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• 水曜日, 1月 24th, 2018

3301. (無)から来た(私)という骰子を今日も振り続けている。あれかこれか。あれでもない、これでもない。

3302. もう(私)は私自身を一日も考え続ける力をなくしている。いや一時間も。いやいや、ものの三分も。意識は切れ切れで、欠伸までしている。

3303. 舗石の上を歩いている、意識の上を歩いている。区別などない。

3304. 非想非非想天の歩行。至るところなどない位相への希求。

3305. 日常の中でも”踏みはずし”をしてしまう。やれやれ、硬い地面がない。一切が流れて、崩れて、深淵へ。

3306. 一度は、必ず、時代と切り結ばねばならない時が来る。手持ちのカードをすべて切ってでも。

3307. 四方八方へと歩いていた(私)も、終に(私)自身の記憶の暗箱の一番深いところへ、歩を進める時が来た。(私)という他者にむかって。

3308. コトバを無限遠点へと放つ覚悟でアーラヤ識から湧きあがるコトバの種子を待っている。コトバの振幅の強度を。

3309. 眼には見えないが、(気配)が漂うことがある。形・色・匂い・音もないのに(気配)がある。わかる。春の(気配)、死者の(気配)、戦争の(気配)、殺気の(気配)。不思議な現象である。量子の、ダーク・マターの(気配)は感じられないものか?

3310. ニンゲンの大半の行為は(真似)である。食事も野球も読書も仕事も恋愛も。自分だけのオリジナルは、ほとんど存在しない。(私という存在も)コトバだって、誰のものでもない、(真似)の反復である。(生も死も)それでも、ニンゲンは(私)だけのオリジナルを希求する!!(死なない(私)などを)(不死の人)

3311. 散文が、いつのまにか、詩になり、アフォリズムになり、意識の流れになる、そんな作品「本」は可能であろうか。コトバという宇宙。そして(真言)へ。

3312. 病気をすると、(コレが私ダ)という思い込みが崩れてしまう。(病気という私)を受け入れられぬ。本来、(私)という病気をしている私であるのだ。生・老・病・死は、変容する(私の貌)だ。

3313. (健康)=いいもの、(病気)わるいもの、という概念を捨てる。(健康)は(私)であったり、(病気)が(私)であったりするから。つまり、(生)という(私)、(死)という(私)を同時に生きている。

3314. コトバで考える人、数字で考える人、音で考える人、色と形で考える人、筋肉で考える人、さまざまな手法がある。(宇宙)が来る、ニンゲンは、来るものを表現する。

3315. (青空)を、ヒトは、どのように感覚しているのだろうか?おそらく、一人一人にそれぞれの(青空)がある。他人の(青空)の感覚の仕方は、(青空)のわかり方は、自分には、わからない。

3316. 物質の時代は終った。見えないものの時代が来た。

3317. あれかこれか、AかBか、おそらく、どちらが正しいかではない。ニンゲンにとって、必要なものは何か?なのだ。真偽は問わないのだ。

3318. ニンゲンは、いくつもの誤ちを選択してきた。しかし、修正し、改善し、もう二度と、と考える。それでも、正しく、選択できるかどうかは、わからない。世界の紛争と戦争とテロの実体を眺めてみると、背筋に悪寒が走る。

3319. 戦争を起こさない、戦争を止める、人類共通の(法)が見つからない。

3320. 木は、木を記憶しなければ木そのものになれない。(木の記憶)

3321. もちろん、ニンゲンも、ニンゲン自体を記憶していて、ニンゲンになる。原理から言えば”光”も同じことであろう。

3322. ビッグ・バンも、ひとつの記憶であろうか?宇宙自体の。

3323. 存在はもちろん、空間も、あるいは、非在さえ、見えないもの、ある巨大なものの記憶にあるか?

3324. ヒトの名前が、風景が、現象や事象が、習い覚えた(知)が(私)の記憶の中から消えていく日々。記憶の暗箱の底に沈んで出て来ないのだ。つまりは、ニンゲンを終ろうとしている。

3325. 歩いた分だけ、ココロに皺ができた。苦・悲・喜・楽…刻まれた皺の数を読む。

3326. 人を変えるものが、思想と呼ばれるなら、コトバは、その中心に置かねばならない。

3327. 父母というニンゲンの系統樹を超えて、光であったころの(私)を幻視する。宇宙に遍在する無数の(私)がいた。

3328. (私)は固定された「物質」であるはずがない。変容するネットワークの塊である。

3329. 地上に、水の中に、土の中に、空気の中に、天に、宇宙に無数の(生命)が存在する。ホレ、(生命)を定義してみろ!!

3330. (私)はひとつの宇宙であった。(私)が無数に増えると、いつのまにか宇宙も無限個になった。

3331. 生きても、生きても、何もわからない。巨きな手で目隠しをされているみたいで。

3332. セイカツをすることがニンゲンの一生であるなら、(私)は、はじめから欠伸をしていた。いや、他人の真似をしていた。本当は、(私)=(宇宙)を知悉したいだけだったから。

3333. 闇から闇へと行く身であってもせめて(私)という花火として光りたい。

3334. 光の無限放射に触れていると(私)が呼応して、私自身も、時空へ無限放射されて、(私)が誕生する前の、億年の記憶に触れているような、とても、とても、なつかしい感覚に襲われるのだ。(私)は、太古の大昔にも、確かに存在した!!と。(私)が光であった頃。

3335. 脳の記憶は、実に、浅く、短い。存在自体の記憶は、もちろん宇宙大である。真夏の砂浜で、太陽の光を浴びながら、青空に対峙していると、光の記憶まで透視できる。

3336. (現在)の(私)は、唯一、絶対ではない。(私)は宇宙に遍在している。もちろん、時空を超えて。わかるかな?

3337. (宇宙)をニンゲンの手で創り出してしまう~余りにも、巨きすぎて、まるで夢幻かと思える計画に、挑戦している科学者がいる、と知って、驚嘆したが、道具を作り出したニンゲンの、最終の夢は、時空をも、創出することにちがいない。

3338. (現実)は、ただ、そこに、眼の前に在るものではない。無数のニンゲンが、支えて、支えて、無数の手が支え続けて創りあげたものである。

3339. 手の歪みは、そのまま(現実)の歪みとなる。歪みを作るのも、修正するのもニンゲンの手である。

3340. 読むたびに、ひとつのコトバが、無限に変化する、そんな量子的なコトバが、ニンゲンには可能であろうか?

3341. AがBに、BがCに…1が2に、2が3に…自由自在に変化してしまうコトバに、現在のニンゲンの頭脳(思考)は耐え切れぬであろう。しかし、宇宙は、宇宙のコトバはおそらく、そのような存在としてあるのだろう(畏怖)

3342. 意味の深みへ、形の深みへ、音の深みへ、どこまでも深化していくコトバには眩暈しかない、ニンゲンである。

3343. この(私)に、何を与えてあげれば、ニンゲンらしい(生)となるのか?ニンゲンらしい(死)となるのか?

3344. 光と水と土を得て、充分に(木)として立っている。簡単な生の形は、美しい。

3345. 文明という着物でニンゲンは膨らみきっている。大地震、大津波、大雨、原発では、素の、裸になってしまったニンゲンが、また…さまざまな着物を着る。

3346. 身体が重い。気が滅入る。アンニュイ。メランコリィ。ウツへ。虚へ。空へ。無へ。何もしたくない病の根源には、もちろん(死)がある。存在の、耐えがたい、軽みの時代に。

3347. 宇宙の誕生のメカニズムは、いつの日か、科学者が解き明かしてくれるだろう。しかし、なぜ、宇宙が誕生しなければならなかったのかは、科学では、解けない。哲学、宗教、文学の存在価値は、その問いに答えることにある。

3348. (私)は、どうして、顕現しなければならなかったのか?(私)を(宇宙)に置きかえても、同じことだ。

3349. ほとんどのニンゲンは、人の世を生きる。一生かけて。(人間原理)しかし、人の世を生きることに、合点がいかない種類がいる。「内部の人間」たちである。おそらく、(宇宙原理)そのものに触れているのだ。

3350. 悲しみは共有できる。不幸も共有できる。苦しみも共有できる。もちろん楽しみも共有できる。ただ、身体の痛みだけは共有できない。ああ、今日も、終日、歯が痛い。

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• 水曜日, 1月 24th, 2018

①『グッドモーニング』(新潮文庫刊)
②『死んでしまう系のぼくらに』(リトルモア刊)
③『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(リトルモア刊)
④『愛の縫い目はここ』(リトルモア刊)
⑤『最果タヒによる最果タヒ』(青土社刊)

「コトバの自由度」について(見事な、シンタックスの結晶がある)

若い詩人「最果タヒ」の詩集と本を五冊ほど読んだ。コトバの自由度が広いので驚愕した。

10代の終りごろから、20代のはじめの頃に、ニンゲンの内部で、突然、コトバが爆発する時がある。内的意識がそのままコトバとなって、一人のニンゲンから湧きあがってくるのだ。”天才”と呼ばれることもあるひとつの現象である。
ランボーの詩、
ロートレアモンの詩、
ル・クレジオの初期の小説、
等にも、同じような、自由度を感じた。

より良く生き、よく熟考した人の深いコトバではない。(しかし、深い)(疾走する深さである)
まだ、世間、社会、世界の約束に縛られていない、コトバの自由度のままに、想像の世界に、舞い、踊る詩である。
体験をもとに、考え、構成し、想像する作家たちのものとは、まったく異なる。存在そのものに触れる詩である。コトバが存在である。

その最果タヒの「小説」=散文を読むと、その自由度が殺されている。一歩一歩、思考して、進む散文、小説は、さほど感心しなかった。なぜだろう?
小説には「物語」があり、「時間」があり、「舞台」があり、「他者」がいる。すると、あれほど、自由度を誇った最果タヒのコトバの力が減少する。
コトバの自由度は(少ない方から考えると)
①散文
②詩
③アフォリズム
の順番であろう。
<書く>という、自由度を、縛るものがあるほどに、コトバ自体もその自由度がなくなる。
不思議である。
最果タヒは、自然に、インターネットにむかって、書いていると、他人からそれは「詩」だと言われたという。詩、散文、小説という、ジャンルを考えることもなく(私)を、(私のコトバ)を放っていただけである。

50年も原稿用紙に、モノを書き続けている私にとって、パソコンもインターネットもメールも出来ない私にとって、「インターネットから生まれた詩人」は信じられない詩人、存在者である。

詩人、石原吉郎が、シベリアのラーゲリーから帰還して(断たれてしまったヒトやモノとの関係を)コトバによって回復しようとして失われてしまった「コトバ」を求めて、「詩」を書きはじめたエピソードとは(断念から)まったく異なる。

最果タヒは、人に、読者に(顔)を見せない詩人である。(中原中也の詩集に、中也の写真があるのを、ひどく嘆いていた!!)
一切のコトバが、最果タヒというペンネームのもとにある。<実像>と<コトバ>を完全に切り離したいのだろうか?(私)はコトバである、と。

なんでも語ってしまう。(語れてしまう)タブーがない。コトバが唯一の実在である。ニンゲン世界からも自由に在る。まるで、宇宙の、たったひとつの原子のように存在する。

コトバとして、生れてしまったものが(私)であり、それ以外は、ない。その統合が「最果タヒ」という名前である。とりあえずの。

ランボー、ル・クレジオの歩みを考えると、最果タヒの歩みも、困難に満ちたものになるのだろうか?今、注視したい詩人。

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• 木曜日, 8月 03rd, 2017

”無”と”無限”が結婚する。

長い間、バッハの音楽を聴くたびに、そんな思いを強くした。オルガン音楽は、無限螺旋階段を、昇ったり、降りたりした。ヴァイオリンによる、無伴奏パルティターやシャコンヌは、気が狂いそうな無限深淵へと、聴く者を連れていって、虚空へと放りだしてしまう。

ある深夜のことだった。ラジオの、深夜放送に、ゲストとして、ヴァイオリン奏者の、千住真理子が登場した。二年間、出演したが、今夜が、最後だから、と挨拶をして、今夜は特別に、生放送で、バッハを弾くという。
「バッハは、禅僧にならなければ弾けません」私は、そのコトバに、同志を見た。

ニンゲンの運命のベェートーベンでもなく、疾走する悲しみのモーツアルトでもなく、大地の歌のマーラーでもなく、光の煌めくドビュッシーでもなく、バッハは、神的なのだ。

バッハが流れた。千住真理子が翔んだ。バッハは、禅僧になって作曲した(無相)。千住真理子は、禅僧になって、ヴァイオリンを弾いた(無我)。私も、自然に、禅僧になって、バッハ音楽を、聴く人になっていた。(無心)。

闇の底に横たわっている、手と足が消えた。眼と鼻が消えた。舌と肌が消えた。胴体と内臓が消えた。頭と意識が消えた。耳だけが、宙に浮いていた。バッハが流れる。バッハの時が流れる。いつのまにか、最後に残った、私の耳まで消えていた。私は、私の外部へと誘い出されていた。

何処へ。果てへ。深淵へ。無限へ。はじまりもなく、終りもなく。快楽は大欲であった。私は、バッハの音になっていた。バッハと、千住真理子と、私が、ひとつの音となって、生きていた。至高者になっていた。

そして、終に、

非想非非想天へと、超出していた。そこには、異次元の時空があった。バッハ音楽(うちゅう)である。

”無”と”無限”が結婚している。

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• 土曜日, 6月 10th, 2017

「イデアという花」良いですね、文句なしです。
貴兄のこれまでの思索が集約されているのだろうな。

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• 土曜日, 6月 10th, 2017

読んでいると知らぬ間に引き込まれてしまうような不思議な詩である。
ある種の内在するリズムが、それとなく私たちを詩の世界に引きずり込む。
それだけではない。どこか宗教的な世界を感じさせないだろうか。
「生は生でなかった 死は死んでなかった」
この生でもない死でもないというフレーズがそれを端的に表しているのな気がする。
平易な言葉で歌っているように思われるが、その底に高遠な思想性を秘めているな気がする。

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• 土曜日, 6月 10th, 2017

「イデアという花」くりかえし読んでいます。何かに対するレクイエムに聞こえます。
実を奪って虚に変える、そこに居る無を操る能力を察知させてくれます。
エゴイズム的関心を脱ぎ去りたいと冷静にもがく人間的幻影(自我)のもたらす有用性の価値からの脱走、生命の開放へと突きすすみたいのだが思想が虚無への意志となって羽ばたき心へ向かう道を脳が塞ぐ、すさまじい開放力を求めているのに拘束のもどかしさ、現実の虚しさがズンズン伝わってくるある種の地獄の歌でもあります。
宗教と関与りますと、どこかでニヒリズムに遭遇ことがあります。
井筒先生は、すべての存在者から本質(自我)を消し去る、そうすることで意識対象を無化し、全存在世界をカオス化してしまうことで前半が終る。真の宗教はカオス化した世界に再び秩序を取り戻す。ただ前とはちがって無化された花が全く新しい形でもう一度返ってくる!だがこの花は無本質であるー。
一度、カオスに戻し既成の秩序を無から再秩序化するのが宗教の一つの機能である。だから宗教の質がよく多くの人々を引きつけるには
「カオス化への戻し方と再秩序化の質にかかっている」
再秩序化の質が良くなる為には
「カオスへの戻し方が徹底している方が良いのである」
東洋思想の特徴としてカオスとしての宗教、再秩序化の本質を説くのなかで井筒先生は書いておられます。

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• 月曜日, 6月 05th, 2017

主催:海陽町関西ふるさと会
於:大阪新阪急ホテル H29年5月28日(日)11:00~2:30

大阪在住の友人(海南高校の同級生)建築家の歌一洋君から、突然、電話がかかってきた。「大阪で、講演をしてもらえないか?」と。「何?僕が?」
「ふるさとに関係のある話、何かあるだろう?」「有名人は、たくさんいるよ。ゴルフ日本一のジャンボ尾崎さん、元阪急監督の上田さん、ボクシング世界チャンピオンの川島さん。」
余りにも有名すぎる人は、多忙すぎて、予定が立たないのか?

海陽町は、平成の大合併で、宍喰町・海部町・海南町がひとつの町になった。
四国は、林業、農業、漁業中心で、企業が少ない。若者たちは、神戸・大阪・京都へ仕事を求めて、故郷を出る。
明治・大正・昭和初期までは、娘たちは、京阪神の、大きな商家へ、奉公に出た。「大阪へ行かなんだら嫁に行けん」と言われるくらいだった。
奉公の目的は、礼儀、行儀の作法を身につけることと、嫁入りの資金を貯えることことにあった。
人口の流出は、昭和、平成と止まらず、3分の1から、4分の1になっている。65歳以上が44%、子供の数は12人に1人の割り合いと、正に、超高齢社会、少子高齢化そのものである。(町長のあいさつ)
で、故郷を出た人、都市、大阪に棲む人たちに、集ってもらい、親交を深め、何か、力になってもらうという、役場の主旨・目的であろう。

結局、故郷を出て50年、千葉都民(千葉で棲み東京で働く)となった私が、講演を引き受けることになった。
「ふるさとと文学」「ふるさとと作家」について。
1. 石川啄木と故郷と短歌
24歳で病死した、天才歌人・啄木は、石もて追われる如くに、岩手の渋民村を離れたが、故郷を詠んだ秀歌は数しれぬ。
①ふるさとの訛りなつかし停車場の人混みの中にそを聞きにいく
②やわらかに柳あおめる北上の岸辺眼に見ゆ泣けとごとくに
③ふるさとの山にむかいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな
孤独と絶望と借金と放浪の中で、歌った短歌は、100年の時が流れても、そのコトバの力(生命)は尽きることがない。
(コトバのDNA)(風景山、川のDNA)(風土、父母のDNA)
3つのDNAが(啄木の故郷である)

2. 五木寛之の代表作『青春の門』(全八巻)
ヒトが、ひとつの作品を50年も書き続ける、そんなことが、現実に、私たちの眼の前で進行している。
第九巻『青春の門』の最終章が、「週刊現代」にて連載再開。84歳になった五木寛之が、27才の主人公、あの伊吹信介を、シベリアを舞台にして、なお、活動させはじめた。
九州・福岡(筑豊篇)の第一巻は、正に、故郷の土の匂い、風の香り、人の気質、山川の風景、風俗が、むせかえるように、展開されていた。
私の一番好きな(篇)である。

3. 長篇小説『百年の歩行』(1000枚)
もう、創作ノオトを執りはじめて八年になる。1500枚ほどノオトを執り、取材し、資料を読み、現場を歩き、四国の故郷宍喰・海南・海部を舞台にした、祖母、父母、子と三代にわたる話を書いている。全30章。
文学を読めないが、オダイシサンを信仰する祖母、土方から身を起こした父、そして、戦後民主主義下に育った子供。(昭和)という時代への鎮魂の書である。
第一章(大里の寒竹迷路)
第二章(同行二人、南へ)
を紹介させていただいた。

文芸評論家(私のココロの恩人)秋山駿さんと対談させていただいた折、「君の、コトバの根を書けよ」と忠告された。あれから、もう、20年になる。作家は、一度は、眼をつむって、鼻をつまんでも、(私の裸形)を、小説化しなければならない。
肉体(父母)の遺伝子DNA
風景・風土の遺伝子DNA
コトバ(方言)の遺伝子DNA
ようやく、三つの、DNAに、正面から立ち向かって、取り組んでいる。

平成30年には、小説『百年の歩行』を完成させたい。
講演が終って、懇親会になった。次から次へと(ふるさと人)がやってきて、是非、その本を、読みたい、早く、完成させてくれ、10冊買う、30冊予約して親族に配る、と、私を鼓舞する声が、波となって押し寄せてきた。
中学校の野球部の後輩、高校の友人、遠縁の従兄、友人の妹、弟の友達、何十年も昔の、ふるさと人の顔を、白髪の中に探しながら、こんなにも、待たれている「本」はない。と思った。
講演会の後で、たくさんの人々から元気をもらった。感謝である。
最後に全員で(呼吸法)を実践してもらった。誰にでもできる、今すぐできる(呼吸法)である。
ストレスが解消できる。
ココロが静かになる。
不眠がなくなる。
(呼吸法)(瞑想)(イメージトレーニング)

平成30年の私の目標(日本初、一作家三分野同時出版)
1. 歩くコトバで書く小説『百年の歩行』(1000枚)~執筆中=(緑の本)
2. 踊るコトバで書く詩集『ある惑星の歩き方』(30作)~完成=(赤の本)
3. 跳ぶコトバで書くアフォリズム(3000本)『コズミック・ダンスを踊りながら』~完成=(青の本)

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• 月曜日, 5月 08th, 2017


見ているのは、誰?何?
眼が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?


聞いているのは、誰?何?
耳が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?

コトバ
話しているのは、誰?何?
口が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?

イデア
考えているのは、誰?何?
意識が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?

アートマン
存在しているのは、誰?何?
原子が
脳が
(私)が
いいや
ただ、超球宇宙を
透視もゆるさぬ
銀河級の
巨大な量子の鳥が
翔んでいるだけ

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• 月曜日, 4月 17th, 2017

1.「戦争は女の顔をしていない」(岩波書店刊)スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著(三浦みどり訳)
2.「井筒俊彦全集」第12巻アラビア語入門(慶応義塾大学出版会刊)
3.「流」(講談社刊)東山彰良著
4.「淵上毛錢詩集」(石風社刊)前山光則編
5.「時間」(岩波現代文庫刊)堀田善衛著
6.「パウル・ツェラン詩文集」(白水社刊)飯吉光夫編・訳
7. 詩集「聖地サンディアゴへの道」(土曜美術社出版販売刊)富田和夫著
8.「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋社刊)立花隆著
9.「我が詩的自伝」(講談社現代新書)吉増剛造著
10.「クレーの日記」(新潮社刊)南原実訳
11.「破船」(新潮文庫刊)吉村昭著
12.「星への旅」(新著文庫刊)吉村昭著
13.「関東大震災」(新潮文庫刊)吉村昭著
14.「戦艦武蔵」(新潮文庫刊)吉村昭著
15.「三陸海岸大津波」(文春文庫刊)吉村昭著
16. 詩集「怪物君」(みすず書房刊)吉増剛造著
17. GOZOノート②「航海日誌」(慶応義塾大学出版会刊)吉増剛造著
18. GOZOノート①「コジキの思想」(慶応義塾大学出版会刊)吉増剛造著
19. GOZOノート③「わたしは映画だ」(慶応義塾大学出版会刊)吉増剛造著
20.「心に刺青をするように」(藤原書房刊)吉増剛造著
21.「重力の虹」上・下(新潮社刊)トマス・ピンチョン著(佐藤良明訳)
22.「井筒俊彦全集」別巻(未発表原稿他)(慶應義塾大学出版会刊)
23.「真理の探求」(仏教と宇宙物理学者との対話)(玄冬社新書刊)佐々木閑・大栗博司著
24.「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」(青土社刊)森川すいめい著
25.「中論」上・中・下(第三文明社刊)龍樹著(三枝充恵訳)
26.「鉄格子のはめられた窓」(ルートヴィヒ二世の悲劇)(論創社刊)クラウス・マン著(森川俊夫訳)
27.「生き心地の良い町」(講談社刊)岡壇著
28.「在りし、在らまほしかり三島由紀夫」(平凡社刊)高橋睦郎著
29.「般若心経・金剛般若径」(岩波文庫刊)中村光・紀野一義訳注
30.「炸裂」(河出書房新社刊)閻連科イエン・クエンマー著
31. 詩集「真珠川Barroco」(思潮社刊)北原千代著

1.「戦争は女の顔をしていない」
トルーマンカポーティの『冷血』は、事件を追いながら、同時に(事実)を積み重ねて書くという、衝撃的な、ノンフィクション・ノベルの最高峰となった。この作品『戦争は女の顔をしていない』も、従軍女性記者が、戦争の中の、女たちを取材して、(事実)を書き記したものである。(ソ連の従軍女性たちの声を発掘)した稀有な作品。ノーベル賞受賞作家のデビュー作。ベラルーシ出身。 

2. 語学の天才、数十カ国語を話した、井筒俊彦のアラビア語入門。単なる語学の本ではなく、アラビア思想も語ってくれた。

3.「流」台湾出身。九州に棲む。直木賞受賞作品。
スリル満点の読みもの。日常生活の、細部を描く作家が多い現代に、大きな「物語」を語ることができる作家の出現であった。

4.「淵上毛錢詩集」
小さなコトバの中に、熊本の方言の中になんとも言えぬ、人間味があふれる詩集である。肉声が詩の中に響きわたる詩人である。

5.「時間」
『広場の孤独』や『方丈記私記』や『ゴヤ』で知られた、戦後派の作家である。『時間』は、中国人の視点から描かれた「南京事件」が主題である。解説は、作家辺見庸氏。「歴史と人間存在の本質を問うた戦後文学の金字塔」

6.「パウル・ツェラン詩文集」
「20世紀ドイツ最高の詩人。旧ルーマニア領、現ウクライナ共和国で、ユダヤ人の両親のもとに生まれる。ドイツ語を母語として育つ。」「言語」しか信ずるものがない、絶望の淵で、詩作を続けた。コトバがそのまま、モノとコトになっている。精神病を患って、セーヌ川に投身自殺。ニンゲンの、最後の拠りどころ、コトバを生きた人。

7.「聖地サンディアゴへの道」
語学学者による詩集である。温和な人柄がそのまま、ゆったりとした詩風をつくりだしている。

8.「武満徹・音楽創造への旅」
思想の人・立花隆が、こんなにも、音楽に精通しているとは、驚きであった。武満徹をライブで聴き、感動し、音楽を学び、分析し、ロングインタビューを試みた「本」である。武満徹も立花隆を信用して、徴に入り、細に入り、語りつくし、立花は、武満の音楽創造の秘密に迫り、終に、ニンゲン武満徹を、見事に浮かびあがらせている。

9.16.17.18.19.20
詩人のM氏と二人で、東京都近代美術館で催された「吉増剛造展」を観に行った。(聴きに行った)詩人の個展?いったい何があるのだろう?吉増独自の写真、記録ビデオ、絵のような、詩の文字、銅版画、吉本隆明・中上健次の原稿、(声)を集めたカセットテープ(数百本?)もう、これ以上観ると、聴くと、神経が破れる、と会場を後にした。50年前、吉増の「黄金」詩篇に感動して、憑かれたように、吉増剛造の世界を読んできた。「吃る人」「分裂している人」「閉じ込もる人」「叫ぶ人」現代の、唯一人の生きる(詩人)であろう。文学には、詩には、独自の、ニンゲン宇宙があると、証明してくれる稀有な詩人である。

10.「クレーの日記」
『ゴッホの手紙』は、長い間、私の枕頭の書であった。ヒトが生きるとはどういうことか?仕事とは何か?ニンゲンとは何か?そんな声が響いてくる。「クレーの日記」も、「ゴッホの手紙」に匹敵する「本」であった。あの絵画の背後に、こんな、コトバがあったのか、と、クレーを見直した。

11.12.13.14.15
市民の為の「読書会」を頼まれて、『破船』が、テキストとして選ばれた。これを機会に、吉村作品を読んでみた。いわゆる「純文学」から「戦記物」へと舵を切った、吉村作品、『三陸海岸大津波』は、3・11があった為か、非常に、魅力された作品であった。

21. 世界の深甚徴妙で超難解な小説といえば、
①ドストエフスキーの四大長編
②ジェームス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』
③埴谷雄高の『死霊』
そこに、第四の作品が加わった。トマス・ピンチョンの大作、『重力の虹』である。「読解不能」であって「猥褻」とされる、2900枚の超問題作。佐藤良明が、翻訳に七年を要した。

22.「井筒俊彦全集」
最終巻。3~4年、井筒俊彦を読み込んできた。空海以来の、語学の天才であろう。思想は、日本を超えて、世界的である。感謝と!!

23.「真理の探求」
仏教学者と宇宙物理学者との対話である。(仏教)も、また、時代とともに、その受容と解釈が変わる。

24.27
私の故郷の徳島県、海部郡、海陽町が、二人の学者にとりあげられた。「海部町が日本で一番、自殺率が低い」という理由で。(私の故郷はお隣りの宍喰町ー合併)

25.「中論」
第二の仏陀と呼ばれる龍樹(ナーガルジュナ)の主著である。仏教学者中村元が、50年間『中論』の研究をしている。(『空の論理』)「空」と「縁起」と「中道」。仏教ー日本の八宗の祖である龍樹。その思想は、深甚微妙であって、一読、二読でわかるようなものではない。読破したよろこびが、今、私にある。

26.「鉄格子にはめられた窓」
トーマスマンの息子の小説である。偉大な父をもって、父と同じ仕事をする者の、困難と悲劇。(自殺)

28.「在りし、在らまほしかり三島由紀夫」
三島由紀夫に、詩を認められて、三島が自殺するまで、親交のあった、詩人による三島論である。学者、評論家には、わからない、生身の三島由紀夫が、語られていてとても、スリリングな本である。

29.「般若心経・金剛般若経」
日本人には、一番よく知られているお経、(一番短かい)「般若心経」いろいろな解釈がある。「空海」さんにも、「般若心経秘鍵」がある。

30.「炸裂」
ノーベル賞に、もっとも近いといわれている、中国人の作家の長編小説。骨太な文体で、奇怪な世界を出現させる。

31.「真珠川・Barroco」
十年ほど前、見知らぬひとから、一冊の詩集が贈られてきた。(『ローカル列車を待ちながら』)二十年も、詩を書くのを止めていたこと。夫の転勤でドイツで生活したこと。更に転勤で、徳島へ。(徳島)は私の故郷である。何かの縁だと思って、感想をお送りした。オルガンを弾いて、詩を書くひと。今年のH氏賞受賞者が「北原千代」さんだと、日経新聞で知った。第四詩集であった。おめでたいことである。(詩集については、私のホームページの書評欄に書かせてもらった) 

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• 木曜日, 3月 16th, 2017

はじまりは、(私)が存在するという不思議と驚きと発見からだった。コトバが来た。コトバの水脈を追って、ココロの一番深い井戸へと、十二年かかって、降りて行って、第四詩集が、結実し、川となった。その名前は「真珠川」である。

詩集を手にとって初読(直観で)一日置いて再読(思考が廻る)ふたたび、寝かせて(心読する)。コトバに身をゆだねて。コトバに染められたところで、気に入った数篇を、朗読してみた。声に出して。

「本」は、何ヶ月も、何年もかけて、書かれたものだから、一日、二日で、読みあげて、終ってしまうのでは、あまりにも、もったいない。いや、読み込める訳がない。覚えて、記憶に刻んで、そのコトバとともに、歩けるようになってこそ。

風景が、単なる(描写)であったものが、(生きもの自体)へと、変化するあたりに、北原の心境の深化があって、最後の一行で、世界を、読者のものへと投げかける、転換の妙が、作品を、外部の世界にむけて、開かれたものとする、力が備わってきた。
「朝の鍵盤を押すと、あなたがあふれる」(「もえあがる樹のように」より)
「夜ごとからだと交換したことばを入れておくから」(「金柑の実」より)
「継ぐ息の波紋が返信する」(「交信」より)

見えないものを、見えるものたちで、ていねいに、ていねいに、書き込むことによって、表出する。(ソレが、見えるかどうかが、作者の腕、わかるわからない読者の、境目)
確かに、三つの世界が見えてきた。
①「水の音楽」が流れはじめた
②「あなた(カミ?)の声が響きはじめた。
③「血族」たちの(父・母・おじいちゃんなど)姿が見えはじめた。
もう、北原の紡いだコトバと一緒になって三つの世界を歩いて、苦楽を、共にしている。ようやく、詩を、そのコトバを、超えたころのものを、視はじめている。

ある夜、偶然、ラジオの深夜放送で、ヴァイオリン奏者・千住真理子のコトバと音楽を聴いた。
練習、訓練を、積み重ねれば、たいていの音楽は、弾ける。しかし、「バッハの音楽だけは、禅僧のようにならなければ、弾けない」
闇の中で、同志を発見したような、喜びが全身に走った。
”無”と”無限”の結婚が、バッハの音楽だと、長い間、考えていた私は、無伴奏パルテイターとシャコンヌのことを想った。
千住真理子は、生演奏で、バッハを弾いてくれた。禅僧になって作曲したバッハ、禅僧になって、バッハ音楽を弾いた千住真理子、当然、聴く私も、禅僧になっていた。
不思議なことに、三人は、一人になっていた(3→1)
深甚微妙な、バッハによる無限音楽があった。無限宇宙そのものであった。

北原千代も、教会で(?)オルガンを弾くひとだと知った。
やはり、あの「あなた」は、カミであろう。「あなた(カミ?)へと歩く人」から「あなた(カミ?)を歩く人」へ、北原の詩も、変容するような、予感がするのだ。
千住真理子の演奏は、北原の詩法に、ひとつの、ヒントを、与えそうな気がする。
「Barroco」に秘められたものは、深甚微妙な、バッハかもしれない。

(2017年3月14日)

(注:『Barroco』の本来の意味は「いびつな真珠」である。)

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