感じてしまう心性をもった人は、一生、自分を噛み続ける。
1503. ニンゲンの世界だけを、考えて、閉じないで、宇宙のことも、考える、開けかたが必要な時代だ。
1504. 30代までは、闘う言葉を使っていた。60代になると、言葉は、死者へと接近してくる。そして、(無限)へと開かれる。
1505. (書く人)である限り、論争だけがあって、限界がくる。ただ、働く人の場に、身を置いて、(書く)ことを棄ててみる。
1506. 他人とともに、働く時には、(文学)など棄ててしまうことだ。ただ、ニンゲンが起っている。ひびが割れたまま。
1507. 負い目も、傷も、棄て去って、魂を遊ばせる。歩いて。ニンゲンの最上の行為だ。
1508. ある、ある、ある、あらゆるものがありすぎると、思っていたら、もう、水泡のように、次から次へと姿を消しはじめた。妙なものだ。眩暈がする。
1509. もっと、離れて、もっと、もっと、離されて、ようやく、見えてくるものがある、心を放って遊ばせておくと。
1510. もう、仕事で、イヤなニンゲンに会わなくても済む、他人に会う日々から、解放されたから。いくらでも、独りには耐えられる。心を舐いで。
1511. 若い時には、とにかく、新しい人々に会いたくて、歩き廻った。今は、どうだ、もう、人に会うよりも、木を眺めている方が、心に合致している。木の声を聞いて。
1512. 困った者だ。いつも、極端から極端へと歩きたがる。中庸ということを知らぬ。壊れても仕方のない歩き方だ。
1513. 歩行の果てへと思っていたが、歩行の中心に、それは、在った。
1514. 生老病死があるから、(私)は四苦八苦して生きる。で、不条理だから、祈る。無限に。
1515. 酒は、たゆたいが一番である。日常から虚空へと少しだけ浮遊して。
1516. 思考の振幅は、思考の強度に転じなければ。
1517. 石割=(石工)は、時間の職人である。
1518. おそらく、(私)の出自を語るだけでは足りない。言葉の出自も、思考の出自も、語らなければ(宇宙)は顕現しない。
1519. 軽みもセイカツのうるおいであっていい。悲嘆、悲痛、悲惨ばかりでは、日が湿って暗くなる。
1520. アレに手を出し、コレに手を出し、いつまでたっても、焦点の定まらぬ男だ。終に(私)まで見失って。
1521. 手綱は決して手離さないこと。(私)が馬か、(馬)が私か、ホラ、わからなくなる。
1522. (声)の中に、(文字)の中に、(神)が現れるまで、ニンゲンにとって(神)は存在しなかった?
1523. ニンゲンは、生きるためにモノ(生きもの)を食べる。悲しい、美味しいと思いながら。(原点)
1524. (食べる)ことの罪を追求しはじめると、水も空気も、飲んだり、吸ったりできなくなる。
1525. ニンゲンに何ができる、
     ニンゲンは何処まで行ける、
     二つの声は、(私)の中で、鳴り続けている。
1526. 原子よ、あなたは、なぜ、生命になったのか?
1527. 食卓は、いつも、殺生の場である。だから、ニンゲンは祈る。救いはないが。”いただきます” ”ごちそうさま”と。
1528. 「食べる—食べられる」は、もちろん「殺す—殺される」からくる。殺気立ったり、笑ったり、不条理極りない。
1529. ドストエフスキーを読むと、いつも、時空を超えた(無限)に触れられる。
1530. もともと(生きる)ことから脱臼している男がいる。何をしていても、ついでに、やっているふうに見える。生きているのに、終ってしまっているニンゲンだ。
1531. もちろん、底辺から頂点まで、あらゆる音と声と言葉が響かねばなるまい。
1532. 一日は、いつも、新しい日だから、(私)も、日々、新しく在る。
1533. 静かに、静かに、(私)を沈めていくのだ。流れた暦の底へ、先祖たちの魂の底へ、垂直に、ゆっくりと、どこまでも。(元型)に至るまで。
1534. 来る声と沸きあがる声。(私)へ、(私)から。発火点はどこだ。
1535. (私)の方法は、
     右手に「人間原理」を
     左手に「宇宙原理」をである。
1536. 「もう、ものいわん人になってしもうた」6歳の少年時、棺に身を投げ放った母の声が、まだ、耳の底に残っている。
1537. 考えても、どうなるものでもないことが、多すぎる。だから、素手で、素足で、生きている。
1538. すべての物語は、ヒト、モノ、コトに会って別れる話である。
1539. 木に木目があるように、石にも石目がある。もちろん、ニンゲンにも、似たものがある。”生れつき”である。
1540. おかしなことに、信仰などもっていないのに、(神)については、考える。どうも、信じるという(宗教)の神ではなくて、(存在)の神についてだ。
1541. ペラペラの、凡康な日々に、その軽い存在に、飽きて、倦んでも、ニンゲンのいる場所だから、逃げられない。歯がみして。
1542. 決して(文学)の中で(文学)を語らないこと。ニンゲンを語って(文学)になるべきである。
1543. 小さな必然と、大きな偶然が、(私)の歩行を決定している。
1544. 原因から結果への条理ではなくて、大きな縁による命運が見える。
1545. 自力といい、他力といい、意識のあり方をめぐる考察であるか。その先へと歩け。
1546. 悲嘆する人、哄笑する人、正に、存在の収縮と拡散である。
1547. 外部を内部へと転移させて、暗黒宇宙に浸る頭脳。
1548. ふつふつと煮えたぎる情念の切断は、声を殺して。
1549. 無限の物質量の海に、(私)を放って、ささやかな抵抗をする。一瞬を無限へと念じて。
1550. 視点を高次元へと運び続ける。どこまで、ニンゲンでいられるか!!
1551. ぐるぐると、毎日廻っている地球の習慣が棄てられなくて、重力に喘いでおる。
1552. 脳がなくても考える。単細胞生物の粘菌。だから、脳よりも(私)なのだ。
1553. 同時代に生きていると、どこにいても、似たようなことを、考えてしまう。思考は伝染する。
1554. もう、生きるのはイヤダという声、
     まだ、死ぬのはイヤダという声、
     宙吊りである。
1555. 生きてもダメ、
     死んでもダメ、
     いったい、どうしろというのだ。誰の声だ。
1556. (無縁社会)という言葉の背後には、人は、縁によってつながっているという仏教の思想がある。
1557. 血縁、地縁、職縁(?)他に、どんな縁があるだろうか、生きるも、死ぬも、縁次第という日本人らしい、古層からの発想が脈々と生きている。
1558. 作られたもの(被造物・被造者)が作ったもの(創造者)を思えない訳がない。
1559. ニンゲンの世界には、確かな(善・悪)がある。物質の世界には(在る・無い)があるだけだ。
1560. 生命が、光の化石から誕生したのか、暗黒物質から誕生したのか、宇宙にとって、正に、大問題である。
1561. グレート・マザーは、いったい、誰なのか?
1562. 国と国の、損益が、ものごとを判断する最大の基準になっている。坂本竜馬が生きていれば、”宇宙の時代ぜよ、現在は”と叫ぶだろうに。
1563. 今日のメシか、明日の夢(ヴィジョン)か。「問い」を生きる。
1564. 関係の、関係の、関係ばかりが声高かに叫ばれている浮世だが、一度、時代を、生命を、垂直に、時間で、考えてみるべきだ。
1565. 生きるためにすべてを、実行しなければならないのに、AもBも、拒否したくなる心性。
1566. 日々の生活は、変わらないのに(私)は、まったく別のニンゲンになってしまう。そんなことが起こるのだ。
1567. モノの見方が変われば、考え方も変わり、(私)は、一気に、深くなる。
1568. 考える視線がどこまでとどくか、ニンゲンの。
1569. 切断。思考の。視線の。触感の。音感の。混沌が来る。静かな。
1570. いったい(私)に、ニンゲンに、客観的な視点に立つということが、可能であろうか。確かに、第三者の、神的な、視点を設定することは可能だ。しかし、それは、あくまで(私)が、そうするのだ。すべては、見る人、語る人、描く人の色に染まってしまうのだ。
1571. ニンゲンは、仕掛けられて(何に?誰に?)偶然に、顕現した(私)を、追求する旅しか、出来ない存在なのかもしれない。
1572. ニンゲンである限り、誰もが、全員が(病者を除いて)働かねばならない。仕事は、衣・食・住を得るための(社会的な私)の場であるから。
1573. 流されて、結実しないものの、なんと多いことか。
1574. 区切り、段落、境界が溶けている。
1575. 太陽を真似て、原子の爆発を作ってみたニンゲンであるが、同じように、時間を空間を作り出せるだろうか?
1576. 生れた苦しみは、誰でも知っているが、生まれなかった苦しみを、考えられるか?
1577. (私)という形態に進化して、数億年、さて、これから、どのようになろうとしているのか。昼寝のときの考えである。
1578. (私)自身が耐えられる限り、その言葉を、他人に投げかけよ。
1579. その日常は、そのまま、続けられるのに、突然の切断。血も流れる。心も切れる。何よりも、平々凡々と続いてきた一日、その一日が絶える。
1580. 人は、なぜ、死を悼み、悲しむのか?殺してしまった、もう一人の(私)を、死者の中に見ているからだ。
1581. 分裂がある。葬儀の日は。生きると死んだ、に。ひび割れに身を横たえるのが辛い。
1582. その一言を言いたいために、千枚の長篇小説を書かねばならぬ、曲り道。曲がらねば見えぬものがあるために。
1583. いったい、誰が、赦しを与えるのだろう?なぜ人は、赦されねばならぬものを抱え込むのだろう。応えのない沈黙の中で、恐怖を感じてしまう人の心の在り方は、決して、癒されることはない。
1584. 頭も心も空にして歩いてみる。アッという間に(私)はコトとモノに染めあげられた。
1585. (信用する、信用しない)(信じる)(信じない)という、ニンゲンの、判断の根底にあるものとは、何か?心の水準器。
1586. 闇の子か、光の子か。
1587. ニンゲンのなぜ?は、宇宙のなぜ?にならない。
1588. 形をもつモノ、この、気の遠くなるような時間の果てに顕現したモノ、の奇妙さ、不可思議は、毎日、毎秒(私)を刺激する。
1589. 熱がでると、必ず、もう一人の(私)が現れる。
1590. 下痢が続くときには、つくづく(私)は、筒だと感じるし、外と内の境目が消えてしまう。(私)は、私を、すべて、下痢してしまいたい。
1591. 今日も(考える)が生きている。
1592. 生きてこそ、は、死んでこそ、でもあった。死者たちの音信がとどく日々である。
1593. 生きる現場から立ちあがってくる「問い」と、「問い」そのものを生きることとは、やはり、ちがう。
1594. 「死」の問いかたひとつで、そのニンゲンが、何を、どのように生きているのかが、わかってしまう。
1595. 突然、「物」が露出すると、ニンゲンは、あわてふためき、眩暈がして、吐くか、放心する。そして「物」をなんとか料理して、(私)と融和させてしまう。
1596. 生きて、身をもって考えて、歩をすすめる人がいる。あらゆる(知)を吸収して、学問する人がいる。本気で、考えているのは、どちらか?
1597. 簡単が最も深い(生きる)
     易しいが最も難しい(死ぬ)
1598. 与えられたモノだけを食べているニンゲン。時間を食べ、空間を食べ、モノを食べ。
1599. 夢も、また、(私)を、(無限)へと開く、ひとつの装置にちがいない。
1600. どんな場所にいても、どんな時代に生きていても、(私)は、(無限)へと開かれて在る存在である。