Archive for ◊ 6月, 2020 ◊

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• 月曜日, 6月 29th, 2020

3501. 今日も魂(プシュケー)という(私)を運んでいる。ビッグ・バンの風に吹かれて。(私)という不思議が、コズミック・ダンスを踊っている。

3502. 毎朝、柿の木の切り株を眺めている。もう、何百日も。切り株と(私)の間にある空間のひろがり、いつまでたっても、それが、何か、わからない。

3503. ただ歩くだけの、(歩く瞑想)。美しが丘公園までの、そぞろ歩き。

3504. ベンチに腰を掛けて、六月の深い緑を眺めている。水無月の樹木は美しい。眺めても、眺めても、眺めても飽きない。日が暮れる。

3505. 巨きな楠。一年中、緑の森。新しい芽が出て、葉が開くと一斉に、古い葉が落ちてしまう。四月から五月にかけて。眩しい。自然の歯車が廻っている。

3506. ニンゲンは(私)が持っているものを、使い切って、死ぬことができない。(私)は、私が考える以上のはるかな巨きな何者かであるのに。

3507. 生きる=セイカツをするために使った力が、すべてではない。その力は、ニンゲンが持っている力のほんの一部である。

3508. 眼の前の、空間のひろがりひとつも、充分に、考え切ることができない。時空のひろがりを漂っていて。

3509. 好奇心の塊りであるニンゲンは、宇宙の迷子であるという、その不思議が気に入らない。「(私)は私である」その思考のパターンが、納得できない。

3510. ニンゲンは、未完了のまま、(私)を終ってしまう存在である。

3511. 意識がなければ、ニンゲンは(時間)を認識できない。すると、(時間)とは、意識に写るものである。

3512. 「石」にも(時間)は流れる?時空に存在するもの、しないもの、すべて、意識された時、時空のひろがりがある。つまり、宇宙という時空は、意識が発見する。

3513. (考える)、モノを考える。(考える)ということを考える。存在が考えるのか?(考える)中に存在が現れるのか?

3514. 唯物論者?唯心論者?唯識論者?「空」論者?あなたは、何を選択する?

3515. 「在る」「無い」という二元論を捨てて、ただの「一者」になる。

3516. 「宇宙には、『完全静止』しているものは、何もない」少年の頃、そのことに驚愕した。地球も、太陽も、星々も飛び続けている。「石」は静止している。「木」はそこに立っている。「私」は部屋に坐り続けている。すべて「仮の静止」である。動の中の静である。(無常)だ。で、(今)も(ここ)もわからない。

3517. どんなに長く生きても、百年、千年、万年、ニンゲンが、(私)という小宇宙を、生き切る術はない。

3518. 宙吊り、切断、中断、浮遊、尻切れとんぼ、未完という「物語」を生きているニンゲン。

3519. しかし(私)は死なない。やはり(私)の死はない。

3520. 重田昇は百パーセント死ぬのに。不思議だ。

3521. どうも、(生きる)(死ぬ)という二者択一ではない、第三の方法があるのでは?

3522. (私)は、どうやら、(私)が思っているよりも(無知)である。あまりにも(私)は、不思議に充ちすぎている。

3523. 存在者であることからは(自由)にはなれないよ。ニンゲンだって、特別な存在者ではないからね。

3524. 結局、生きてみると、他人の足を踏んだり、自分の足を踏まれたり、「世間=社会」とはそういうものだから、ね。(関係の関係)

3525. 木や石も草も水も結局、ニンゲンと共生、共存するものだし、ウイルスだって、同じことだよ。

3526. 一緒に、共に、存在して、(傷つかぬ者)なんてないんじゃないか?

3527. 歩行は、いいね。いつも、何者でもない原点を、確認できる。(歩く人)ニンゲンの原型だ。

3528. カミが創造主で、万能ならば、(私)の外部に、カミが存在しなければならない。(私)の内部にいるものは、いったい何者であろうか?

3529. (私)の内部に発見したものも、カミであるならば、(私)もカミでなければならない。一即無限で、カミか?

3530. 外部、どこまでも、延長される外部、無限まで。それは宇宙という超球の自然であろうか?(スピノザ風に)

3531. 祖母は、光り輝く太陽をおひいさんと呼んで、毎朝拝んでいた。カミさまである、と。(なるほど、生命の源だ)

3532. (私)は、超球の宇宙を、カミと呼んでいる。(祖母と似たようなものだ)

3533. 結局(私)は、「入我我入」「相依相関」を生きる存在者か?

3534. 木も、また、歩行しているのに、ニンゲンの粗い眼には、木の歩行が見えない。

3535. 時空のひろがりがあるだけなのに、ヒトは、時間を探したがる。

3536. 日が昇り、日が沈む、明けない夜はない。(ソレは地球だけのこと)

3537. 日は昇りつづけ、昼だけの星。日は沈んだまま、夜だけの星。(宇宙には、そんな惑星があふれている)

3538. まだ、紫陽花は、緑の花、白い花、六月の長雨の中で紫となる。今日は5月31日(色の移ろい)

3539. ニンゲンは、(私)が考えているよりも、10倍も、100倍も素晴らしい。超(スーパー)システムである。

3540. 普通に生きている(私)は、実は(私)をよく知らない。ほんの一部分を使って、平気で、生きている。

3541. 生きていくための、仕事、セイカツの苦労ばかりが語られる。本当は、(私)という存在全体が、新しく、発見されなければならない。

3542. つまり、社会に生きる(私)から、そろそろ、存在そのものを生きる(私)へと、視点を移すべきである。

3543. 未使用の(私)が眠っている!!

3544. もったいない。(私)は、ココロの流れすら知らない。なぜ、モノが、コトが(わかる)かも、知らない。

3545. ニンゲンが(私)の中から掬いあげられるコトバは、ほんの、わずかなものかもしれない。大半は、一瞬、光って消え去ってしまうコトバ群である。

3546. 耳を澄ましても、眼を見開いても、コトバたちは、量子のように(私)の中を通過していく。

3547. 器、形のあるものは、雪崩れをうって(無)へ。

3548. 道を支えている、見えない道。

3549. (一緒に、共に、みんなで、手を取りあって)を合言葉に、汗を流して、苦も悲も乗り越えて、(生)を楽しんできたニンゲンである。(一人では出来なくても、二人なら、大勢でなら、と)突然の新型コロナ・ウイルスの登場で、セイカツの習慣が壊されて(独りで、離れて、ステイ・ホームして、仕事は家で、談笑する口も見えない、マスクをして。)新しい生活スタイルは、ヒトとヒトを切断する。

3550. (触る、撫でる、手を組む、抱く、面と面でむかいあって、息を吐く、耳元で囁く、合体する)ニンゲンを知るための、行為が、旧き、良き時代の習慣になってしまう!!(もう、元に戻らない)新しい生活習慣は、ニンゲンの美点を殺してしまう。(本当に、それで、いいのか?)