Author:
• 金曜日, 2月 08th, 2013

1. 「はじめての宗教論」(NHK出版)右巻 佐藤優著
2. 「一神教の誕生」(講談社現代新書) 加藤純隆著・加藤精一訳
3. 「困ってるひと」(ポプラ社) 大野更紗著
4. 「あなただけの般若心経」(小学館) 阿部慈園著
5. 「梵字でみる密教」(大法輪閣刊) 児玉義隆著
6. 「梵字の書法」(大法輪閣刊) 児玉義隆著
7. 「密教概論」(大法輪閣刊) 高神覚昇著
8. 「インド密教」(春秋社刊) 立川武蔵・頼富本宏編
9. 「チベット密教」(春秋社刊) 立川武蔵・頼富本宏編
10. 「中国密教」(春秋社刊) 立川武蔵・頼富本宏編
11. 「日本密教」(春秋社刊) 立川武蔵・頼富本宏編
12. 「巡礼高野山」(新潮社) 永坂嘉光・山陰加春夫・中上紀共著
13. 「和歌山・高野山と紀ノ川」(吉川弘文館) 藤本清二郎・山陰加春夫共著
14. 「カフカ式練習帳」(文藝春秋社刊) 保坂和志著
15. 「病牀六尺」(岩波文庫刊) 正岡子規著
16. 「日本社会と天皇制」(岩波ブックレットNo108) 細野善彦著
17. 「般若心経秘鍵」(角川ソフィア文庫) 空海著
18. 「秘蔵宝鑰」(角川ソフィア文庫) 空海著
19. 「いのちつながる」(高野山真言宗総本山 金剛峯寺開創法会) 松長有慶講演集
20. 「論文・プレゼンの科学」(アドスリー刊) 河田聡著
21. 「傷ついた日本人へ」(新潮新書) ダライ・ラマ14世著
22. 「街場の文体論」(ミシマ社) 内田樹著
23. 「この人を見よ」(幻戯書房刊) 後藤明生著
24. 「生き抜くための数学入門」(イースト・プレス社刊) 新井紀子著
25. 「コンピューターが仕事を奪う」(日本経済新聞出版社) 新井紀子著
26. 「金閣寺」(新潮社文庫) 三島由紀夫著
27. 「屍者の帝国」(河出書房新社) 伊藤計劃・円城塔共著
28. 「謎のトマ」(中央公論新社) モーリス・ブランショ著 篠沢秀夫訳
29. 「慈雲尊者全集」(思文閣刊) 慈雲著
30. 「街場の現代思想」(文芸春秋文庫) 内田樹著
31. 「こんな日本でよかったね」(文芸春秋文庫) 内田樹著
32. 「知に働けば蔵が立つ」(文芸春秋文庫) 内田樹著
33. 「ひとりでは生きられないのも芸のうち」(文芸春秋文庫) 内田樹著
34. 「私家的・ユダヤ文化論」(文春新書) 内田樹著
35. 「レヴイナスと愛の現象学」(文春文庫) 内田樹著
36. 「他者と死者」(文春文庫) 内田樹著
37. 「日本辺境論」(新潮新書) 内田樹著
38. 「東と西」~横光利一の旅愁~(講談社刊) 関川夏史著
39. 詩集「トットリッチ」(土曜美術社出版販売刊) 岡田ユアン著
40. 小説「6DAYS」(日本文学館刊) 吉澤久著
41. 「昭和のエートス」(文春文庫) 内田樹著

なかなか、確たる世界・思想・文体を持った作家には出会えないものだ。小説、評論、詩、その他、どんな分野でも、「思考する文体」でなければ、生きている人間を描き出せない。

昨年は、”内田樹”に入ってしまった。どんな人物かも知らず、なんの予備知識もないまま、偶然「街場の文体論」を読んだ。面白い人がいるものだと、手に入るものを、次から次へと読んでみた。

内田樹の”核”は何だろう?自然に、そんな疑問が沸いてきた。

「レヴイナス」と「ユダヤ教」が(核)であった。なるほど、人は、何かを、徹底すると、自信をもって、すべてを語れるものである。
井筒俊彦の「意識と本質」に出会って以来の、興奮であった。日々の感想を書いた作品とは別に、一度は、ゆっくりと論じてみたい”評論家”である。

①娘育て②食べるための大学教師③武術(合気道)生活の現場重視の人である。単なる学問の人でないのが、好感が持てる。思想は、そこからしか、立ちあがってこないから、”信”の置ける言説と生活の人である。

「読むこと」「書くこと」「生きること」の徹底・その三本の柱が、内田樹の強みである。

外務省の官僚で、ロシアで活躍した佐藤優の(核)が、キリスト教、神学にあるのも面白い事実であった。

「困っている人」の大野更紗は、貧しい人々を救うために、ボランティアとなって、東南アジアへ。ところが、本人自身が、”難病”を患ってしまう。つまり、人を助ける人が、他人の助けがなければ、生きられない身になる。

現代の、平成の若者らしく、文章は、乗りが良くて、”難病”も、笑いの渦となって、綴られる。この、陽の気質は、いったい何だろう。”文体”のせいか、本人の、生まれつきの心性が、陽である為か?

思わず、”難病”に苦しんだ、明治の子規の病床ものと読みくらべてみた。泣いて、唸って、怒って、”俳句”を詠む子規。病院の制度の壁に衝突して、たくましく生きる”陽”の大野更紗。
どちらも、”宗教”に走らないところが、急処であろうか?

「文体」、「文章の相」が、明治と平成では、こんなにも、ちがう。同じ”難病”であるのに、光景が別のものに思えてしまう不思議。

”慈雲尊者”の全集を読む。
江戸時代の真言の僧である。世相の乱れに、「十善戒」を説いて、宗派に別れた仏教を、批判し、”釈尊”に帰れと説いた。

貧しい武士の子が、”知”に目覚めて、出家し、四書五経から仏典、神道、そして、サンスクリット語まで修学し、”葛城神道”を、起こした。

先日、慈雲の墓参りに、南河内の山の中を訪れた。人間を離れた地に、現在も、修行道場があった。

「カフカ式練習帳」保坂和志は、小島信夫、後藤明生、田中小実昌、色川武大の系譜をひきつぐ、作家である。特別に何もなくても、語れてしまう。その語りの中に、”妙”があって、読者の、愉しみがある。

奇妙な、思考癖が、四人の共通点である。はじまりもなく、終りもなく、ただ、読む瞬間の文章の中に発生する、なんともいえないリアリティが、保坂の信条であろう。

川端と共に、新感学派のチャンピオンとして、活躍した横光利一(今、どれだけの人が読んでいるだろうか?)をその長篇小説「旅愁」を、関川は、ていねいに、読み解いている。労作である。

孤高の人、ブランショの「謎のトマ」全訳も、篠沢の執念で実った。感謝。

”読書会”をはじめた。大学OBの集りである。近いうちに、市民にも開放しようと考えている。井伏鱒二「黒い雨」正宗白鳥「入江のほとり」三島由紀夫「金閣寺」を読んできた。

”読書の愉しみ”を、一人でも多くの方に知ってもらえればと、始めた会である。東西古今の、現代の名作を、共に読み、語り合う”読書会”である。

大学院(還暦を過ぎて入学)のレポート・テスト・論文を書く為に、ついつい、宗教関係の読書が増えている。

Category: 読書日記
You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.
Leave a Reply