「イデアという花」くりかえし読んでいます。何かに対するレクイエムに聞こえます。
実を奪って虚に変える、そこに居る無を操る能力を察知させてくれます。
エゴイズム的関心を脱ぎ去りたいと冷静にもがく人間的幻影(自我)のもたらす有用性の価値からの脱走、生命の開放へと突きすすみたいのだが思想が虚無への意志となって羽ばたき心へ向かう道を脳が塞ぐ、すさまじい開放力を求めているのに拘束のもどかしさ、現実の虚しさがズンズン伝わってくるある種の地獄の歌でもあります。
宗教と関与りますと、どこかでニヒリズムに遭遇ことがあります。
井筒先生は、すべての存在者から本質(自我)を消し去る、そうすることで意識対象を無化し、全存在世界をカオス化してしまうことで前半が終る。真の宗教はカオス化した世界に再び秩序を取り戻す。ただ前とはちがって無化された花が全く新しい形でもう一度返ってくる!だがこの花は無本質であるー。
一度、カオスに戻し既成の秩序を無から再秩序化するのが宗教の一つの機能である。だから宗教の質がよく多くの人々を引きつけるには
「カオス化への戻し方と再秩序化の質にかかっている」
再秩序化の質が良くなる為には
「カオスへの戻し方が徹底している方が良いのである」
東洋思想の特徴としてカオスとしての宗教、再秩序化の本質を説くのなかで井筒先生は書いておられます。
Author Archive
主催:海陽町関西ふるさと会
於:大阪新阪急ホテル H29年5月28日(日)11:00~2:30
大阪在住の友人(海南高校の同級生)建築家の歌一洋君から、突然、電話がかかってきた。「大阪で、講演をしてもらえないか?」と。「何?僕が?」
「ふるさとに関係のある話、何かあるだろう?」「有名人は、たくさんいるよ。ゴルフ日本一のジャンボ尾崎さん、元阪急監督の上田さん、ボクシング世界チャンピオンの川島さん。」
余りにも有名すぎる人は、多忙すぎて、予定が立たないのか?
海陽町は、平成の大合併で、宍喰町・海部町・海南町がひとつの町になった。
四国は、林業、農業、漁業中心で、企業が少ない。若者たちは、神戸・大阪・京都へ仕事を求めて、故郷を出る。
明治・大正・昭和初期までは、娘たちは、京阪神の、大きな商家へ、奉公に出た。「大阪へ行かなんだら嫁に行けん」と言われるくらいだった。
奉公の目的は、礼儀、行儀の作法を身につけることと、嫁入りの資金を貯えることことにあった。
人口の流出は、昭和、平成と止まらず、3分の1から、4分の1になっている。65歳以上が44%、子供の数は12人に1人の割り合いと、正に、超高齢社会、少子高齢化そのものである。(町長のあいさつ)
で、故郷を出た人、都市、大阪に棲む人たちに、集ってもらい、親交を深め、何か、力になってもらうという、役場の主旨・目的であろう。
結局、故郷を出て50年、千葉都民(千葉で棲み東京で働く)となった私が、講演を引き受けることになった。
「ふるさとと文学」「ふるさとと作家」について。
1. 石川啄木と故郷と短歌
24歳で病死した、天才歌人・啄木は、石もて追われる如くに、岩手の渋民村を離れたが、故郷を詠んだ秀歌は数しれぬ。
①ふるさとの訛りなつかし停車場の人混みの中にそを聞きにいく
②やわらかに柳あおめる北上の岸辺眼に見ゆ泣けとごとくに
③ふるさとの山にむかいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな
孤独と絶望と借金と放浪の中で、歌った短歌は、100年の時が流れても、そのコトバの力(生命)は尽きることがない。
(コトバのDNA)(風景山、川のDNA)(風土、父母のDNA)
3つのDNAが(啄木の故郷である)
2. 五木寛之の代表作『青春の門』(全八巻)
ヒトが、ひとつの作品を50年も書き続ける、そんなことが、現実に、私たちの眼の前で進行している。
第九巻『青春の門』の最終章が、「週刊現代」にて連載再開。84歳になった五木寛之が、27才の主人公、あの伊吹信介を、シベリアを舞台にして、なお、活動させはじめた。
九州・福岡(筑豊篇)の第一巻は、正に、故郷の土の匂い、風の香り、人の気質、山川の風景、風俗が、むせかえるように、展開されていた。
私の一番好きな(篇)である。
3. 長篇小説『百年の歩行』(1000枚)
もう、創作ノオトを執りはじめて八年になる。1500枚ほどノオトを執り、取材し、資料を読み、現場を歩き、四国の故郷宍喰・海南・海部を舞台にした、祖母、父母、子と三代にわたる話を書いている。全30章。
文学を読めないが、オダイシサンを信仰する祖母、土方から身を起こした父、そして、戦後民主主義下に育った子供。(昭和)という時代への鎮魂の書である。
第一章(大里の寒竹迷路)
第二章(同行二人、南へ)
を紹介させていただいた。
文芸評論家(私のココロの恩人)秋山駿さんと対談させていただいた折、「君の、コトバの根を書けよ」と忠告された。あれから、もう、20年になる。作家は、一度は、眼をつむって、鼻をつまんでも、(私の裸形)を、小説化しなければならない。
肉体(父母)の遺伝子DNA
風景・風土の遺伝子DNA
コトバ(方言)の遺伝子DNA
ようやく、三つの、DNAに、正面から立ち向かって、取り組んでいる。
平成30年には、小説『百年の歩行』を完成させたい。
講演が終って、懇親会になった。次から次へと(ふるさと人)がやってきて、是非、その本を、読みたい、早く、完成させてくれ、10冊買う、30冊予約して親族に配る、と、私を鼓舞する声が、波となって押し寄せてきた。
中学校の野球部の後輩、高校の友人、遠縁の従兄、友人の妹、弟の友達、何十年も昔の、ふるさと人の顔を、白髪の中に探しながら、こんなにも、待たれている「本」はない。と思った。
講演会の後で、たくさんの人々から元気をもらった。感謝である。
最後に全員で(呼吸法)を実践してもらった。誰にでもできる、今すぐできる(呼吸法)である。
ストレスが解消できる。
ココロが静かになる。
不眠がなくなる。
(呼吸法)(瞑想)(イメージトレーニング)
平成30年の私の目標(日本初、一作家三分野同時出版)
1. 歩くコトバで書く小説『百年の歩行』(1000枚)~執筆中=(緑の本)
2. 踊るコトバで書く詩集『ある惑星の歩き方』(30作)~完成=(赤の本)
3. 跳ぶコトバで書くアフォリズム(3000本)『コズミック・ダンスを踊りながら』~完成=(青の本)
花
見ているのは、誰?何?
眼が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?
声
聞いているのは、誰?何?
耳が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?
コトバ
話しているのは、誰?何?
口が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?
イデア
考えているのは、誰?何?
意識が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?
アートマン
存在しているのは、誰?何?
原子が
脳が
(私)が
いいや
ただ、超球宇宙を
透視もゆるさぬ
銀河級の
巨大な量子の鳥が
翔んでいるだけ
1.「戦争は女の顔をしていない」(岩波書店刊)スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著(三浦みどり訳)
2.「井筒俊彦全集」第12巻アラビア語入門(慶応義塾大学出版会刊)
3.「流」(講談社刊)東山彰良著
4.「淵上毛錢詩集」(石風社刊)前山光則編
5.「時間」(岩波現代文庫刊)堀田善衛著
6.「パウル・ツェラン詩文集」(白水社刊)飯吉光夫編・訳
7. 詩集「聖地サンディアゴへの道」(土曜美術社出版販売刊)富田和夫著
8.「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋社刊)立花隆著
9.「我が詩的自伝」(講談社現代新書)吉増剛造著
10.「クレーの日記」(新潮社刊)南原実訳
11.「破船」(新潮文庫刊)吉村昭著
12.「星への旅」(新著文庫刊)吉村昭著
13.「関東大震災」(新潮文庫刊)吉村昭著
14.「戦艦武蔵」(新潮文庫刊)吉村昭著
15.「三陸海岸大津波」(文春文庫刊)吉村昭著
16. 詩集「怪物君」(みすず書房刊)吉増剛造著
17. GOZOノート②「航海日誌」(慶応義塾大学出版会刊)吉増剛造著
18. GOZOノート①「コジキの思想」(慶応義塾大学出版会刊)吉増剛造著
19. GOZOノート③「わたしは映画だ」(慶応義塾大学出版会刊)吉増剛造著
20.「心に刺青をするように」(藤原書房刊)吉増剛造著
21.「重力の虹」上・下(新潮社刊)トマス・ピンチョン著(佐藤良明訳)
22.「井筒俊彦全集」別巻(未発表原稿他)(慶應義塾大学出版会刊)
23.「真理の探求」(仏教と宇宙物理学者との対話)(玄冬社新書刊)佐々木閑・大栗博司著
24.「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」(青土社刊)森川すいめい著
25.「中論」上・中・下(第三文明社刊)龍樹著(三枝充恵訳)
26.「鉄格子のはめられた窓」(ルートヴィヒ二世の悲劇)(論創社刊)クラウス・マン著(森川俊夫訳)
27.「生き心地の良い町」(講談社刊)岡壇著
28.「在りし、在らまほしかり三島由紀夫」(平凡社刊)高橋睦郎著
29.「般若心経・金剛般若径」(岩波文庫刊)中村光・紀野一義訳注
30.「炸裂」(河出書房新社刊)閻連科イエン・クエンマー著
31. 詩集「真珠川Barroco」(思潮社刊)北原千代著
1.「戦争は女の顔をしていない」
トルーマンカポーティの『冷血』は、事件を追いながら、同時に(事実)を積み重ねて書くという、衝撃的な、ノンフィクション・ノベルの最高峰となった。この作品『戦争は女の顔をしていない』も、従軍女性記者が、戦争の中の、女たちを取材して、(事実)を書き記したものである。(ソ連の従軍女性たちの声を発掘)した稀有な作品。ノーベル賞受賞作家のデビュー作。ベラルーシ出身。
2. 語学の天才、数十カ国語を話した、井筒俊彦のアラビア語入門。単なる語学の本ではなく、アラビア思想も語ってくれた。
3.「流」台湾出身。九州に棲む。直木賞受賞作品。
スリル満点の読みもの。日常生活の、細部を描く作家が多い現代に、大きな「物語」を語ることができる作家の出現であった。
4.「淵上毛錢詩集」
小さなコトバの中に、熊本の方言の中になんとも言えぬ、人間味があふれる詩集である。肉声が詩の中に響きわたる詩人である。
5.「時間」
『広場の孤独』や『方丈記私記』や『ゴヤ』で知られた、戦後派の作家である。『時間』は、中国人の視点から描かれた「南京事件」が主題である。解説は、作家辺見庸氏。「歴史と人間存在の本質を問うた戦後文学の金字塔」
6.「パウル・ツェラン詩文集」
「20世紀ドイツ最高の詩人。旧ルーマニア領、現ウクライナ共和国で、ユダヤ人の両親のもとに生まれる。ドイツ語を母語として育つ。」「言語」しか信ずるものがない、絶望の淵で、詩作を続けた。コトバがそのまま、モノとコトになっている。精神病を患って、セーヌ川に投身自殺。ニンゲンの、最後の拠りどころ、コトバを生きた人。
7.「聖地サンディアゴへの道」
語学学者による詩集である。温和な人柄がそのまま、ゆったりとした詩風をつくりだしている。
8.「武満徹・音楽創造への旅」
思想の人・立花隆が、こんなにも、音楽に精通しているとは、驚きであった。武満徹をライブで聴き、感動し、音楽を学び、分析し、ロングインタビューを試みた「本」である。武満徹も立花隆を信用して、徴に入り、細に入り、語りつくし、立花は、武満の音楽創造の秘密に迫り、終に、ニンゲン武満徹を、見事に浮かびあがらせている。
9.16.17.18.19.20
詩人のM氏と二人で、東京都近代美術館で催された「吉増剛造展」を観に行った。(聴きに行った)詩人の個展?いったい何があるのだろう?吉増独自の写真、記録ビデオ、絵のような、詩の文字、銅版画、吉本隆明・中上健次の原稿、(声)を集めたカセットテープ(数百本?)もう、これ以上観ると、聴くと、神経が破れる、と会場を後にした。50年前、吉増の「黄金」詩篇に感動して、憑かれたように、吉増剛造の世界を読んできた。「吃る人」「分裂している人」「閉じ込もる人」「叫ぶ人」現代の、唯一人の生きる(詩人)であろう。文学には、詩には、独自の、ニンゲン宇宙があると、証明してくれる稀有な詩人である。
10.「クレーの日記」
『ゴッホの手紙』は、長い間、私の枕頭の書であった。ヒトが生きるとはどういうことか?仕事とは何か?ニンゲンとは何か?そんな声が響いてくる。「クレーの日記」も、「ゴッホの手紙」に匹敵する「本」であった。あの絵画の背後に、こんな、コトバがあったのか、と、クレーを見直した。
11.12.13.14.15
市民の為の「読書会」を頼まれて、『破船』が、テキストとして選ばれた。これを機会に、吉村作品を読んでみた。いわゆる「純文学」から「戦記物」へと舵を切った、吉村作品、『三陸海岸大津波』は、3・11があった為か、非常に、魅力された作品であった。
21. 世界の深甚徴妙で超難解な小説といえば、
①ドストエフスキーの四大長編
②ジェームス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』
③埴谷雄高の『死霊』
そこに、第四の作品が加わった。トマス・ピンチョンの大作、『重力の虹』である。「読解不能」であって「猥褻」とされる、2900枚の超問題作。佐藤良明が、翻訳に七年を要した。
22.「井筒俊彦全集」
最終巻。3~4年、井筒俊彦を読み込んできた。空海以来の、語学の天才であろう。思想は、日本を超えて、世界的である。感謝と!!
23.「真理の探求」
仏教学者と宇宙物理学者との対話である。(仏教)も、また、時代とともに、その受容と解釈が変わる。
24.27
私の故郷の徳島県、海部郡、海陽町が、二人の学者にとりあげられた。「海部町が日本で一番、自殺率が低い」という理由で。(私の故郷はお隣りの宍喰町ー合併)
25.「中論」
第二の仏陀と呼ばれる龍樹(ナーガルジュナ)の主著である。仏教学者中村元が、50年間『中論』の研究をしている。(『空の論理』)「空」と「縁起」と「中道」。仏教ー日本の八宗の祖である龍樹。その思想は、深甚微妙であって、一読、二読でわかるようなものではない。読破したよろこびが、今、私にある。
26.「鉄格子にはめられた窓」
トーマスマンの息子の小説である。偉大な父をもって、父と同じ仕事をする者の、困難と悲劇。(自殺)
28.「在りし、在らまほしかり三島由紀夫」
三島由紀夫に、詩を認められて、三島が自殺するまで、親交のあった、詩人による三島論である。学者、評論家には、わからない、生身の三島由紀夫が、語られていてとても、スリリングな本である。
29.「般若心経・金剛般若経」
日本人には、一番よく知られているお経、(一番短かい)「般若心経」いろいろな解釈がある。「空海」さんにも、「般若心経秘鍵」がある。
30.「炸裂」
ノーベル賞に、もっとも近いといわれている、中国人の作家の長編小説。骨太な文体で、奇怪な世界を出現させる。
31.「真珠川・Barroco」
十年ほど前、見知らぬひとから、一冊の詩集が贈られてきた。(『ローカル列車を待ちながら』)二十年も、詩を書くのを止めていたこと。夫の転勤でドイツで生活したこと。更に転勤で、徳島へ。(徳島)は私の故郷である。何かの縁だと思って、感想をお送りした。オルガンを弾いて、詩を書くひと。今年のH氏賞受賞者が「北原千代」さんだと、日経新聞で知った。第四詩集であった。おめでたいことである。(詩集については、私のホームページの書評欄に書かせてもらった)
はじまりは、(私)が存在するという不思議と驚きと発見からだった。コトバが来た。コトバの水脈を追って、ココロの一番深い井戸へと、十二年かかって、降りて行って、第四詩集が、結実し、川となった。その名前は「真珠川」である。
詩集を手にとって初読(直観で)一日置いて再読(思考が廻る)ふたたび、寝かせて(心読する)。コトバに身をゆだねて。コトバに染められたところで、気に入った数篇を、朗読してみた。声に出して。
「本」は、何ヶ月も、何年もかけて、書かれたものだから、一日、二日で、読みあげて、終ってしまうのでは、あまりにも、もったいない。いや、読み込める訳がない。覚えて、記憶に刻んで、そのコトバとともに、歩けるようになってこそ。
風景が、単なる(描写)であったものが、(生きもの自体)へと、変化するあたりに、北原の心境の深化があって、最後の一行で、世界を、読者のものへと投げかける、転換の妙が、作品を、外部の世界にむけて、開かれたものとする、力が備わってきた。
「朝の鍵盤を押すと、あなたがあふれる」(「もえあがる樹のように」より)
「夜ごとからだと交換したことばを入れておくから」(「金柑の実」より)
「継ぐ息の波紋が返信する」(「交信」より)
見えないものを、見えるものたちで、ていねいに、ていねいに、書き込むことによって、表出する。(ソレが、見えるかどうかが、作者の腕、わかるわからない読者の、境目)
確かに、三つの世界が見えてきた。
①「水の音楽」が流れはじめた
②「あなた(カミ?)の声が響きはじめた。
③「血族」たちの(父・母・おじいちゃんなど)姿が見えはじめた。
もう、北原の紡いだコトバと一緒になって三つの世界を歩いて、苦楽を、共にしている。ようやく、詩を、そのコトバを、超えたころのものを、視はじめている。
ある夜、偶然、ラジオの深夜放送で、ヴァイオリン奏者・千住真理子のコトバと音楽を聴いた。
練習、訓練を、積み重ねれば、たいていの音楽は、弾ける。しかし、「バッハの音楽だけは、禅僧のようにならなければ、弾けない」
闇の中で、同志を発見したような、喜びが全身に走った。
”無”と”無限”の結婚が、バッハの音楽だと、長い間、考えていた私は、無伴奏パルテイターとシャコンヌのことを想った。
千住真理子は、生演奏で、バッハを弾いてくれた。禅僧になって作曲したバッハ、禅僧になって、バッハ音楽を弾いた千住真理子、当然、聴く私も、禅僧になっていた。
不思議なことに、三人は、一人になっていた(3→1)
深甚微妙な、バッハによる無限音楽があった。無限宇宙そのものであった。
北原千代も、教会で(?)オルガンを弾くひとだと知った。
やはり、あの「あなた」は、カミであろう。「あなた(カミ?)へと歩く人」から「あなた(カミ?)を歩く人」へ、北原の詩も、変容するような、予感がするのだ。
千住真理子の演奏は、北原の詩法に、ひとつの、ヒントを、与えそうな気がする。
「Barroco」に秘められたものは、深甚微妙な、バッハかもしれない。
(2017年3月14日)
(注:『Barroco』の本来の意味は「いびつな真珠」である。)
3251. 「言葉なき歌」をうたえと言う者がいる。
なるほど 絶対沈黙する 超球宇宙から 流れてくる 「コトバなき歌」がある。
3252. 一秒の歩行は百年の歩行。百年の歩行は百三十七億年の歩行である。
3253. コトバの種子よ、百花繚乱となって(私)の宇宙を形成せよ。
3254. 必要とあらば、原子、量子の見えぬものたちをも、見える眼を獲得せよ、ニンゲンよ。それが、進化だ。
3255. 意識、心、魂と、眼に見えぬものたちをも、見てきた、ニンゲンである。
3256. 千里眼、透視者、予言者、古代のニンゲンの眼を、あなどってはならぬ。
3257. 釈尊の瞬間移動、役小角の空中浮遊、ランボーの透視、キリストの予言と復活、神変・奇蹟は、起こるものだ。
3258. 光の三原色は(緑+赤+青→白) コトバの三原色(歩くコトバ・緑+踊るコトバ・赤+跳ぶコトバ・青→黒)である。
3259. バラモン教風に言えば、学ぶ、働く、想う、祈るがヒトのたどる一生の道程である。
3260. 戦争は、人類が生んだ、最大の愚行・狂気である。戦争は、同じニンゲンを、敵と味方に分ける。そして、者(ヤツ)は敵だ、殺せ!!という論理である。超法規の下に、禁じられている殺人を認める。敵は、悪であり、ニンゲンではない。味方は善であり、ニンゲンである。
3261. 真夏の光に悲しみがある。熱風に、生のゆらぎがある。息と息の間に(私)がいる。輝く砂粒が私語している。見えないもの・聴こえない音。姿・形が誕生して、波となって、光って、消えてしまう夏。
3262. 影たちと、魂たちと、静かに、共に、生きている。深く、深く、深く。
3263. 形(文章)にしてこそ見えてくるものがある。私の『喪の日記(コトバ)』(詩)を読んで妹が、しみじみと言った。
「こんな父(ひと)なら、もっと、尊敬してあげればよかった」と。
6264. 死者となってこそ見えてくるものがある。書いてこそ、現れてくる姿がある。ゆえに、死者も、語るのだ。
3265. 生者の眼と死者の眼。魂のコトバは、死者が放つコトバの謂である。で、ココロの眼に見えるのだ。
3266. 木と人が音信(シグナル)を交感する日、その時、脳ではなく 声ではなく 文字ではなく 魂のコトバが飛び交うだろう。
3267. 発光せよ!!(私) そんな声が、どこからともなくやってきた。真夏日の路上で。
3268. 光の化石・ニンゲン(私)よ、また、ふたたび、光に還るのだ。
3269. ニンゲンは、宇宙の中で、(私)自身を生きてやろう、と思うのに、いつの間にか、世間の、社会の中で、職業=(私)として生きてしまう。
3270. 思考するにしても、ニンゲンは、習慣の中で、考えてしまう。長い時間をかけて身につけた習慣である。だから、習慣を捨てて、新しい一歩を踏み出すのは、容易ではない。
3271. 思考の外部へ出ると、自然そのものがあるのだが、ニンゲンは、(私)を見失ってしまう。
3272. 死者は、光の速さで、宇宙を翔んでいるから、齢をとることがない。ホトケは光であるから。
3273. 読書は、黙読、朗読と手で読む書写の三つである。
3274. ニンゲンは、どんな人でも、それぞれの立場で、それぞれの役割を演じ続けて生きている。(社会的私)
それから、ニンゲンは、自分自身を生きはじめ、存在そのものを呼吸して、死んでいくのだ。(宇宙的私)
3275. いつまでも、立場や役割にこだわって生きている人は、見苦しい。一切は、無常迅速に、変化し、過ぎ去っていくのだから、宇宙での、生の一回性に、眼を転じて、死に、深く、想いをめぐらすべきである。
3276. 「人間原理」で生きるニンゲンでも、晩年は、最後は、「宇宙原理」の不思議へと、身をゆだねるべきである。深淵へ。超球宇宙へ。
3277. 任意の点が無限へと飛翔する快楽・瞑想を通じて。
3278. ニンゲンは、それぞれが、意識が認識した位相=世界=宇宙に生きる動物である。ゆえに、同時代を、生きている人達も、同じ宇宙に、生きているとは限らない。(アインシュタインと凡人)
3279. 科学者は、宇宙が、ビッグ・バンから誕生した、無から誕生したと、理論で証明したが、なぜ、宇宙というものが、誕生しなければならなかったのか、は、証明、説明できない。で、ニンゲンは、哲学する、宗教する!!文学をする!!
3280. で、ニンゲンが、宇宙に生きている意味も意義も、決定できない。さて、あなたはいったい、何を生きているのか?
3281. どんな場所に立つかで、見える風景の姿は変わってくる。どんな位置に立つかで、見える人の姿は変わってくる。どんなココロの位想に立つかで、人生の姿は変わってくる。
同じ風景、同じ歌、同じ世界は、どこにもない。いつも、モノもコトも、無限変化してしまう。(私)も、決して、固有のニンゲンではないのだ。
3282. 新緑(色)は、静か(音)になり、やわらかく(質感)になり、平和(コトバ)になる。不思議な変身である。(見る=聞く=触る=考える)
3283. ヒトは、それを「光」と呼んでいるが光自身がコトバである。
3284. 言語としての、声としての、文字としてのコトバを超えて、交通するもの、発信するもののすべてが、広義のコトバである。
3285. ゆえに、存在は、コトバである。アーラヤ識の、種子が、コトバの源である。
3286. いったい、何が起こっているのか?生きるをしている(私)という現象に。
3287. 現象としての自然(モノ) 現象としての生命(コト) 見る、考える、直観する(交流)
3288. いつも、何かをしている 何もしてくなくても。在ることと無いこと。それ以外ない。
3289. 一切を放り出して (私)を放り出して なお、残るものよ!!
3290. 青い柿の実が落ちた、地面に。痛い、生命が。
3291. 地球の風、銀河の風、銀河にも秋風が。見えた!!
3292. 何もしない日。現代人に、必要な日。しかし、ヒトは、何もしないことを畏れている。
3293. (私)が私自身と和解したから、私の体調不良が回復したのだろうか?呼吸に集中して、呼吸をしていた。
3294. 人類のコトバは、進化しているか?退化しているか?孔子・釈尊、ソクラテス、イエス・キリストのコトバから、ヒトは、どのくらい遠くまで歩いてきたのか?あるいは、退行したのか?
3295. 当然、コトバは、声、文字というだけではない。天からの「啓示」も含んでいる。アーラヤ識から吹きあげてくる種子のコトバでもある。
3296. 大学の文系を少なくして、理系を多くする―国―現代の政治家の方針。
文系(文学・教育・哲学・倫理・芸術)は役に立たず、理系(機械・道具・コンピューター・車・ロケット・飛行機)などのモノ作りが、社会・人間の役に立つという、思考・方針。
愚かである。無知である。狂っている。ニンゲンを結びつけ、楽しませ、生きる力となっているのは、「コトバ」ではないか!!
(表現)の根本である、文系を軽視すれば、国が、民族が滅ぶ。
思考力の浅い、深い知識も、教養もない、政治家たちが、勝手に、(教育)を悪化、劣化させようとしている。
3297. ひとつの(事実)は、いつも多面的である。AがAのままであるならば探求は、実に、容易であるが。AがBであり、AがCであり、(量子的事実)は、いつも、ヒトを混乱させる。狂わせる。慣れることは可能であろうか?
3398. 木と親しくなると(眺め続ける) 肉親に対する感情と同じようなものが、(私)の内部から流れ出してくる。
3399. 音―音楽を聴いて感動する―(普通の音楽) 音楽を聴いて、深く、深く、深く、思考してしまう(武満徹の音楽)
3300. ある日、突然、瞑想の中に、金色の兜と朱色の鎧を着た武士が現れた。そして、風景の中に、居坐り続けている!!峠に坐って、眼下に、蛇行する川、菜の花、水の輝きを海を、遠望する、私のイメージ・瞑想。
あなたは、誰だ?私の守護神か?
海に渇いていた
で 海に行った
海を 眺めても眺めても眺めても
もう
海は 海ではなかった
森に渇いていた
で 森に行った
森を 歩いても歩いても歩いても
もう
森は 森ではなかった
ヒトに渇いていた
で ヒトに会った
ヒトと 話しても話しても話しても
もう
ヒトはヒトではなかった
美・金閣寺に渇いていた
で 金閣寺に行った
金閣寺に 祈っても祈っても祈っても
もう
金閣寺は 金閣寺ではなかった
で 猛烈に生きてみた
もう
で 死んでみようと思った
もう
コトバに渇いていた
で コトバを書いてみた
コトバを 書いても書いても書いても
もう
コトバは コトバではなかった
(2016年4月6日)
3201. ゴッホの、絵画の、渦の生成の秘密はいったい、どこに、あるのだろうか?あらゆる水は廻る。あらゆる空気は廻る。あらゆる物質(素粒子)は廻る。時空は廻る。スピンする宇宙である。存在と非在の根の根を、ゴッホの眼は視た、渦だ!!と。
3.11の大津波の渦、原発の原子の渦、大地震の揺れる渦、そこから一切が起ちあがってくる。
-宇宙渦を、ゴッホは透視した-(吉増剛造の『我が詩的自伝』を読みながら)
3202. 「吃る」、「閉じ込もる」、「分裂する」、「非常時」が来る。発語する-詩-である。「怪物君」が顕現する。吉増剛造よ、あなたは、いったい、どのような宇宙に、生きているのか?
3203. 分裂もせず、失語もせず、自殺もせず、離婚もせず、狂気と正気の境界線の上をコトバで歩いてきた。吉増剛造が77歳になった!!現代にも、詩人が存在できる、証明となった。何時、一線を越えて、壁の向こう側へ落ちるか、わからない、もう、二度と、戻って来れない、吉増のコトバは、そんな危険に満ちている。
何処へ行くかわからない(おそらく、本人も)詩のコトバは、スリル満点で、いつも、新しいモノとコトが生成される。吉増宇宙を航海する快楽は、至福の読書でもある。
3204. ゴッホは、渦を見る。(私)は、光の独楽(スピン)を見る。直視、幻視、透視する力のあらわれ。
3205. 春の菫色の空間に舞う光の独楽が、ただ坐っている(私)に力を与える不思議!!生命が呼応して疼くのだ。
3206. 特別なことが何もなくてもただ、二時間、歩き続けただけで(私)の内部が改変された。
3207. 光で、質量が一気に変わってしまった春の坂道で、山桜花の白が、生命の頂点にあった。
3208. 神的シンタックスが、舗石の坂道から立ち昇ってくる気配に、熱っぽさが増している(私)が、不意に、目覚めた。
3209. 無限変容する、存在を、無限放射する大慈悲を、それを、「大日如来」と呼ぶ、「法身」と呼ぶ、空海よ!!大宇宙のことだなと了解する。で、宇宙は、「法身のコトバ」であった。
3210. (1)であれ(私)であれ、宇宙そのものの謂であろう。
3211. 事象の地平線、存在の消失点、(私)もまた、そこへと、宇宙の風に吹かれて行く者である。
3212. 宇宙の消失が、あらたな宇宙のはじまりであると、どうやって、証明できるか?人間よ!!
3213. 宇宙で一番、速いものは?と問うと、ほとんどの人が、(光)であると答えるだろう。実は、(光)は、宇宙という器が出来てから、宇宙を飛ぶ、一番速いものである。答えは、宇宙という存在が誕生して、時空間という拡がりが生じた、そのスピード、宇宙のインフレーションが、宇宙で一番速いものである。
3214. (光)は、宇宙という時空を超えられない。時空のないところには、(光)は存在しない。???すると、闇の、ダーク・マター、ダークエネルギーは、時空を超える存在であるかもしれない。
3215. 形の在る無しに、こだわってはならぬ。存在と非在は、背中合わせである。
3216. 存在は、エネルギーの、まばたきに過ぎない。
3217. 負のエネルギーは、形のないものを構成するであろう。ニンゲンの眼には見えないが。
3218. (虚)の存在は(虚)の鏡が写すであろう。
3219. (生)と(死)という区分そのものが、「人間原理」からくるものだ。「宇宙原理」では、意味を成さない。(在る)は(無い)。(無い)は(在る)と。
3220. ニンゲンよ、たまには、一日という時間を生きる、地球の時間を離れて、1000億兆年の時間を想像してみよ。空には、星も銀河もない、ただ、闇だけがある、宇宙!!
3221. 眼の限界、見るという限界、さて、その時、五感以外の何が役に立つか?眼の誕生は、次のステップに何を待つか?
3222. 百年、千年、万年、億年、兆年、時間の旅を考えてみると、ニンゲンの、宇宙への、最終目標が定まるだろう!!無限個宇宙への旅である。
3223. 科学の証明が役に立たぬ。科学が通用しない時代には、ニンゲンが、次の存在へとステップする時だ。(猿)から(人間)へ跳んだように。(人間)から(x)へと跳ぶ。
3224. 無限変容する存在の、ひとつの通過点に(私)は、ニンゲンとして、在る。
3225. 虫が蝶になって空を飛ぶ不思議。ニンゲンが、姿、形を変えて、宇宙を飛ぶ不思議へ。
3226. (夢)の形は、いつも、ニンゲンの、来たるべき存在を、暗示している。
3227. ニンゲンが(私)に至った無限時間と死んでからの、無限時間と、いったいどちらが、長く、重要であろうか?一瞬の、現世を生きる(私)が、何に、重きを置かねばならぬか、もう一度、よくよく、考えてみなければならぬ。
3228. 理性(知)と良識と常識で、生きてきたニンゲンが、3・11を体験してみると、ニンゲンの(知)を超えた、不条理と、不思議の時空に、身をゆだねたくなったのも、当然である。
3229. (知)が壊れて(知)の外に(信)を置く、小さな、小さなニンゲンの(脳)の外に生きる、いや、内と外、数さえ、越えねばならぬ。
3230. 考えるな、ただ生きよ!!(A)なるほど。疑え、一切を!!(B)なるほど。
3231. 思考(意識)があってか(B)存在(モノ)があってか?(A)
3232. 宇宙の(量子の)意識を考えると、カミの存在が浮かびあがる!!
3233. (無)からの自己生成化(生命化)がある(科学的)、カミの存在をぬきにして(宗教的)
3234. 存在(モノ)を発見するのは意識(考える)であって、それを表現するのがコトバだ。-それは、本当であろうか?
3235. 意識の発見なしに、宇宙(時空)は存在しない、ニンゲンにとって。
3236. 流れる、流れる、大きな時空が流れる。無常迅速に。母が死んで。
3237. 帰らないのは何だろう 帰れないのは何故だろう 帰らないのは誰だろう 帰れないのは何時だろう?
3238. 生きても生きても、生きれば生きるほど、ヒビ割れるニンゲン存在である。
3239. 生きてもいけない、死んでもいけない、いつも、ニンゲンは、ダブル・バインドの中にいる。
3240. 解決などという便利なものはない。だから垂直にも歩け。
3241. 混沌なら、まだ、いい。エネルギーがあるから。
3242. 閑かに、生きる。足元には、いつも炎が。
3243. 在ったような、無かったような、手触りも希薄な、生命となった。(アラユル物ヲ、忘レテシマウ)
3244. 考える(私)を棄てる日も月に一度くらいは持ちたい。
3245. 他人の沈黙(コトバが来ない) (私)の沈黙(コトバを発しない) 宇宙の沈黙(コトバが死んでいる)
3246. 本当の(私)の沈黙とは、話さないだけではない。(私)のココロも(私)の思考も(私)の感情も(私)の意識も一切が、動かないことである。
3247. 水を廻している。(私)の全身に。いや、本当は、水の中を(私)という生命が廻っているのだ!!
3248. 一切をよく見る、よく考える、いや、洞察するのだ!!深い洞察は宇宙に至る。
3249. 恐怖も不安も畏れもその観念や概念を消し去れば、(私)は私自身を自由にできる。
3250. 歩くは、一歩毎に、(私)を捨て去る行為である。現れる、消える一切が(足、歩く)になる。
1. ニンゲンの死は、悲しみであろうか(人間原理の)不思議であろうか(宇宙原理の)
2. 「家(うち)には、持たせるもんが、なんちぁないさかいなあ」女は、嫁入りの朝、母親から、新しい風呂敷包みを、ひとつだけ手渡された。(内には、尋常高等小学校の成績書が一枚入っていた。オール甲で、一番だった)
3. 「実に見事な身体だ。惚れ惚れするな。兵士になる為に、生まれてきた男だ。」男は、徴兵検査の日、試験官たちに、全身を撫で廻された。とびっきりの甲種合格で、砲兵として、中国大陸へと送り込まれた。
4. 父が死んだ。二人目の父も死んだ。老いた母と六人の弟妹が残された。男は、十二歳で自転車に乗って、土方に出た。愚痴も文句も悲しむ暇さえなかった。毎日毎日一日千回、ツルハシを振りあげ、スコップで土を掬い、砂利をモッコで運び、玄能で石を割った。大男の肉体は筋肉繊維で弾んだ。
5. 「熱(あず)っても、熱(あず)っても、百姓は楽にならん」軍隊は、戦場は、男の第二の学校であった。(敵を殺すこと、人を組織すること、火薬を扱うこと)男は、軍隊の経験をもとにして、建設会社を設立した。弟二人を従えて。日本列島改造のうねりが足元にあった。道を開き、堤防を築き、橋を架ける、生涯だった。
6. 男は、背が高くて、賢い娘を、嫁に探していた。
7. 女は、男からの縁談を断り、断って、逃げて、逃げて、逃げ廻ったが、母と叔母の執拗な説得に根負けして、隣村へと、橋を渡った。(頑強で、男前、悪い男ではないと)
8. 「同じ人間でも学がないと辛い」子守り、お手伝い、店番、女中、と。そして、土方の親方の女房となった。子供たちは、大学まで行かせてほしいと、女は男に約束させた。
9. 「死者は玄関からは出さん」樒の葉で水を含ませ、棺には、金剛杖、草履、お米、お金、孫たちの写真、俳句の雑誌を入れた。叔母が庭先で、お茶椀を割って、引導を渡した。
10. 死顔に、こんなにも美しい”微笑(ほほえみ)”が浮かびあがるものであろうか?一切の”苦”が洗い流されていた。「今度は、あんたらの番やな」
11. 小さな村のお寺の庭も道も橋上も、弔い人であふれていた。約二百人。人好きで、話好きで、機知(ユーモア)のある人柄が、縁の結びの多さをあらわしていた。「やよいさん、ええとこ行きよ」一人の老婆が、白い菊を、棺に入れて、呟いた。(本当に、お世話になりました)
12. 男は、私の父、女は、私の母、地球で、縁あって、生命のバトンを、受け取った。誕生も、生も、死も、宇宙の(量子の)不思議な縁である。最後のコトバは、さようなら、ではなく、ありがとう。
(2015年10月3日母永眠 享年92歳)
1. 小説「ブッダ」(いにしえの道 白い雲)(春秋社刊) テイク・ナット・ハン著
2. 句集「流砂」(ふらんす堂刊) 光部美千代著
3. 「ブッダの幸せの瞑想」(サンガ刊) テイク・ナット・ハン著
4. 「死もなく、怖れもなく」 (春秋社刊) テイク・ナット・ハン著
5. 「幽霊の真理」(水声社刊) 荒川修作・小林康夫 対談集
6. 「絶歌」(大田出版刊) 元少年A著
7. 「空海はいかにして空海となったか」(角川選書刊) 竹内孝善著
8. 「江分利満氏の優雅な生活」(新潮文庫刊) 山口瞳著 (再読)
9. 「説話集の世界①②巻」(古代・中世)(勉強社刊)
10. 「中世説話の世界を読む」(岩波書店刊) 小峯利明著
11. 「日本古典文学と仏教」(筑摩書房刊) 石田瑞磨著
12. 「電車道」(新潮社刊) 磯崎憲一郎著
13. 「東京発遠野物語行」(論創社刊) 井出彰著
14. 「井筒俊彦全集」(第11巻-意味の構造)(慶応義塾大学出版会刊)
15. 「仏教文学概説」(和泉書院刊) 黒田彰・黒田彰子著
16. 「新約聖書」(作品社刊) 訳と注 田川建三訳著
17. 「倫理とは何か」(ちくま学芸文庫刊) 永井均著
18. 「科学者は戦争で何をしたか」(集英社新書刊) 盛川敏英著
19. 「犬の力を知っていますか?」(毎日新聞出版) 池田晶子著
20. 「生きて帰ってきた男」(岩波新書刊) 小熊英二著
21. 「天来の独楽」 (深夜叢書刊) 井口時男句集
22. 「詩の読み方」(笠間書院刊) 小川和佑近現代詩史
23. 「空海」(新潮社刊) 高村薫著
24. 「イエス伝」(中央公論新社刊) 若松英輔著
25. 「1★9★3★7(イクミナ)」(金曜日刊) 辺見庸著
26. 「生きた 臥た 書いた」(弦書房刊) 前山光則著
27. 「証言と抒情」~詩人石原吉郎と私たち~(白水社刊) 野村喜和夫著
還暦を過ぎると、急に、眼が弱くなって、文字を追う読書が辛くなる。なにもかも読む訳にはいかない。よく生きた人の、その人自身のコトバとなっている「本」だけに絞り込んで、読書をする。
若い時の読書は、知への衝動であるが、老いた時の読書は”愉楽”である。
1. 「ブッダ」
仏教の開祖、ブッダの生涯を語る物語である。
研究者、学者、作家、おびただしい「本」が、ブッダについて、書かれている。どの本も、一長一短があって、なかなか、完璧なブッダ伝はない。
①資料文献を読み込んでいる
②仏教の実践者である(信心)
③詩心(文体)をもっている
結局、①②③を兼ね備えた人がいなかった。で、どこかに、不満が残る。テイク・ナット・ハン師は、①②③を身につけた人である。物語の瑞々しさ、仏教思想、修行法まで、一切が、表現の中にある。宗教がテーマの最高の小説であった。
2. 句集「流砂」
古武士のような、評論家・井口時男のエッセイで、光部美千代という俳人を知った。俳句が、ここまで、ニンゲンそのものを表現できるのか?と感嘆した。
特に、病死する直前の、俳句は、無限遠点から、降りてきたコトバが、生きものとなって、光部美千代の内部で、ふるえていた!!
5. 「幽霊の真理」
天才であった荒川修作が逝って、もう、何年になるのだろうか?対談者の小林康夫は、アラカワの謎へ、呼び水となるコトバを投げる。実にスリリングな対談集(天命反転)
6. 「絶歌」
元少年Aの「本」
人は、コトバで生きる。少年Aは、誰にも見せず、自らのコトバを、ノオトに書き記すべきであった。存在そのものを支えるノオトのコトバで。(ラスコールニコフの老いたコトバで、ムイシュキンのコトバで)(失望した)
12. 「電車道」
一行よ、起ちあがれ!!迷宮へと歩行する磯崎の小説は、一行一行が、発見であり、スリルあふれる小説世界であった。
しかし、今回の小説は、(説明)の文章が、リアリティを剥ぎ落としていた。残念。設計図なしに、建築をする磯崎の手法が、今回は、空廻りしている。
なぜだろう?百年の時間の流れが、感じられない。
13. 「東京発遠野物語行」
(遠野物語)の研究者。評論ではない。(遠野)とは何か?何処か?作者・井出彰の内部にあるニンゲンにとっての(遠野)が描かれた「本」。
18. 「科学者は戦争で何をしたか」
ノーベル賞を受賞した、科学者益川敏英の、3・11「原発事故」に対する、怒りと警告の書である。
ニンゲンは、科学で、宇宙をどうにかできるのか?政治化へ、軍事化へと、利用され続ける「科学」である。「ニンゲンと科学」を、再考するメッセージが熱い。
科学者の良心が書かせた「本」。
19. 「犬の力を知っていますか?」
池田晶子の「本」は、ほとんど読んできた。いつも、池田の、思索するコトバの波に乗って、時熟する読書の時を楽しんできた。
今回の新刊も、かつて、読んだエッセイばかりであったが、読む度に、作者の声=コトバが、私の中に、響きわたる。
もう、池田晶子が死んで、10年にもなろうとしている。
21. 「天来の独楽」
不思議な縁で、井口時男の評論(秋山駿)を読んだ。そして、俳句を読みに至った。「評論」の文章よりも、俳句の方に、井口時男の肉声を感じた。論理を超えたところにあるコトバが、私の直感を刺したのだろう。
大病の後、光部美千代と共に生きた、俳句の時が、井口時男の中に、甦ってきたのか?
モノそのものになる俳句 コトバそのものになる俳句 ヒトが俳句になる!!
ごろた石のぬくみなつかし河原菊
追悼秋山駿の句がうれしい!!
22. 「詩の読み方」
小川和佑は、私の「小説」の発見者である。はじめて、公的な、書評誌で、私の「風の貌」を読み解いてくれた人である。詩と小説が、両方ともわかる評論家であった。
本書は、ご子息の靖彦君が亡父の生誕八十五年の日に、編んだもの。萩原朔太郎にはじまって、堀辰雄、立原道造、伊東静雄・・・吉本隆明まで14人の近・現代詩人の詩が読み解かれている。
23. 「空海」
宗教に縁がなかった高村薫がはじめて、宗教と宗教者・空海に立ちむかった。
なぜか?(しかも、秘められた宗教-密教に、空海に)
高村は、神戸、淡路大震災を体験している。そして、3・11の、大地震、大津波、原発事故の後、ニンゲンの”知”や”科学”や”論理”の破壊と限界を経験し、それらを超えたものを、考えはじめる。
そこに”密教”があり”空海”がいた。
名著「空海の風景」の著者、司馬遼太郎は、空海の著作はもちろん、研究書、評論とおびただしい文献を読み込んでニンゲン空海の姿を、浮かびあがらせた。
(理)の人である。
高村は、空海の神秘体験(室戸岬の洞窟にて、瞑想する空海の口に、明星と飛び込んできた-宗教体験(入我我入)から、空海へと歩きはじめる(事)の人である。
宗教は、教学(経典)と事相(修行体験)から成る。論理、理性・悟性・思考を超えた世界へ。
高村は「空海」の世界と「弘法大師」の世界へ。ふたりの空海の発見へ。法身・大日如来の語る、コトバの世界へと、歩いていく。
「本書」は、科学的(真)から宗教的(真)へと、跳ぶ、作家高村薫の、大きな挑戦の書であった。いわば、良心の書である。書き終えたところから、高村は、実践の場、秘められた、密教そのものへむかわねばなるまい。
24. 「イエス伝」
幼き日より、イエスのコトバと共に生きてきた若松は、教会の外へ信仰心のない人へ、イエスのコトバを開いていく。
『井筒俊彦・叡知の哲学』を書きあげた若松にとって、イエスのコトバ、マホメットのコトバ、ブッダのコトバは「存在はコトバである」という井筒の哲学へと、昇華されていくのだろう。ここには、21世紀の人間が、宗教に立ちむかう、ひとつの姿勢が、提示されている。
26. 「生きた 臥た 書いた」
淵上毛錢の詩と生涯を、前山光則が書き切った。詩、小説等は、読者がいて、評者がいて、研究者がいて、何よりも「伝記作家」がいなければ、生き延びることができない。
ほとんど無名の「淵上毛錢」という詩人は、生誕百年にして、前山光則という作家の手によって、新らしい生命を吹き込まれ、甦った。
私自身、前山のエッセイ等で、詩人の存在を知った。詩のコトバは、簡単で、平易で、誰にでも読めるものだが、広くて、深くて、実に、あじわいがある。病人で夭折した詩人であるが、結婚して、子供が出来て、病いの中にも、生命力、ユーモア(機知)があり、深き笑いの中に、なんとも言えない、ニンゲンの形姿が浮かびあがってくる「本」である。
27. 「証言と抒情」
詩人、野村喜和夫による「石原吉郎論」である。最後最大の詩人(コトバの力)である、と、私は、信じている。
レヴィナスの思想「イリヤ」とパウル・ツェランの詩を石原吉郎の「詩」に対峙させることで、シベリアのラーゲリーから、海を渡って帰国した、単独者の思想を論じている。
ニンゲンというモノが壊れてしまう体験をした石原が、対話の為に、他人と通じる為に、詩というコトバを、書きはじめる。(ニンゲンの形を求めて)
「位置」が「事実」が「条件」が「納得」が、こんなにも、固有の、石原吉郎だけのコトバになった例を知らない。コトバは誰にもどこへもとどかなかったのではない!!読む人の、心臓に、刺さっている。