Archive for ◊ 1月, 2021 ◊

Author:
• 火曜日, 1月 12th, 2021

新型コロナ禍の時代である。
セイカツのリズムが随分と変わった。早稲田の、稲門会の「読書会」がなくなった。市民のための「読書会」がなくなった。(他人の声・感想を聞くのは、実に、楽しい)
「読書」は、もちろん、独りで行う行為である。(読めば話したくなり、書いてみたくなる)
ステイ・ホーム、(家にいろ)(外へ出るな)ソーシャル・ディスタンス(距離をとれ)三密を守れ(密集・密接・密閉)。マスクに、手洗いに、うがいの実行。コロナを予防するために、日々の楽しみのほとんどが消えた。「読書会」「映画会」「ゴルフコンペ」「囲碁の会」「散策の会」「新年会・忘年会」「暑気払い」「カラオケの会」「旅」。
ヒトと交流するニンゲンである。ほぼ独居状態で、セイカツしている身であるから、一日に、一回も他者と会話をしない日がある。もっぱら、自分自身との対話である。友から、電話がくると、ついつい、長話になる。人恋しいのである。言葉を忘れそうになる。気がつくと、独り言を言っている。

読むこと、書くこと、歩くこと、瞑想すること、私の一日は、四つの柱でできている。
ところが、夏の猛暑で、熱中症になって、不眠と食欲不振と自律神経失調症が重なって、三ヶ月ほど、読む、書く、歩くの三つの柱が崩れた。残ったのは、呼吸法と、瞑想法だけとなった。
軽い老人ウツが来た。コロナウツの一種か?
毎年、八月に、一年間に読んだ「本」を「読書日記」として、その感想を書いているが、今年はその原稿を書けぬまま、十二月になった。
涼しくなり、寒くなり、どうやら、不眠も解消した。しかし、眼が弱くなった。長時間「本」を読むと、眼がハレーションを起こして、空間が、風景が、活字が歪む。困ったものだ。もう、なかなか、長いものが読めない。俳句(芭蕉)や和歌(西行)を読んで、楽しんでいる。

エネルギーの低下は、そのまま「生」の質の低下である。

もう、言葉の向こうに、コトバがある「本」しか、読みたくない。いったい、何人の作家が、思想家がそんなコトバを書いているのか?数えるほどしかいない。

ひとつの作品に魂を震撼させられると、その作家の書いたすべての作品を読みたくなる。そして、最後に(死んだ人なら)「全集」(著作集・作品集)を読みたくなる。(作品・随筆・日記・手紙)
私の本棚には、今まで、50年間に読んできた「全集」(著作集)が並んでいる。
ドストエフスキー全集、エドガー・アラン・ポー、ヴァレリー、マラルメ、バタイユ、ユング、フロイド、エリアーデー。弘法大師(空海)、北村透谷、夏目漱石、志賀直哉、梶井基次郎、小林秀雄、中原中也、井筒俊彦、宮川淳、須賀敦子、吉本隆明、埴谷雄高、(安部公房、大江健三郎、島尾敏雄作品集)等々・・・。
秋山駿は、「全集」はないが、ほとんどすべての「本」を読んでいる。石原吉郎も、池田晶子も。古井由吉も(現代の最高の作家)(私)の書くコトバの源泉である。

この十年では、三~四年かけて、井筒俊彦全集と、須賀敦子全集を、隅から隅まで読んで、感動した。二人とも、言葉の向こうに、コトバを発見した人であった。

いつも、誰かの「全集」を読んでその人のコトバと共に、生きている。さて、これから、誰の「全集」を読んでみようか?

「ベンヤミン・コレクション」全七巻を入手した。平均600ページもある「全集」?である。
眼が弱ってしまった(私)に、これだけの分量が、読めるだろうか?ベンヤミンの思考を追って、言葉の向こうに、コトバを発見したいと念じている。
(私)が読む、最後の「全集」になるかもしれない。

1.「宇宙と宇宙をつなぐ数学」IUT理論の衝撃(角川書店刊)加藤文元著
2.「空海の行動と思想」(高野山大学刊)静慈圓著
3.「母の前で」(岩波書店刊)ピエール・パシェ著
4.「江藤淳は甦える」(新潮社刊)平山周吉著
5.「プシュケー」(他なるものの発見Ⅱ)(岩波書店刊)ジャック・デリタ著
6.「夏物語」(文藝春秋刊)川上未映子著
7.「ていねいに生きて行くんだ」(弦書房刊)前山光則著
8.「そのうちなんとかなるだろう」(マガジンハウス刊)内田樹著
9.「恋人たちはせーので光る」(リトルモア刊)最果タヒ著
10. 詩集「花あるいは骨」(土曜美術社出版販売刊)加藤思何理著
11.「宮沢賢治 デクノボーの叡智」(新潮選書刊)今福龍太著
12.「海と空のあいだに」石牟礼道子全歌集(弦書房刊)
13. 詩集「QQQ」(思潮社刊)和合亮一著
14.15.「荒川洋治詩集」(続)(続続)(思潮社刊)
16.「法華経」上・下刊 サンスクリット原典現代語訳 植木雅俊訳
17.「ベンヤミン・コレクション①-近代の意味」(ちくま学芸文庫刊)
18.「老人と海」(新潮文庫刊)ヘミングウェイ著
19.「日はまた昇る」(新潮文庫刊)ヘミングウェイ著
20.「武器よさらば」(新潮文庫刊)ヘミングウェイ著
21.「ヘミングウェイ全短編集②」(新潮文庫刊)
22.「ライ麦畑でつかまえて」(白水社刊)サリンジャー著
22.「フラニーとズーイ」(新潮文庫刊)サリンジャー著
23.「山岸哲男詩集」(土曜美術社出版販売刊)
24.「海を撃つ」(みすず書房刊)安東量子著
25.「岸辺のない海 石原吉郎ノート」(未来社刊)郷原宏著
26.「ネーミングは招き猫」(ダビッド社刊)安藤貞之著
27.「一色真理詩集」(土曜美術社出版販売刊)
28.「川中子義勝詩集」(土曜美術社出版販売刊)
29.「鏡の上を走りながら」(思潮社刊)佐々木幹朗著
30.「純粋な幸福」(毎日新聞出版刊)辺見庸著
31.「ベンヤミン・コレクション②-エッセイの思想」(ちくま学芸文庫刊)
32.「樋口一葉を世に出した男-大橋乙羽」(百年書房刊)安藤貞之著
33.「ベンヤミン・コレクション③-記憶への旅」(ちくま学芸文庫刊)
34.「時間はどこから来て、なぜ流れるのか?」(講談社ブルーバックス刊)吉田伸夫著
35.「ベンヤミン・コレクション④-批評の瞬間」(ちくま学芸文庫刊)
36.「22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ 天命反転する経験と身体」(フイルムアート社刊)編著者 三村尚彦・門林缶史
37.「ベンヤミン・コレクション⑤-思考のスペクトル」(ちくま学芸文庫刊)
38.「続・全共闘白書」(情況出版刊)
39.「ベンヤミン・コレクション⑥-断片の力」(ちくま学芸文庫刊)
40.「サピエンス全史」上・下巻(河出書房新社刊)ユヴァル・ノア・ハラリ著
41.「21Lessons」(河出書房新社刊)ユヴァル・ノア・ハラリ著
42.「詩への小路」(講談社文芸文庫刊)古井由吉著
43.「古井由吉-文学の奇蹟」(河出書房新社刊)
44.「ベンヤミン・コレクション⑦-<私>記から超<私>記へ」(ちくま学芸文庫刊)
45.「心教を以って尚と為す」(敬文社刊)小泉吉永著
46.「読書の愉しみ」壬生洋二著

1.「宇宙」と名の付く「本」なら、なんでも読みたい。なぜ?結局、人間は、宇宙を知らなければ、自分たちの「存在理由」も発見できないから。
疑問、問いが発せられるなら、必ず「解」=「答え」はある。
中学・高校の「数学」は嫌手であった。「零の発見」を読んでから、「数学」の面白さに驚いた。超難解な、長年解けなかった「フェルマーの最終定理」や「ポアンカレ予想」についての解説書を読んで興奮した。まだ誰も解けぬ「ABC予想」に挑む、数学者・望月新一が提唱した「未来からきた論文」を(IUT理論)数学者、長年、望月の話を聞き、論文を読み込んできた、加藤文元が一般向きに、解説した「本」。専門の数学者たちにも、わからないという、超難解な論文・理論。なぜ?わからない?今までの、数学に使用されたコトバとはまったく異なるコトバで、書かれている。国際的(国と国)という。望月のコトバは、「宇宙際」である。つまり、宇宙と宇宙をつなぐコトバ・発想で、書かれている。一読したが、十分の一もわからない。再度、挑戦したい、スリリングな「本」である。

2. 静慈圓は、学僧である。しかも「行動の人」である。高野山大学大学院で、サンスクリット語を教わった。徳島県出身。自ら「曼荼羅」をも描いた。何よりも、中国に渡って、長安までの道を、空海が歩いた道を歩いて、(空海の道)をひらいた行動の人。中国と日本の仏教の架け橋を創った僧である。本書は、空海の書いた原文を読んで、空海の思想と行動を読み解いたテキスト。ヒマラヤ・チベットで、様々な曼荼羅を発見し、長安への2400キロの道を歩き(空海ロードと命名)伝燈阿闍梨職位を受ける。高野山清涼院住職。

3. なぜ?何が、思想家・作家・辺見庸のココロを震撼させたのか?辺見庸が、「偉大な本である」「私の聖書である」と絶讃しているので、私も読んでみた。
なるほど、ここには、一切を、自分のコトバで考える、思索者がいる。100歳の母(ユダヤ人)を前にして、見る、語る、思考する、その「文体」が、実に見事である。
モノを考えるということが、どういうことか、「本書」は教えてくれる。やはり、作家は「文体」で考える人種である。散文、記事、レポート、小説、詩、評論を書いている、さまざまな「文体」を創出している辺見庸だからこそ、「本書」を読み解けた。

4. 江藤淳・吉本隆明の時代があった。(右と左であるが、実に仲が良かった)
江藤淳が自死して、もう20年になる。堀辰雄(結核)や太宰治(自殺)を否定した、生命力の、力の人、江藤淳(自らも結核)その江藤淳が、(自殺を否定)妻に死なれ、自らも病んで、これは、もう自分ではないと、自殺した。
江藤淳の思想とは、いったい何だったのか?
「本書」は、編集者として、江藤淳の近くで、日常を知った者が、思想家・江藤淳を、(評論家、裸の人間)考察した、力作である。783ページの大作。

5. 若い頃、デリタの「グラマイトロジーについて」と「差異とエクリチュール」に圧倒された。いったい、これは、何だ?と。碩学・井筒俊彦を唸らせた、デリタの考察。「本書」は、「脱構築の人」デリタの、中期の代表作12のエッセーを収めたもの。私にとって、うれしかったのは、デリタがアフォリズムを書いていた事実である。
「不時のアフォリズム」そうか、デリタも、アフォリズムを最高のコトバと考えていたか。感動、感謝を。

6. 「夏物語」を読む。作家は、結局、書く言葉がどれほど深くにまで届くかに尽きる。誰の言葉でもない、誰でも使っている言葉が、作家の手によって、オリジナルの言葉になる。そして、作家は、言葉の向こう側にあるコトバをも、表出しなければ、本物ではない。川上未映子も、そのことを直観している、数少ない作家の一人であろう、と思う。(詩)からスタートしたのも、ひとつの要因であろう。「夏物語」は、著者がはじめての1000枚の、長篇小説、大作である。読むのが辛くて、2~3回中断した。その理由は?
①私の体調不良、長時間の読書に眼が耐えられない。ハレーションを起こして、空間、風景、文字が歪む。
②「乳と卵」の続篇であるような「貧乏物語」の前半。主人公の原風景。父の不在。貧乏という桎梏!!母系家族。
しかし、単なる人情咄が存在論へと至る後半は、川上が「言葉」から「コトバ」に至る、真骨頂である。この世は生きるに値するのか?で、子供を生む世界であるのか、ないのか?子供は、どこから何から生まれてくるのか?
川上は、近松門左衛門のような関西の(語り=物語)の系譜の上に位置している。伝統をしっかりと継承している。同時に、(考える)という思考の核をも持っている。彼女の特質と心性であろう。
読み終えて、最後の四行がココロの中に響き続けた。
「その赤ん坊は、わたしが初めて会う人だった」
見えるか?川上未映子のコトバが!!

7. 「ていねいに生きて行くんだ(本のある生活)」(熊日文学賞受賞)
日本人には、随筆・随想・エッセイがよく似合う。大作品ではない。日々の思いのあれこれを、自然に、自由に書き綴る。批評眼を光らせて。昔から「徒然草」や「枕草子」という傑作がある。本書は、前山光則が、出版社のコラムページに、書き綴った二百五十余篇の中から、70篇を抽出したものである。日々の出来事・旅の思い出・考え、感想などを「本」にからめて、自由に語っている。
島尾敏雄、石牟礼道子、種田山頭火、淵上毛錢、若山牧水、中原中也と、文学者・詩人・歌人との出会い・邂逅も、いかにも前山光則らしい。
視点、立ち位置が、とても、ヒューマンである。等身大のニンゲンとして、読み、書き、語るその姿勢が、人を、やさしい気持にさせてくれる“人柄“が実にいいのだ。「ていねいに生きて行くんだ」(淵上毛錢の詩の一節)というタイトルにも、作者のココロのあり方が滲みでている。
熊本で高校教師として、セイカツしながら「文学」に生きてきた前山光則である。地に足をつけて。
昔、大学時代、ある出版社で編集のアルバイトをした。その時に、同じアルバイト学生の前山光則に会った。笑顔がよく似合った。当時から「島尾敏雄」を論じて、書く「文学青年」であった。あれから、50余年の月日が流れた。一昨年、ガンで、最愛の妻を亡くした。食事も咽喉を通らぬほど落ち込んで、大丈夫かなと思ったが、こうして「本」を出版するエネルギーを持つに至った。何があっても、書いてこそ「文学者」である。まだまだ続く、エッセイ。楽しみだ。行けるところまで行って下さい。旧友文学仲間の重田昇より。

8. 「そのうちなんとかなるだろう」
内田樹も、終に「自伝」=「私の経歴」を書くようになったかという深い感慨がある。内田樹の「本」は、文庫本と新書で十冊ほど読んでいる。
「レヴィナスの愛の現象学」「私家版・ユダヤ文化論」が内田の思想を代表していると思っている。翻訳者・武道家・大学教授、そして哲学する人である、内田樹。
内田の思想は「師」を得るところからはじまる。合気道の師「多田宏」宗教者の、思想家の師「レヴィナス」
「師」のコトバを翻訳し血肉とする。
つまり、松のことは松に習え、竹のことは竹に習えという形から入る手法である。松のコトバを聞く、竹のコトバを聞く、石のコトバを聞く、という手法は、一番の学習方法である。そこから、自分自身の思考、コトバが紡がれてくる。
「そのうちなんとかなるだろう」(タイトル)は、芸人・歌手の植木等の歌の文句である。「本」の帯には、七つの事件が記されている。
①いじめが原因で小学校登校拒否
②受験勉強が嫌で日比谷高校中退
③親の小言が聞きたくなくて家出
④大検取って東大に入るも大学院3浪
⑤8年間で32大学の教員公募に不合格
⑥男として全否定された離婚
⑦仕事より家事を優先して父子家庭12年・・・
本書は、出版社からの、インタヴュー(語り下ろし)という手法で作られた。(後で加筆)
いわば、小説で言えば「私小説」である。自らの負・傷・苦・悲を語って、昇華させる手法である。七つの事件のどれひとつを取っても、気が滅入って、ココロが折れそうな事例である。おそらく、その瞬間には、内田も頭をかかえて、苦悩したにちがいない。しかし、すべてを、クリアして、生き延びている。それらを支えたものが(合気道)と(宗教哲学=レヴィナス)であったのだろうと推察する。
内田樹が今の内田樹になった理由が、この本の中にはぎっしりとつまっている。(行動=身体)と(思索=精神)二つの歯車を廻し続ける内田樹である。 

9. 「恋人たちはせーので光る」
ここではない、どこかへ、連れていってくれるのが、最果タヒの詩を読む、理由とスリルである。踊る最果タチのコトバを読むのは、実に、楽しい。発行された、すべての詩集に目を通している。
ただ、少しだけ、心配がある。イメージ、発想、直観がいつか、枯れてしまわないだろうか?自己模倣に陥ってしなわないだろうか?(現実)を踏みはずしてしまわないだろうか?コトバの世界・宇宙が収縮してしまわないだろうか?もちろん、(私)の心配など、最果タヒには、一切、関係がない。
「ぼくは一人きりで生きて、神様になろうかと思っている」(座礁船の詩)
「本当は生まれる前から知っていて」(人にうまれて)「呪いたい」「世界を恨んでしまいそう」「言葉は通じないものだ」最果タヒは、確実に、「詩の言葉」から「コトバ」へと移行している。
天才・ル・クレジオになってしまうかもしれない、最果タヒ。

10. 詩集「花あるいは骨」
加藤思何理の詩は、いつも迷宮へとヒトを誘う、あらゆる言葉の幻種を、交配させた詩の言葉に満ちている。感性、発想、心性が、日本人離れしている。
私は、加藤の詩を読むといつも、「バタイユ」を思う。リアリズムでは、読めない詩なのに実に、リアルである。いわば「メタファー詩」である。言葉が、コトバに変化している。「不死の人」ボルヘスを思わせる。七冊目の詩集である。あらゆる時空を、自由自在に走りまわる、そんな詩風は、「来たるべき書物」(モーリス・ブランショ)を期待させる。日本人の読者には、なかなか受け入れられないかもしれない。しかし、長い眼で見ると、一人、二人と、読んで、論じてくれる人が増えていく、そんな詩であると思う。自分自身を信じて。精進する(釈尊)

11. はじめて、今福龍太の「本」を読む。子供から大人まで、宮沢賢治の詩ほど、多くの人に、読まれた(詩)はないだろう!!
市民の読書会で、賢治の「銀河鉄道の夜」を読んでみた。講師として、三十人ほどの、作家たちの作品を選んで、読んできたが、驚いたことに、参加者の大半が、賢治を読んでいて、そのうち半分が、宮沢賢治の故郷、花巻を訪れていることだった。
生前は、詩人たちや、数百人の読者にしか、知られなかった「詩」が、今は、国民の「詩」になっている。
もちろん、専門の詩人、評論家たちも、さまざまな、読み方をしていて、詩の深さを物語っている。宗教と科学と詩が合体したのが賢治の詩、思想であるから、簡単で、やさしい言葉の奥にも、いつも、深いコトバが隠れている。
入沢康夫・天澤退二郎・吉本隆明などの「宮沢賢治論」とも、一味ちがう、今福の論考は、視点は、私には、実に、新鮮だった。こんなにも、じっくりと、楽しく読めた「本」は久し振りである。何よりも、ケンジの詩と匹敵する地の文章が身に沁みた。ケンジの魂の存在まで感じられた。愚者=デクノボーの思想は、今福の発見であろう。だから「読書」はやめられない。感謝。

12. 「苦海浄土」を書いた石牟礼道子の言葉の根は、いったい、どこにあるのだろう?そんな疑問が、私の中にあった。
「海と空のあいだに」は、石牟礼道子の全歌集である。670余首が収録されている。唸った。

いつの日かわれ狂ふべし君よ君よ その眸そむけずわれをみたまえ

雪の辻ふけてぼうぼうともりくる 老婆とわれ入れかはるなり

おとうとの轢断死体山羊肉と ならびてこよなくやさし繊維質

短歌の中に、石牟礼の、心性、感性、思想の芽が表出されていた。(狂)の世界。どこにも(私)の場所がないという心性。「石」に感応する心。(苦)とともにある感情。若くして、ニンゲンの世界に(苦)と(悲)しか見ていない。もちろん、石牟礼は、短歌の言葉の向こうに、「コトバ」を見ている。その「コトバ」が見えなければ石牟礼の言葉は、わからない。
短歌の世界と「苦海浄土」の世界で、コトバは、共振していたのだ。詩文から散文へと、移行しても石牟礼の見るものは、ちっとも変わっていない。解説は、生前、石牟礼道子と親交のあった、文芸評論家・前山光則である。声に、言葉に、生身に、ていねいに寄り添った文章は、正に(魂の交感)を見る思いの、ココロのこもったものであった。

13. 「QQQ」和合亮一の詩集を読む。
来年の三月で、3・11東日本大震災から、もう、十年になる。大地震、大津波、原発事故と人類が経験したこともない大惨事・大事件であった。詩人・和合亮一は、大事件、大災害、大凶事と同時的に、ツイッター詩を書いた。いや、手が動いた。コトバが降りてきた。「詩の礫」である。「詩の黙礼」「詩の邂逅」の三部作を出版した。あれから、もう、九年の月日が流れた、その時は、当然、苦しい、辛い、悲しい、しかし、その後も、苦しい、辛い、悲しいは続いている。
あの時、私は、ニンゲンの生き方、その存在理由も、一切が変わる変わらなければならないと思った。
狂おしい、意識が、ゼロ・ポイントに陥った。そこから、どんなコトバが誕生した?そんな思いで、和合の「QQQ」を購入して、一読した。感想は、複雑で、微妙なものであった。理由は?
今、また、世界中を騒然とさせる新型コロナ・ウイルスが猛威をふるっているからだ。ふたたび、人間の原理、思想が問われている。
(ニンゲンに何が出来る!!)和合のように、同時進行で、この新型コロナ禍のニンゲンを書くことができるか?誰が書いている?毎日、毎日、新聞、テレビの放送、報道は、確かにある。しかし・・・それは・・・おそらく、ニンゲンの根源を問うコトバではない。
さて、大災害の時は、もちろん苦しいが、その後も、また苦しいのだ。和合の新作を読んで、ココロが疼いた。読むのが辛い。大きな、大きな、問いが和合に来るのだが、「詩」のコトバは、それに答えることが出来ない。もう、「詩」の完成など、どうでもいいのだ。ニンゲンの、来たるべき姿を、和合よ、啓示してくれ。

14.15. (現代詩作家)と名乗っている荒川洋治詩集を二冊読む。あれから、今、荒川洋治は、どんな現代詩を書いているのか?と。
同時代人である。同世代である。同じ大学であった。若い頃「水駅」には大きな衝激を受けた。まるで、純粋詩、純粋言語だ、ポール・ヴァレリーの言うところの。見事な詩集だった。いったい、どこで、そんなコトバを身につけたのだろう?これから、どうするのだろう?何を書くのだろう。
文学から、遠く離れて、セイカツしていたので、その後の、荒川洋治は、読んでいない。
現代に、詩人は、生きられるのか?詩を書いて、セイカツできるのか?(中原中也は、父が医者。ほとんど仕送りでセイカツしていた!!宮沢賢治は?父が商人だった。学校の先生は、少し経験したけれど、親がかりのセイカツ。)
荒川の詩「ライフワーク」によると、新聞や雑誌に、書評を書きエッセイを書き、(年間二百本も)セイカツしていた。詩集の出版社を創って(紫陽社)、ラジオのパーソナリティを勤めて、大学の先生になって、セイカツしながら「現代詩」を書き続けた。
荒川のエッセイは、視点が面白い。「文学は、実学である」なるほど。書評も、アッと驚く発見があって、実に、スリリングなものを書く。そして、「詩」は、あらゆるものを素材にして、書き綴っている。詩「美代子、石を投げなさい」は、荒川洋治が、なぜ、(現代詩作家)を名乗るのか、その理由を解きほぐしてくれる傑作だ。俗も聖も、世間も政治家も、現代詩作家・荒川洋治の手にかかると、クスッと笑えてしまい、笑いがそのまま歪みになるー複雑な感慨がある。
特に「父」や「母」をテーマにした詩は、今まで、誰にも書けなかった視点と切り口で、肉親を分解している。唸った。こんな書き方をして大丈夫なの?と。詩の言葉が、誰にでもわかる言葉なのに、いつのまにか、知らない時空に連れ出されて荒川にしか見えない「コトバ」で終ってしまう。なるほど、詩人である。現代詩作家。二週間ほど、二冊の詩集をじっくりと時間をかけて熟読した。(新型コロナ禍の中で)もう、荒川も古希になった。日本芸術院賞、思賜賞を受賞した。(現代詩作家)おそるべし。

16. 「法華経」
仏典の大半は、中国から、漢文として(漢字)無文字の日本へ入ってきた。中国では、サンスクリット語から中国語に翻訳されたものである。(インド人僧・善無畏、中国僧・三蔵法師玄奘などが苦労して翻訳)日本では、中村元が「ブッダのことば」「ブッダの最後の旅」として、釈尊の経典を、サンスクリット語から日本語に翻訳している。経典の王さまと呼ばれている「法華経」を、サンスクリット語から現代文に翻訳した、植木雅俊は中村元の弟子である。釈尊の説いた教え、実践が、誰にでもわかる、日本語として翻訳された。文学的な物語として、読んでも、実に面白い。

17.31.33.35.37.39.43
いつか、本腰を入れて、思想家・ヴァルター・ベンヤミン(ドイツ)を読みたいと思っていた。全七巻、平均600ページの大著である。三年、四年かけて、読み込みたい。いつも、誰かの、全集を読んでいる。ドストエフスキーから、須賀敦子まで。約二十人ほどの、全集を読んできた。
「(私)記から超(私)記へ」タイトルを見ただけで、ゾクゾクする。さて、全巻、読み切れるか?

18.19.20.21
大学(稲門会)の「読書会」の講師をしている。ヘミングウェイを読もう。「老人と海」。「映画会」では、「武器よ、さらば」を観た。短かい、動詞と名詞の文章で、スポード感があって、心地良い。文章と行動の人・ヘミングウェイ。日本の開高健が似ている。

22.
今、なぜ、サリンジャーなのか?60年代に、世界中で、一世風靡をしたあのサリンジャーが、村上春樹訳で帰ってきた。村上春樹の作品の根には、ボガネットやフィッツジェラルドなどのアメリカ文学がある。村上春樹は小説の休暇の折りに、翻訳で文章を鍛えている。
庄司薫の「赤頭布ちゃん、気をつけて」(芥川賞)も、当時、サリンジャーの物真似だと随分騒がれたものだ。サリンジャーの影響は、実に大きい。

23. 
「山岸哲男」は、父をなくし、母をなくし、孤児となった。(まるで川端康成のようだ)そして、文学・詩にむかう。「男と女の」詩ばかり書いている。吉行淳之介、渡辺淳一のように。
なるほど、世の中には、男と女しかいない。男と女の現代の風景詩とでも呼べばいいのか?少し、物悲しい詩風ではなるが・・・。

24. 「海を撃つ」
3・11から、すでに、10年になろうとしている。なかなか、3・11を表現し切った作品には、お目にかかれない。余りにも、余りにも、大きな、大惨事であったから、ニンゲンの言葉が追いつかない。
「海を撃つ」は、偶然、原発事故のあった、福島へと移住した、女性の視点で、現在進行系の、さまざまな事象、現象を追った、地に足のついた記録と考察である。ニンゲンの裸形を追って。安東量子が、偶然、投げ込まれた、原発事故の起きた(現場)で、進化している。その言葉が、実に、重い。

25.
詩人。新聞記者、文芸評論家。リアルタイムで、最高の詩人、石原吉郎の詩を読み続けてきた、郷原宏(H氏賞受賞詩人)による、石原の評伝である。
シベリアのラーゲリーで八年間、苛酷な労働と非人間的な扱いのもとで生きてきた、拘留生活。海を渡って帰国。日本の日常に還っても、ラーゲリーでの傷は疼き続ける。日本語を学び直すために、(詩)を書いた石原吉郎。
あの強度のつよい、文体、詩語はいったい、どこから来たのだろう。そんな長年の私の問いに、「本書」の郷原宏は、見事に答えてくれた。「聖書」を読んだ石原吉郎。「いのちの初夜」(北條民雄)を生涯の愛読書とした石原吉郎。
詩の芥川賞といわれるH氏賞の受賞、詩人会会長、方々での講演、名声は日毎に高くなっていくが、ココロの虚無は、ますます深くなっていった。裸のニンゲン石原吉郎の形姿と詩人の頂点にまで昇りつめた石原吉郎のコトバ。そのふたつの姿を、詩人・郷原宏は、「評伝」として、書きあげた。(石原吉郎)そのものを知る力作であった。

26. 
若き日に、大岡昇平の「野火論」を書いた安藤貞之である。早稲田で、国文学を学ぶ。芥川賞作家(黒田夏子)NHKアナウンサー(元)下重暁子は同級生である。「ネーミングは招き猫」は、単なるコピーライターの「本」ではない。
日本の古典から海外文学まで読み込んだ。「言葉」をめぐる本である。

27.
詩人の中の詩人である。詩人にしかなれない心性をもっている。「父と子」の地獄の関係。コトバの迷宮の中に棲んでいる一色真理。一言も口を訊かない小学生の一色真理。
鎌倉時代の禅僧・明恵は見た夢を、生涯「夢の記」として、書き記した。「一色真理の夢千一夜」は膨大な夢の数々にあふれている。詩の転期は、やはり「純粋病」(H氏賞受賞)であろう。どこまでも、どこまでも、ココロの一番深いところへと降りていくコトバ。
解説を伊藤浩子が書いている。心理学を学問としたフロイドの理論を使って。しかし、実は、一色の詩は、ユングの世界である、と私は思っている。ある会合の度で(ある人を偲ぶ会)一色真理は、初期の詩集と詩の雑誌をプレゼントしてくれた。「戦果の無い戦争と水仙色のトーチカ」「貧しい血筋」等々。やはり、初期詩篇は、まだ、一色真理のコトバになっていない。「純粋病」からが、詩人・一色真理のコトバだ。
なお、「歌を忘れたカナリヤは、うしろの山へ捨てましょか」は、半自伝的作品。全共闘運動の息吹きが、鳴り響いている。闘争家・革命家の一色真理がいる。越えれば発狂するような、危険なコトバの上を歩き続けている一色真理。

28.
書評欄を見て下さい。キリスト者の詩人。

29. 「鏡の上を走りながら」佐々木幹朗。
ほぼ半世紀ぶりに、佐々木幹朗の詩を読んだ。実に、なつかしい名前。同世代である。団塊の世代。全共闘世代。同じ年。
昔、一度だけ、生身の佐々木幹朗に会っている。いや、見たことがある。慶応大学の三田で、石原吉郎の講演会があった。石原は、全共闘世代によく読まれていて、スターであった。パネラーとして、詩人の清水昶と佐々木幹朗が招かれていた。私は、「三田新聞」の編集長、中田一男に呼ばれて、何か、質問をしてくれと頼まれていた。で、「北條民雄の『いのちの初夜』がなぜ、石原さんの生涯の愛読書であるのか、訊いた。北條民雄は、ハンセン氏病を患った作家・川端康成に発見され、認められ、たった23歳で死んだ。天才小説家。たった2年半の執筆生活。佐々木幹朗は、石原吉郎の詩の解説と注釈をした。詩人というよりも、全共闘の、闘士という風格、風貌をしていた。
さて、詩集「鏡の上を走りながら」であるが。
①想像力と技術力を駆使した詩よりも、3・11の現場に出かけて、被災者の話に耳を傾けて、聞き書きした詩が面白かった。こんな詩を、30作・50作と作れば柳田国男の「遠野物語」になるのにと思った。(傾聴の力は、僧たちの説法よりも強い)
②もうひとつ「もはや忘れてしまった平成という時代の記憶」(詩作品)四十三歳から七十一歳までの自伝的記録である。まったく詩らしくない詩である。永井荷風の日記「断腸亭日乗」のような(事実)のもつ力を感じさせた。「何もしなかった」「母が死んだ」「父が死んだ」
そうか。そのように生きてきたのか。そんなことがあったのか。なるほど。やっぱり型に入ったサラリーマンとしては、生きてゆけなかったか。旅へ。海外へ。山へ。ノマドのようなセイカツ。活字の向う側にある、佐々木幹朗の姿を眺めながら、あれから、50年、無常迅速であったな、と、感慨が深まった。

39. 秋山駿が死んで、古井由吉が死んで、もう、声を聴きたい、文章を読みたい作家がいなくなったと思っていた。辺見庸がいた。
小説、エッセイ、紀行文、評論、そして「詩」を書いている。なぜ、辺見庸は、多様なコトバを書くのか?そのスタイルでなければ、書けないものがあるから。私は、そう考えている。
辺見庸が解体されていく。辺見庸のコトバが分解されていく。つまり、辺見庸もニンゲン。そして、老いていくという(事実)。溶けていくのは、辺見のコトバか精神か?この詩集は、その序曲か?世界が、ニンゲンが壊れていくから鏡としての、作家・辺見庸も壊れているのか?(作家に引退はない!!)
(老い)三島由紀夫が、もっとも嫌いおそれてもの。(老い)書けなくなった川端を自殺へと追いこんだもの。(老い)武田泰淳を「目まいのする散歩者」にしたもの。辺見庸もその渦中にいる。

32. 「樋口一葉を世に出した男 大橋乙羽」安藤貞之著
明治の文化の香りが、文章から数多くの写真から、立ち昇ってくる見事な「本」である。評伝である。「大橋乙羽」とは、いったい、何者か?が「本」の主題である。明治の、日本初の編集者の正体を求めて、当時の、本、雑誌、写真、資料や文献を収集して、十数年、それらが語るところのものを分析し、資料の欠けたところは、想像力という橋を架けて、推理して、明治の研究者しか知らない(?)「大橋乙羽」という男を探求した力作である。
安藤貞之は、早稲田で国語・国文学を学び、大岡昇平の「野火論」という評論を書き、卒業してからは、美術・デザインを学び、会社の名前や商品の名前をつける、ネーミングの仕事、コピーライター、編集者、エディターとして、活躍をした。会社退職後は、いつか来た「文学」の道に戻って、「大橋乙羽」の研究に十数年を費やした。編集者、山形・米沢出身の小説家・博文館という出版社の専業家、政治家、文人、作家たちを写した写真家、美術家、装幀家、そして、旅行家と多面的な顔をもつ男であった。
実は、「本書」は、作家・安藤貞之の死後出版された。ガンであった。病床にあっても、なお、書き続けて、妻や子供たちの助けもあって「一冊の見本」を見て、安藤は、旅立った。「日本経済新聞」「東京新聞」大橋乙羽の出身地でもある山形県の新聞でも、書評された。好評であった。
早稲田のOBたちの集い「稲門会」では「読書会」(講師-重田昇一年四回)を行っている。安藤貞之もその中心メンバーであった。一言半句を探求して、いつも、見事なレポートを持参してくれた。「草枕」とは何か?と。「読書会」の後で「重田さん、少し文学の話しませんか」安藤さんとの対話では、どこまでも、いつまでも、終りのない、楽しい「文学談」であった。最後の手紙には、私の詩「何?誰?何処?」を病床で毎晩読んでおります。重田さん詩が、よくわかるようになりました。との手紙。「(無)から来た(私)という賽子を今日も振り続けている」ではじまる宇宙の中のニンゲン(私)を歌った詩である。
多面的な顔をもつ男・大橋乙羽を語りながら、実は、自分の仕事の姿、その意味を、探り続けていたのではなかったか?一人でも多くの人に、この「本」を読んでもらいたい。(合掌)

34. 「時間はどこから来て、なぜ流れるのか?」吉田伸夫著。
「時間」と名のつく「本」なら、なんでも読んでみたい。少し前に「時間は存在しない」というカルロ・ロヴェッリの「本」を読んだ。どうやら、時間は、人間の意識が生みだすものらしい、と。本書では、時間は、過去から未来へと流れていないという主張が展開されている。結局、人間の意識が、その働きが時間を感じてしまう、中心になる。ニュートンの、空間、時間「絶対時間」から、アインシュタインの「時空」が合体した、相対性的な「時間」。時間、空間、意識、そしてニンゲン(私)不思議な現象である。

36. 
天才・荒川修作が死んで、もう、何年になるのだろう?アラカワの「私は死なない」「天命反転」という命題は、今どうなっているのか?誰が引き継いでいるのか?22世紀に(アラカワ)は、どのように生きているのか?
岡山の奈義へ、岐阜の養老天命反転地へ、三鷹の天命反転住宅へと足を運んだ。そして、アラカワの「本」を眺めたり読んだりしている。紀行文風な「アラカワ論」を書きはじめている。

38.
もう、約50年になる。「全共闘」の運動から。あれから、それから、闘争者たちは、どのように、生きてきたのか?75問のアンケートから、それぞれが自由に選んで解答している。456人超の回答が集った。深い、深い溜息。無常迅速の月日の中で・・・。

40.41 「サピエンス全史」
世界中で1000万部以上、売れた「本」。なぜ?著者は、イスラエル人。歴史学者。ユヴァル・ノア・ハラリ氏である。
①認知革命 ②農業革命 ③人類の統一 ④科学革命
「歴史」いわゆる「歴史」を語る視点ではない。新しい切り口。で、モノの考え方、見方が、今までとちがってくる。その発想が、おそらく、多くの読者を刺激したのだろう。新しい(知)
「21Lessons」に、面白い文がある。知人に誘われて、瞑想をはじめた。先ず、呼吸から。吸っては吐く呼吸法。その時、私は、私のことを何もしらないと感じる。「サピエンス全史」よりも、呼吸法・瞑想の方が深い!!と気がついた。毎日、毎日、ハラリ氏は、瞑想をしている。なるほど。実は、私も、呼吸法・瞑想をしている。(知)よりも深い。

42.43
現代日本の最高の文体を誇る作家・古井由吉が死んでから、古井の「本」(ほとんど持っている)を、再読している。「水」や「山躁賦」や「杳子・妻隠」「仮往生伝試文」や「円陣を組む女たち」(処女作)最新の「この道」遺稿集「われもまた天に」など。
「詩への小路」小説家・散文家・翻訳家である古井由吉が「詩」について、「詩のコトバ」について、自由に語っている。そして、リルケの代表作「ドゥイノの悲歌」を自ら翻訳して、注解を加えている。「自分は小説と随想の間に生息する者かと思った」と楽しんで、青春とともにあった「詩」の世界を再現している。
「古井由吉」(文学の奇蹟)が出版された。蓮見重彦、柄谷行人、吉本隆明、小島信夫と「文学・思想」を代表する者たちによる(古井論)

45.
作者の小泉吉永は、かつて、私の経営する出版社の、優秀な編集者であった。高校教師の時、神田の古本屋で「江戸時代の寺子屋の教科書=往来物」に出合う。それから、編集者、大学講師をしながら、「往来者」の研究者、収集家、第一人者となる。現在は(私塾)を開いて、往来物を教え、講義・講演そして、歩いて、(現場)を尋ねる催し物もしている。本書は、その成果のひとつ。頑張れ、小泉吉永!!

46. 「読書の愉しみ」壬生洋二
ヒトは会社を退職しても、ニンゲンを引退する訳にはいかない。さて、何をする?どうやって生きる?この高齢者社会で「老い」は突然やってくる。
壬生洋二は、若き日には、詩人であった。早稲田の学生時代「あくた」という同人誌に、鮮やかなコトバで、(現代詩)を書いていた。もちろん、(詩)で飯は食えぬから大手企業のサラリーマンになった。約四十年、勤めあげて、自由の身となった。
現在は、毎日図書館へ通って「本」を読み、その感想をブログに書いている。もう十年以上。三百回を越えている。好評で、多くの読者を得ている。(他人との対話が成立)「純文学」から「落語」まで。散策の折りに、見たものを写真に撮り、考えたことを文章にする。四季の中に、風景の中に、風俗の中に、発見するよろこびがある。そして、テーマ毎に、分類して、何冊か「本」にしている。十数冊の私家本である。(ひとつの存在理由?)ここに、現代の、無名の一人の、兼好法師がいる。「つれづれなるまま、日ぐらし硯にむかいて、こころにうかぶ、よしなしごとを、そこはかとなく・・・」一言半句の中に、キラリとひらめくものがある。はやり、昔、詩人だった!!

(重田昇のホームページ「読書日記」より、重田ワールド覗いて下さい。)