“猿払”と書いて、さるふつと読む。北海道、日本の最北にある村である。北緯は45度19分42秒。北海道では(村として)一番広い面積を誇る。人口は約2,941人。地図をひろげて眺めてみると、東にオホーツク海があり、宗谷岬が北にあって、宗谷管内の中央に位置する。半農半漁の村である。
平成17年11月25日・ヘルスアップ事業の体力づくり教室が開催されるために、その前日から2泊3日の予定をたてて旅にでた。
地球温暖化のせいか、猛暑が続き、秋の訪れが遅れて、11月も下旬だというのに、千葉のわが家では、センダンツツジが色鮮やかに紅葉していた。
現地は雪だというので、背広姿でも暑いぐらいだったが、冬物の厚いコートを着て電車に乗ってみたが、肌が汗ばむ始末だった。
猿払村へは、①羽田から旭川へ飛行機で飛んで、バスで、北上するコース②羽田から北海道の空の表玄関・千歳へと飛び、札幌へ…札幌から特急宗谷で、北の都市稚内へ、一泊してバスで峠を越して猿払村へと至るコースがある。
私は札幌で所用があるために②のコースを選んだ。
羽田に着くと、いつもの軽いウツが心を暗く染めてしまった。飛行機が大の苦手である。仕事以外には使いたくないほどに、性に合わない。いつまでたっても慣れるということがない。もちろん海外へなど絶対に行かない。九州、北海道、沖縄へは眼をつむって、清水の舞台から飛びおりるつもりで、腹を決めて、空を飛ぶ怪物に乗りこむのだ。
なぜ、あの巨体は宙に浮き、飛び続けるのだろう。いや、いくら科学的に、理論的に説明されても、私の身体が納得しないのだ。それは、嫌いなものを好きになれというのと同じくらいに、不可能なことだ。
とにかく、今日も宙に浮く1時間40分。
青息吐息で北海道の大地を踏む。札幌へと約40分の電車に乗って、窓から風景を眺めると、北の樹木は、すでに葉をおとしており、空には神経繊維のような枝が突き出ている。
ああ、北の国だ、北の大地だと、旅の気分が全身を染めはじめる。
札幌での用事を済ませると、稚内行きの特急列車、宗谷に乗車。北の日暮れは早く、5時を廻ると、都市には眩しいほどのネオンが輝きはじめていた。寒い。持参した冬のコートを着ると、ちょうどよい具合だった。
温かいカキ弁当とお茶と日本酒を買って旅人の顔になって、指定席に座った。
平日のせいか、乗客の7〜8割がサラリーマンである。乗車率は8割程度である。
北へ、北へ、列車はひたすら闇の中を走り続け、約5時間かけて終着駅の稚内に到着するはずだ。
<北> なぜ人は<北>に対して特別な感情をもつのだろうか?
地球の在り方がそう思わせるのか? あるいは、人間が作りあげてきた文化が<北>に対して、特別な感覚をいだかせるのだろうか? <北>は人間の心の深いところにある琴線に触れる、悲嘆のような思いを誘いだす何かをもっている。何よりも精神のリールが鳴る。北。
旅人として<北>へ向かうことは、心の底を鏡で写し見ることでもある。特に夜はさすらう者に対して、深い郷愁の感覚を呼びさます時間でもある。
駅の名前を追いながら、窓の外を眺めていると、急に白いものが舞った。雪だ。本州の秋を体感して生活していた者にとって、不意の雪は、まったくの平手打ちに似た驚きである。闇の中の街の灯がだんだんと少なくなり、車輌には数えるほどの人しか残っていない。もう3時間は走り続けただろうか。
闇の中の原野が白く光っている。
不意に、小林旭の「北帰行」が頭の中に流れた。
「窓は夜露に濡れて…」ではじまる、あの有名な歌だ。
もう、40年ばかり昔に覚えた流行歌である。その歌詞の「北へ帰る旅人一人」の「北へ」が私を刺戟し続けていた。
音威子府(おといねっぷ)という駅も雪の中だった。淋しい、仄暗い灯がぽつんとついているだけの、小さな小さな無人駅。そこでも一人、二人と下車する人がいた。いかにもアイヌ語らしい言葉の響きを舌の上で何度かころがしてみた。
この音威子府村で、誰が、どんな生活をしているのだろうか? 妙に私の脳裡に、その村の名前が刻み込まれた。
終着駅の稚内に着いた時には、長い、長い旅を終えたような気分だった。少年時代、青年時代のさまざまな記憶が甦ってきて、情景が点滅して、まるで私の人生のおさらいをするような、列車の旅だった。
雪の降る夜道を、見知らぬ街を駅員の案内の言葉を頼りに、ホテルまで歩いていった。
明日はいよいよ目的の“猿払村”である。(つづく)