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• 土曜日, 6月 10th, 2017

「イデアという花」くりかえし読んでいます。何かに対するレクイエムに聞こえます。
実を奪って虚に変える、そこに居る無を操る能力を察知させてくれます。
エゴイズム的関心を脱ぎ去りたいと冷静にもがく人間的幻影(自我)のもたらす有用性の価値からの脱走、生命の開放へと突きすすみたいのだが思想が虚無への意志となって羽ばたき心へ向かう道を脳が塞ぐ、すさまじい開放力を求めているのに拘束のもどかしさ、現実の虚しさがズンズン伝わってくるある種の地獄の歌でもあります。
宗教と関与りますと、どこかでニヒリズムに遭遇ことがあります。
井筒先生は、すべての存在者から本質(自我)を消し去る、そうすることで意識対象を無化し、全存在世界をカオス化してしまうことで前半が終る。真の宗教はカオス化した世界に再び秩序を取り戻す。ただ前とはちがって無化された花が全く新しい形でもう一度返ってくる!だがこの花は無本質であるー。
一度、カオスに戻し既成の秩序を無から再秩序化するのが宗教の一つの機能である。だから宗教の質がよく多くの人々を引きつけるには
「カオス化への戻し方と再秩序化の質にかかっている」
再秩序化の質が良くなる為には
「カオスへの戻し方が徹底している方が良いのである」
東洋思想の特徴としてカオスとしての宗教、再秩序化の本質を説くのなかで井筒先生は書いておられます。

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