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• 月曜日, 6月 11th, 2018

1.「苦海浄土」(河出書房新社刊)石牟礼道子著
2.「評伝 石牟礼道子-渚に立つひと」(新潮社刊)米本浩二著
3.「天災から日本史を読みなおす」(中公新書刊)磯田道史著
4.「刺青・性・死」(逆光の日本美)(講談社学術文庫刊)松田修著
5.「夫・車谷長吉」(文藝春秋社刊)高橋順子著
6.「仏教思想のゼロポイント」(悟りとは何か)(新潮社刊)魚川祐司著
7.「小説における反復」(作品社刊)坂井真弥著
8. 詩集「グッドモーニング」(新潮文庫刊)最果タヒ著
9. 詩集「空が分裂する」(新潮文庫刊)最果タヒ著
10. 詩集「死んでしまう系のぼくらに」(リトルモア刊)最果タヒ著
11. 詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(リトルモア刊)最果タヒ著
12.「開高健の文学世界」(アルファベータブック刊)吉岡栄一著
13.「芥川追想」(岩波文庫刊)石割透著
14.「輝ける闇」(新潮社刊)開高健著
15.「夏の闇」(新潮社刊)開高健著
16.「花終る闇」(新潮社刊)開高健著
17.「日の名残り」(ハヤカワ文庫刊)カズオ・イシグロ著
18.「遠い山なみの光」(ハヤカワ文庫刊)カズオ・イシグロ著
19.「浮世の画家」(ハヤカワ文庫刊)カズオ・イシグロ著
20.「わたしを離さないで」(ハヤカワ文庫刊)カズオ・イシグロ著
21.「忘れられた巨人」(ハヤカワ文庫刊)カズオ・イシグロ著
22.「浮虜記」(新潮文庫刊)大岡昇平著
23.「野火」(新潮文庫刊)大岡昇平著
24. 詩集「絶景ノート」(思潮社刊)岡本啓著
25.「永山則夫の罪と罰」(コールサック社刊)井口時男著
26. 詩集「愛の縫い目はここ」(リトルモア刊)最果タヒ著
27.「数学する身体」(新潮社刊)森田真生著
28.「文部科学省は解体せよ」(扶桑社刊)有元秀文著
29.「わたしたちが孤児だったころ」(ハヤカワ文庫刊)カズオ・イシグロ著
30.「夜想曲集」(ハヤカワ文庫刊)カズオ・イシグロ著
31~37.「須賀敦子全集」第2巻~第8巻(河出文庫)
38.「千年後の百人一首」(リトルモア刊)最果タヒ+清川あさみ著
39.「道の向こうの道」(新潮社刊)森内俊雄著

「読書」にもいろいあって、体力と時間とココロの用意がなければ、読めない「本」がある。作者自身が、生命がけで、ココロを叩き割られながら、書いている「本」がそれである。
意識が、はじき飛ばされてしまい、ココロは作品の色に染めぬかれて(出口なし)の状態になる。長い間『苦海浄土』を避けてきた。

①②偶然、米本浩二著『評伝 石牟礼道子-渚に立つひと』を読んだ。石牟礼道子その人を追った労作であった。その「本」に導かれて、『苦海浄土』に挑戦している。超大作である。一息ついては、休み、休んでは読み、石牟礼道子の世界に入っている。まだ、先は、長い。

③『天災から日本史を読みなおす』司馬遼太郎の次に、(歴史)を読み込んでいると言われている人、磯田道史。磯田の祖母が、徳島県牟岐町の出身と知る。徳島出身の私も(三つ隣の町)地震・津波に悩まされてきた昔話をよく聴いた。磯田の読み込みが面白い。

④『刺青・性・死』谷崎潤一郎の小説『刺青』は、美人の肌に刺青を刻む男の話である。彫師は、日本では、異端の仕事である?刺青は芸術か?美は異端の美か?私の甥(弟の長男)が、彫師になった。「刺青」とは何か?その歴史を知りたかった。

⑤『夫・車谷長吉』車谷の『四国八十八ヶ所感情巡礼』を「図書新聞」で書評をした。車谷本人が会社を尋ねて来たという。お礼のためか?さて、本書は、詩人でもある妻、高橋順子が夫・車谷を回想したものである。小説家と詩人の夫婦。そのなれそめから、夫の病い、お遍路、不意の死までを、ていねいに語っている。
島尾敏雄、ミホ夫妻にどこか似ている。夫が病気に、妻が病気にのちがいはあるが。

⑥『仏教の思想のゼロポイント』魚川祐司は、僧侶ではない。従って、どの宗派にも属していない。東大で、インド哲学・仏教学を専攻している。ミャンマーに渡って、5年間、テーラーワーダ仏教の教理と実践を修学している。
<釈尊>によりそって、日本仏教は、なぜ悟れないのか、と考察している。立場が、自由だから、<釈尊>のコトバにそって、語ってくれる。日本の仏教とは?と疑問をかかえる人はたくさんいる。<釈尊に帰れ!!>という書でもある。

⑦『小説における反復』「文芸賞」を受賞した作家の、最後の小説である。偶然作者の知人から頼まれて、感想を5枚ほど書いて、本人に送った。ていねいな礼状が届いた。数か月後に、坂井さんは逝ってしまった。
日々の、仕事、ニンゲンの「反復」する行為がテーマであった。横光利一、椎名鱗三、黒井千次等の「仕事」を継ぐ労作であった。
(後日、知人から、重田さん、いいコトバをありがとう、坂井の冥途へのいい土産になりましたと電話あり)

⑧⑨⑩⑪㉖㊳ 天才ランボーの詩、天才ル・クレジオの小説を思わせる詩人の登場である。<詩>が読まれない、日本の現代。コトバが、数万人の人に読まれている詩人である。そのコトバの自由度が、とても高く広い。ひとつの才能である。特に『千年後の百人一首』には驚愕した。単なる「百人一首」の解釈や注釈ではない。古代の、時代の(情景)や(意(ココロ))を最果の光のコトバが、現代の風景の中に顕現させるのだ。(和歌)の五七五七七が、自由な散文詩となっている。見事である。古代のコトバによる情景もココロも捨てずに、しかも、革新されたコトバで新しいリアリティをもって、世界を出現させる。正に(最果タヒワールド)である。
清川あさみの百の絵が、実に素晴らしい。コトバと絵のコラボレーションが、一体化している。

⑫⑭⑮⑯「稲門会」の読書会。開高健の世界を読む。テキスト『輝ける闇』
行動の人、食の人、釣りの人、そして何よりも「文体」を生命とした作家である。<純文学>の作家でも、「文体」らしきものを持たない者が多い現在、開高健を再読すると、眼が洗われる。一言半句に、開高健の審美眼がキラリと光る。しかし、同時に「文体」を持つ者は、追いつめられて、文章が書けなくなる。「闇」の三部作の『花終る闇』では矢は尽き、刃は折れて、苦闘する開高の姿が見えてくる。

⑰⑱⑲⑳㉑㉙㉚ カズオ・イシグロの世界へ。5歳で長崎からイギリスへ。主題は<記憶>である。
一作一作、場所も時代も変えているが、<文体>は変わらない。5年に一作しか書かない。(日本では、食べていけないだろうが)全世界で、読まれている。
<記憶>ニンゲンのアイデンティティを追求する姿勢が、読者の共感を呼ぶのだろう。<物語>モノカタリの人である。実によく取材し、観察し、熟考し、リアルを感じさせる<文体>を創出している。
<日本>と<イギリス>「と」がポイントである。「と」の深淵。

㉒㉓ 市民の「読書会」のテキストである。(春と秋に、市民の方たちにむけた「読書会」があって、私は、講師をしている)
『浮虜記』と『野火』第一次戦後派、ニンゲンの根源的テーマを小説にした。野間宏、武田泰淳、堀田善衛、椎名鱗三、埴谷雄高、梅崎春生・・・等々。
(戦争という事実)と(小説の創造力)

㉔『絶景ノート』中原中也賞とH氏賞をW受賞した詩人の第二詩集である。おそらく、現代詩の最前線の、若手の詩集であろう。
<旅>が舞台である。<日常>からのタビ。熊野へ。タイ・ミャンマー・ラオス・カンボジア・ベトナム。五感が捉える、風景、ヒト、コト、モノ、時間、空間、コトバが疾走する!!
疾走?少しだけ、吉増剛造さんのコトバの影響があり、しかし、そこから、自らの新しい地平へと、伸びるコトバがあって、確かに「ノート」のコトバになっている。「ノート」のコトバは秋山駿。着地できる「日常」はあるのだろうか?コトバは「日常」を生きられるのだろうか?

㉕『永山則夫の罪と罰』井口の30年にわたる<永山則夫>へのこだわりを、どのように考えればいいのだろうか?30年間、井口が書いてきた永山則夫論の集大成。コトバとニンゲン論でもある。(犯罪)の秘処を探っていいるのではない。あくまで、永山則夫が書いたコトバを徹々的に文学的に、考察している。
なぜ?ヒトは、コトバで起ち、コトバで生きる動物である。コトバを知らず、私のコトバを持てない貧困のうちにある者は、どうやって、(私)を表現する?井口は、あきらかに、自分の中にいる、もう一人の永山則夫を、凝視している。”私”も永山則夫であったかもしれないと。

㉗ コトバに生きる人=文学者。色と線に生きる人=画家。数・数学に生きる人=数学者。
『数学する身体』コトバは不思議だ。数はもっと不思議だ。宇宙を表現する、数、数式、E=mc2。算数から超数学まで。

<数>が、古代から、ニンゲンを魅惑してきた。大学の先生ではなく(独立研究者)として生きる、数学者・森田真生。手本は(岡潔)である。農耕と数学と念仏三昧の日々を生きた天才である(岡潔)。存在、在ることの不思議と発見から<数学>がやってくる!!
(コトバ)と(数学)何にせよ、驚きのないところに発見はない。だから、野に(私)を放つ。普通の日常に(私)を放つ、ただ、宇宙に在る!!と。

㉘『文部科学省は解体せよ』タイトルは、実に、過激であるが、読んでみると、ていねいな<教育論>である。
文部省は、小学生から、英語を学ばせる計画である。有元は断言する。ニンゲンとして生きるためには、英語ではなく、母語=日本語で、深く、思考できるように育てることが第一だと。
中学校、高校でも、生きた英語を教えられる教師がいないのに、英語教育のいろはも教わっていない、小学校の先生方が、どうやって、生徒に(英語)を教えられるのか?有元は、高校教師を経て、文部省に入る。アメリカで開発された読書による国語の指導法「ブッククラブ」を調査・改良して、日本で普及されている。いわば(考えるニンゲン)づくりをめざしている。教育者なら、一度は、読んで、耳を傾けてもらいたい「本」である。

㉛~㊲ ココロが渇いている時、良質のコトバを読みたいと思う。ていねいに、ていねいに人生を生きた人の声を聴きたいと思う。なかなか、そんな極上のコトバには出会わないが。
『トリエステの坂道』に、偶然出会った。どのエッセイも、読後には必ず、涼風が身体の中を吹きぬけた。実に、見事な文体の結晶があった。思わず、「須賀敦子全集」を購入した。熟読した。唸った。いったい、須賀敦子とは何者だ・・・と。
ココロの皺が眼に見える。他人への眼差し、仕事への熱情、文学、詩へのオマージュ、底に流れる宗教者としての息づかい・・・。イタリアでの生活、翻訳、結婚、労働、夫との死別、日本への帰郷・・・。日記、手紙、詩、翻訳、そして、見事な随筆。
疲れた時、神経が尖った時、ココロが渇いた時、須賀のコトバを、聖水のように呑む。たった7~8年の作品であるが、(全集八巻)は、一人のニンゲンの発見に至る愉楽がある。

㊴『道の向こうの道』森内俊雄、実に、なつかしい名前である。私の学生時代、新進気鋭の小説家であった。実にユニークな感性、不思議な物語。
25歳の時、小説『風の貌』を上梓した私は、敬愛する森内俊雄に読んでもらいたくて、手紙を出した。新潮社の別館で、カンズメになって、小説を書かされていた。閑かな一軒家で、庭が見える部屋でお会いした。机の上には、原稿用紙とペンと十字架があった。何度も芥川賞の候補になったが、どういう訳か?受賞できなかった!!(李恢成は受賞したのに、ロシア文学の同級生)
その森内俊雄が、八十代をむかえた。”純文学”で、生涯を貫いた作家である。作品に登場する場所、地名、喫茶店、酒場、食堂、すべてがなつかしい。早稲田の先輩でもある。(詩人であった!!知らなかった)(俳句を詠むのは知っていたが)
内向の世代(古井由吉、後藤明生、宮原昭夫、阿部昭)の一人であった。
森内さん、何時か、お目にかかりたいですね。もう、書くものすべてが、作品です。お元気で。ご健筆を!!

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• 木曜日, 5月 10th, 2018

死者の魂に呼ばれて
風景そのものに呼ばれて
時空を超える旅に出る
今日ノ花ヲ今日摘ム

ある日 突然 何かが発火して
記憶の暗箱の一番奥に眠っていた
ひとつの風景が起ちあがってきた
百年という時間を生きた
祖母キヨの故郷 阿波海南大里の寒竹迷路

木立と竹林の中に
曲がりくねった24本の細道が走っている
国道55号から海辺の松林まで
家々は閑かに 生垣の中に沈んで見えない

いくつもの入口と出口がある
歩いてみると 振り返ると
もう 道は高い生垣の中に消え
眼をあけて前方を見ると
道は緑の生垣に隠れて見えない

今 歩いている ”今” も
何時の ”今” かわからなくなる
方向感覚が狂い 時間感覚が狂い
一本道も 三叉路も 四ツ辻も
イヌマキ 寒竹 常緑樹の緑の壁で見えない
前も後も 右も左も 道があって道はない

五歳の少年は泣きベソをかいた
「お祖母ちゃん 手エー放さんといて ボク迷児になるさかいな」
十歳の少年が言い放った
「お祖母ちゃん 大里の道はおもしろい ボク 友達と ”お鉄砲屋敷” 探険してくるわい」
六十歳で歩いてみると 曲がりくねった24本の里道は 閉じてはいない 開かれている
見えない道へと
大里では ”私の時間” が自然に ”時熟” していた 道も生きている 四百年の時空を超えて

※(長篇大河小説『百年の歩行』全30章の中の第1章を「詩」にしてみました。平成30年刊行予定)

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• 水曜日, 1月 24th, 2018

3301. (無)から来た(私)という骰子を今日も振り続けている。あれかこれか。あれでもない、これでもない。

3302. もう(私)は私自身を一日も考え続ける力をなくしている。いや一時間も。いやいや、ものの三分も。意識は切れ切れで、欠伸までしている。

3303. 舗石の上を歩いている、意識の上を歩いている。区別などない。

3304. 非想非非想天の歩行。至るところなどない位相への希求。

3305. 日常の中でも”踏みはずし”をしてしまう。やれやれ、硬い地面がない。一切が流れて、崩れて、深淵へ。

3306. 一度は、必ず、時代と切り結ばねばならない時が来る。手持ちのカードをすべて切ってでも。

3307. 四方八方へと歩いていた(私)も、終に(私)自身の記憶の暗箱の一番深いところへ、歩を進める時が来た。(私)という他者にむかって。

3308. コトバを無限遠点へと放つ覚悟でアーラヤ識から湧きあがるコトバの種子を待っている。コトバの振幅の強度を。

3309. 眼には見えないが、(気配)が漂うことがある。形・色・匂い・音もないのに(気配)がある。わかる。春の(気配)、死者の(気配)、戦争の(気配)、殺気の(気配)。不思議な現象である。量子の、ダーク・マターの(気配)は感じられないものか?

3310. ニンゲンの大半の行為は(真似)である。食事も野球も読書も仕事も恋愛も。自分だけのオリジナルは、ほとんど存在しない。(私という存在も)コトバだって、誰のものでもない、(真似)の反復である。(生も死も)それでも、ニンゲンは(私)だけのオリジナルを希求する!!(死なない(私)などを)(不死の人)

3311. 散文が、いつのまにか、詩になり、アフォリズムになり、意識の流れになる、そんな作品「本」は可能であろうか。コトバという宇宙。そして(真言)へ。

3312. 病気をすると、(コレが私ダ)という思い込みが崩れてしまう。(病気という私)を受け入れられぬ。本来、(私)という病気をしている私であるのだ。生・老・病・死は、変容する(私の貌)だ。

3313. (健康)=いいもの、(病気)わるいもの、という概念を捨てる。(健康)は(私)であったり、(病気)が(私)であったりするから。つまり、(生)という(私)、(死)という(私)を同時に生きている。

3314. コトバで考える人、数字で考える人、音で考える人、色と形で考える人、筋肉で考える人、さまざまな手法がある。(宇宙)が来る、ニンゲンは、来るものを表現する。

3315. (青空)を、ヒトは、どのように感覚しているのだろうか?おそらく、一人一人にそれぞれの(青空)がある。他人の(青空)の感覚の仕方は、(青空)のわかり方は、自分には、わからない。

3316. 物質の時代は終った。見えないものの時代が来た。

3317. あれかこれか、AかBか、おそらく、どちらが正しいかではない。ニンゲンにとって、必要なものは何か?なのだ。真偽は問わないのだ。

3318. ニンゲンは、いくつもの誤ちを選択してきた。しかし、修正し、改善し、もう二度と、と考える。それでも、正しく、選択できるかどうかは、わからない。世界の紛争と戦争とテロの実体を眺めてみると、背筋に悪寒が走る。

3319. 戦争を起こさない、戦争を止める、人類共通の(法)が見つからない。

3320. 木は、木を記憶しなければ木そのものになれない。(木の記憶)

3321. もちろん、ニンゲンも、ニンゲン自体を記憶していて、ニンゲンになる。原理から言えば”光”も同じことであろう。

3322. ビッグ・バンも、ひとつの記憶であろうか?宇宙自体の。

3323. 存在はもちろん、空間も、あるいは、非在さえ、見えないもの、ある巨大なものの記憶にあるか?

3324. ヒトの名前が、風景が、現象や事象が、習い覚えた(知)が(私)の記憶の中から消えていく日々。記憶の暗箱の底に沈んで出て来ないのだ。つまりは、ニンゲンを終ろうとしている。

3325. 歩いた分だけ、ココロに皺ができた。苦・悲・喜・楽…刻まれた皺の数を読む。

3326. 人を変えるものが、思想と呼ばれるなら、コトバは、その中心に置かねばならない。

3327. 父母というニンゲンの系統樹を超えて、光であったころの(私)を幻視する。宇宙に遍在する無数の(私)がいた。

3328. (私)は固定された「物質」であるはずがない。変容するネットワークの塊である。

3329. 地上に、水の中に、土の中に、空気の中に、天に、宇宙に無数の(生命)が存在する。ホレ、(生命)を定義してみろ!!

3330. (私)はひとつの宇宙であった。(私)が無数に増えると、いつのまにか宇宙も無限個になった。

3331. 生きても、生きても、何もわからない。巨きな手で目隠しをされているみたいで。

3332. セイカツをすることがニンゲンの一生であるなら、(私)は、はじめから欠伸をしていた。いや、他人の真似をしていた。本当は、(私)=(宇宙)を知悉したいだけだったから。

3333. 闇から闇へと行く身であってもせめて(私)という花火として光りたい。

3334. 光の無限放射に触れていると(私)が呼応して、私自身も、時空へ無限放射されて、(私)が誕生する前の、億年の記憶に触れているような、とても、とても、なつかしい感覚に襲われるのだ。(私)は、太古の大昔にも、確かに存在した!!と。(私)が光であった頃。

3335. 脳の記憶は、実に、浅く、短い。存在自体の記憶は、もちろん宇宙大である。真夏の砂浜で、太陽の光を浴びながら、青空に対峙していると、光の記憶まで透視できる。

3336. (現在)の(私)は、唯一、絶対ではない。(私)は宇宙に遍在している。もちろん、時空を超えて。わかるかな?

3337. (宇宙)をニンゲンの手で創り出してしまう~余りにも、巨きすぎて、まるで夢幻かと思える計画に、挑戦している科学者がいる、と知って、驚嘆したが、道具を作り出したニンゲンの、最終の夢は、時空をも、創出することにちがいない。

3338. (現実)は、ただ、そこに、眼の前に在るものではない。無数のニンゲンが、支えて、支えて、無数の手が支え続けて創りあげたものである。

3339. 手の歪みは、そのまま(現実)の歪みとなる。歪みを作るのも、修正するのもニンゲンの手である。

3340. 読むたびに、ひとつのコトバが、無限に変化する、そんな量子的なコトバが、ニンゲンには可能であろうか?

3341. AがBに、BがCに…1が2に、2が3に…自由自在に変化してしまうコトバに、現在のニンゲンの頭脳(思考)は耐え切れぬであろう。しかし、宇宙は、宇宙のコトバはおそらく、そのような存在としてあるのだろう(畏怖)

3342. 意味の深みへ、形の深みへ、音の深みへ、どこまでも深化していくコトバには眩暈しかない、ニンゲンである。

3343. この(私)に、何を与えてあげれば、ニンゲンらしい(生)となるのか?ニンゲンらしい(死)となるのか?

3344. 光と水と土を得て、充分に(木)として立っている。簡単な生の形は、美しい。

3345. 文明という着物でニンゲンは膨らみきっている。大地震、大津波、大雨、原発では、素の、裸になってしまったニンゲンが、また…さまざまな着物を着る。

3346. 身体が重い。気が滅入る。アンニュイ。メランコリィ。ウツへ。虚へ。空へ。無へ。何もしたくない病の根源には、もちろん(死)がある。存在の、耐えがたい、軽みの時代に。

3347. 宇宙の誕生のメカニズムは、いつの日か、科学者が解き明かしてくれるだろう。しかし、なぜ、宇宙が誕生しなければならなかったのかは、科学では、解けない。哲学、宗教、文学の存在価値は、その問いに答えることにある。

3348. (私)は、どうして、顕現しなければならなかったのか?(私)を(宇宙)に置きかえても、同じことだ。

3349. ほとんどのニンゲンは、人の世を生きる。一生かけて。(人間原理)しかし、人の世を生きることに、合点がいかない種類がいる。「内部の人間」たちである。おそらく、(宇宙原理)そのものに触れているのだ。

3350. 悲しみは共有できる。不幸も共有できる。苦しみも共有できる。もちろん楽しみも共有できる。ただ、身体の痛みだけは共有できない。ああ、今日も、終日、歯が痛い。

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• 水曜日, 1月 24th, 2018

①『グッドモーニング』(新潮文庫刊)
②『死んでしまう系のぼくらに』(リトルモア刊)
③『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(リトルモア刊)
④『愛の縫い目はここ』(リトルモア刊)
⑤『最果タヒによる最果タヒ』(青土社刊)

「コトバの自由度」について(見事な、シンタックスの結晶がある)

若い詩人「最果タヒ」の詩集と本を五冊ほど読んだ。コトバの自由度が広いので驚愕した。

10代の終りごろから、20代のはじめの頃に、ニンゲンの内部で、突然、コトバが爆発する時がある。内的意識がそのままコトバとなって、一人のニンゲンから湧きあがってくるのだ。”天才”と呼ばれることもあるひとつの現象である。
ランボーの詩、
ロートレアモンの詩、
ル・クレジオの初期の小説、
等にも、同じような、自由度を感じた。

より良く生き、よく熟考した人の深いコトバではない。(しかし、深い)(疾走する深さである)
まだ、世間、社会、世界の約束に縛られていない、コトバの自由度のままに、想像の世界に、舞い、踊る詩である。
体験をもとに、考え、構成し、想像する作家たちのものとは、まったく異なる。存在そのものに触れる詩である。コトバが存在である。

その最果タヒの「小説」=散文を読むと、その自由度が殺されている。一歩一歩、思考して、進む散文、小説は、さほど感心しなかった。なぜだろう?
小説には「物語」があり、「時間」があり、「舞台」があり、「他者」がいる。すると、あれほど、自由度を誇った最果タヒのコトバの力が減少する。
コトバの自由度は(少ない方から考えると)
①散文
②詩
③アフォリズム
の順番であろう。
<書く>という、自由度を、縛るものがあるほどに、コトバ自体もその自由度がなくなる。
不思議である。
最果タヒは、自然に、インターネットにむかって、書いていると、他人からそれは「詩」だと言われたという。詩、散文、小説という、ジャンルを考えることもなく(私)を、(私のコトバ)を放っていただけである。

50年も原稿用紙に、モノを書き続けている私にとって、パソコンもインターネットもメールも出来ない私にとって、「インターネットから生まれた詩人」は信じられない詩人、存在者である。

詩人、石原吉郎が、シベリアのラーゲリーから帰還して(断たれてしまったヒトやモノとの関係を)コトバによって回復しようとして失われてしまった「コトバ」を求めて、「詩」を書きはじめたエピソードとは(断念から)まったく異なる。

最果タヒは、人に、読者に(顔)を見せない詩人である。(中原中也の詩集に、中也の写真があるのを、ひどく嘆いていた!!)
一切のコトバが、最果タヒというペンネームのもとにある。<実像>と<コトバ>を完全に切り離したいのだろうか?(私)はコトバである、と。

なんでも語ってしまう。(語れてしまう)タブーがない。コトバが唯一の実在である。ニンゲン世界からも自由に在る。まるで、宇宙の、たったひとつの原子のように存在する。

コトバとして、生れてしまったものが(私)であり、それ以外は、ない。その統合が「最果タヒ」という名前である。とりあえずの。

ランボー、ル・クレジオの歩みを考えると、最果タヒの歩みも、困難に満ちたものになるのだろうか?今、注視したい詩人。

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• 木曜日, 8月 03rd, 2017

”無”と”無限”が結婚する。

長い間、バッハの音楽を聴くたびに、そんな思いを強くした。オルガン音楽は、無限螺旋階段を、昇ったり、降りたりした。ヴァイオリンによる、無伴奏パルティターやシャコンヌは、気が狂いそうな無限深淵へと、聴く者を連れていって、虚空へと放りだしてしまう。

ある深夜のことだった。ラジオの、深夜放送に、ゲストとして、ヴァイオリン奏者の、千住真理子が登場した。二年間、出演したが、今夜が、最後だから、と挨拶をして、今夜は特別に、生放送で、バッハを弾くという。
「バッハは、禅僧にならなければ弾けません」私は、そのコトバに、同志を見た。

ニンゲンの運命のベェートーベンでもなく、疾走する悲しみのモーツアルトでもなく、大地の歌のマーラーでもなく、光の煌めくドビュッシーでもなく、バッハは、神的なのだ。

バッハが流れた。千住真理子が翔んだ。バッハは、禅僧になって作曲した(無相)。千住真理子は、禅僧になって、ヴァイオリンを弾いた(無我)。私も、自然に、禅僧になって、バッハ音楽を、聴く人になっていた。(無心)。

闇の底に横たわっている、手と足が消えた。眼と鼻が消えた。舌と肌が消えた。胴体と内臓が消えた。頭と意識が消えた。耳だけが、宙に浮いていた。バッハが流れる。バッハの時が流れる。いつのまにか、最後に残った、私の耳まで消えていた。私は、私の外部へと誘い出されていた。

何処へ。果てへ。深淵へ。無限へ。はじまりもなく、終りもなく。快楽は大欲であった。私は、バッハの音になっていた。バッハと、千住真理子と、私が、ひとつの音となって、生きていた。至高者になっていた。

そして、終に、

非想非非想天へと、超出していた。そこには、異次元の時空があった。バッハ音楽(うちゅう)である。

”無”と”無限”が結婚している。

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• 土曜日, 6月 10th, 2017

「イデアという花」良いですね、文句なしです。
貴兄のこれまでの思索が集約されているのだろうな。

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• 土曜日, 6月 10th, 2017

読んでいると知らぬ間に引き込まれてしまうような不思議な詩である。
ある種の内在するリズムが、それとなく私たちを詩の世界に引きずり込む。
それだけではない。どこか宗教的な世界を感じさせないだろうか。
「生は生でなかった 死は死んでなかった」
この生でもない死でもないというフレーズがそれを端的に表しているのな気がする。
平易な言葉で歌っているように思われるが、その底に高遠な思想性を秘めているな気がする。

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• 土曜日, 6月 10th, 2017

「イデアという花」くりかえし読んでいます。何かに対するレクイエムに聞こえます。
実を奪って虚に変える、そこに居る無を操る能力を察知させてくれます。
エゴイズム的関心を脱ぎ去りたいと冷静にもがく人間的幻影(自我)のもたらす有用性の価値からの脱走、生命の開放へと突きすすみたいのだが思想が虚無への意志となって羽ばたき心へ向かう道を脳が塞ぐ、すさまじい開放力を求めているのに拘束のもどかしさ、現実の虚しさがズンズン伝わってくるある種の地獄の歌でもあります。
宗教と関与りますと、どこかでニヒリズムに遭遇ことがあります。
井筒先生は、すべての存在者から本質(自我)を消し去る、そうすることで意識対象を無化し、全存在世界をカオス化してしまうことで前半が終る。真の宗教はカオス化した世界に再び秩序を取り戻す。ただ前とはちがって無化された花が全く新しい形でもう一度返ってくる!だがこの花は無本質であるー。
一度、カオスに戻し既成の秩序を無から再秩序化するのが宗教の一つの機能である。だから宗教の質がよく多くの人々を引きつけるには
「カオス化への戻し方と再秩序化の質にかかっている」
再秩序化の質が良くなる為には
「カオスへの戻し方が徹底している方が良いのである」
東洋思想の特徴としてカオスとしての宗教、再秩序化の本質を説くのなかで井筒先生は書いておられます。

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• 月曜日, 6月 05th, 2017

主催:海陽町関西ふるさと会
於:大阪新阪急ホテル H29年5月28日(日)11:00~2:30

大阪在住の友人(海南高校の同級生)建築家の歌一洋君から、突然、電話がかかってきた。「大阪で、講演をしてもらえないか?」と。「何?僕が?」
「ふるさとに関係のある話、何かあるだろう?」「有名人は、たくさんいるよ。ゴルフ日本一のジャンボ尾崎さん、元阪急監督の上田さん、ボクシング世界チャンピオンの川島さん。」
余りにも有名すぎる人は、多忙すぎて、予定が立たないのか?

海陽町は、平成の大合併で、宍喰町・海部町・海南町がひとつの町になった。
四国は、林業、農業、漁業中心で、企業が少ない。若者たちは、神戸・大阪・京都へ仕事を求めて、故郷を出る。
明治・大正・昭和初期までは、娘たちは、京阪神の、大きな商家へ、奉公に出た。「大阪へ行かなんだら嫁に行けん」と言われるくらいだった。
奉公の目的は、礼儀、行儀の作法を身につけることと、嫁入りの資金を貯えることことにあった。
人口の流出は、昭和、平成と止まらず、3分の1から、4分の1になっている。65歳以上が44%、子供の数は12人に1人の割り合いと、正に、超高齢社会、少子高齢化そのものである。(町長のあいさつ)
で、故郷を出た人、都市、大阪に棲む人たちに、集ってもらい、親交を深め、何か、力になってもらうという、役場の主旨・目的であろう。

結局、故郷を出て50年、千葉都民(千葉で棲み東京で働く)となった私が、講演を引き受けることになった。
「ふるさとと文学」「ふるさとと作家」について。
1. 石川啄木と故郷と短歌
24歳で病死した、天才歌人・啄木は、石もて追われる如くに、岩手の渋民村を離れたが、故郷を詠んだ秀歌は数しれぬ。
①ふるさとの訛りなつかし停車場の人混みの中にそを聞きにいく
②やわらかに柳あおめる北上の岸辺眼に見ゆ泣けとごとくに
③ふるさとの山にむかいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな
孤独と絶望と借金と放浪の中で、歌った短歌は、100年の時が流れても、そのコトバの力(生命)は尽きることがない。
(コトバのDNA)(風景山、川のDNA)(風土、父母のDNA)
3つのDNAが(啄木の故郷である)

2. 五木寛之の代表作『青春の門』(全八巻)
ヒトが、ひとつの作品を50年も書き続ける、そんなことが、現実に、私たちの眼の前で進行している。
第九巻『青春の門』の最終章が、「週刊現代」にて連載再開。84歳になった五木寛之が、27才の主人公、あの伊吹信介を、シベリアを舞台にして、なお、活動させはじめた。
九州・福岡(筑豊篇)の第一巻は、正に、故郷の土の匂い、風の香り、人の気質、山川の風景、風俗が、むせかえるように、展開されていた。
私の一番好きな(篇)である。

3. 長篇小説『百年の歩行』(1000枚)
もう、創作ノオトを執りはじめて八年になる。1500枚ほどノオトを執り、取材し、資料を読み、現場を歩き、四国の故郷宍喰・海南・海部を舞台にした、祖母、父母、子と三代にわたる話を書いている。全30章。
文学を読めないが、オダイシサンを信仰する祖母、土方から身を起こした父、そして、戦後民主主義下に育った子供。(昭和)という時代への鎮魂の書である。
第一章(大里の寒竹迷路)
第二章(同行二人、南へ)
を紹介させていただいた。

文芸評論家(私のココロの恩人)秋山駿さんと対談させていただいた折、「君の、コトバの根を書けよ」と忠告された。あれから、もう、20年になる。作家は、一度は、眼をつむって、鼻をつまんでも、(私の裸形)を、小説化しなければならない。
肉体(父母)の遺伝子DNA
風景・風土の遺伝子DNA
コトバ(方言)の遺伝子DNA
ようやく、三つの、DNAに、正面から立ち向かって、取り組んでいる。

平成30年には、小説『百年の歩行』を完成させたい。
講演が終って、懇親会になった。次から次へと(ふるさと人)がやってきて、是非、その本を、読みたい、早く、完成させてくれ、10冊買う、30冊予約して親族に配る、と、私を鼓舞する声が、波となって押し寄せてきた。
中学校の野球部の後輩、高校の友人、遠縁の従兄、友人の妹、弟の友達、何十年も昔の、ふるさと人の顔を、白髪の中に探しながら、こんなにも、待たれている「本」はない。と思った。
講演会の後で、たくさんの人々から元気をもらった。感謝である。
最後に全員で(呼吸法)を実践してもらった。誰にでもできる、今すぐできる(呼吸法)である。
ストレスが解消できる。
ココロが静かになる。
不眠がなくなる。
(呼吸法)(瞑想)(イメージトレーニング)

平成30年の私の目標(日本初、一作家三分野同時出版)
1. 歩くコトバで書く小説『百年の歩行』(1000枚)~執筆中=(緑の本)
2. 踊るコトバで書く詩集『ある惑星の歩き方』(30作)~完成=(赤の本)
3. 跳ぶコトバで書くアフォリズム(3000本)『コズミック・ダンスを踊りながら』~完成=(青の本)

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• 月曜日, 5月 08th, 2017


見ているのは、誰?何?
眼が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?


聞いているのは、誰?何?
耳が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?

コトバ
話しているのは、誰?何?
口が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?

イデア
考えているのは、誰?何?
意識が
脳が
(私)が
いいや
あるいは?もし?

アートマン
存在しているのは、誰?何?
原子が
脳が
(私)が
いいや
ただ、超球宇宙を
透視もゆるさぬ
銀河級の
巨大な量子の鳥が
翔んでいるだけ

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