Archive for ◊ 11月, 2016 ◊

Author:
• 金曜日, 11月 11th, 2016

3251. 「言葉なき歌」をうたえと言う者がいる。
なるほど 絶対沈黙する 超球宇宙から 流れてくる 「コトバなき歌」がある。

3252. 一秒の歩行は百年の歩行。百年の歩行は百三十七億年の歩行である。

3253. コトバの種子よ、百花繚乱となって(私)の宇宙を形成せよ。

3254. 必要とあらば、原子、量子の見えぬものたちをも、見える眼を獲得せよ、ニンゲンよ。それが、進化だ。

3255. 意識、心、魂と、眼に見えぬものたちをも、見てきた、ニンゲンである。

3256. 千里眼、透視者、予言者、古代のニンゲンの眼を、あなどってはならぬ。

3257. 釈尊の瞬間移動、役小角の空中浮遊、ランボーの透視、キリストの予言と復活、神変・奇蹟は、起こるものだ。

3258. 光の三原色は(緑+赤+青→白) コトバの三原色(歩くコトバ・緑+踊るコトバ・赤+跳ぶコトバ・青→黒)である。

3259. バラモン教風に言えば、学ぶ、働く、想う、祈るがヒトのたどる一生の道程である。

3260. 戦争は、人類が生んだ、最大の愚行・狂気である。戦争は、同じニンゲンを、敵と味方に分ける。そして、者(ヤツ)は敵だ、殺せ!!という論理である。超法規の下に、禁じられている殺人を認める。敵は、悪であり、ニンゲンではない。味方は善であり、ニンゲンである。

3261. 真夏の光に悲しみがある。熱風に、生のゆらぎがある。息と息の間に(私)がいる。輝く砂粒が私語している。見えないもの・聴こえない音。姿・形が誕生して、波となって、光って、消えてしまう夏。

3262. 影たちと、魂たちと、静かに、共に、生きている。深く、深く、深く。

3263. 形(文章)にしてこそ見えてくるものがある。私の『喪の日記(コトバ)』(詩)を読んで妹が、しみじみと言った。
「こんな父(ひと)なら、もっと、尊敬してあげればよかった」と。

6264. 死者となってこそ見えてくるものがある。書いてこそ、現れてくる姿がある。ゆえに、死者も、語るのだ。

3265. 生者の眼と死者の眼。魂のコトバは、死者が放つコトバの謂である。で、ココロの眼に見えるのだ。

3266. 木と人が音信(シグナル)を交感する日、その時、脳ではなく 声ではなく 文字ではなく 魂のコトバが飛び交うだろう。

3267. 発光せよ!!(私) そんな声が、どこからともなくやってきた。真夏日の路上で。

3268. 光の化石・ニンゲン(私)よ、また、ふたたび、光に還るのだ。

3269. ニンゲンは、宇宙の中で、(私)自身を生きてやろう、と思うのに、いつの間にか、世間の、社会の中で、職業=(私)として生きてしまう。

3270. 思考するにしても、ニンゲンは、習慣の中で、考えてしまう。長い時間をかけて身につけた習慣である。だから、習慣を捨てて、新しい一歩を踏み出すのは、容易ではない。

3271. 思考の外部へ出ると、自然そのものがあるのだが、ニンゲンは、(私)を見失ってしまう。

3272. 死者は、光の速さで、宇宙を翔んでいるから、齢をとることがない。ホトケは光であるから。

3273. 読書は、黙読、朗読と手で読む書写の三つである。

3274. ニンゲンは、どんな人でも、それぞれの立場で、それぞれの役割を演じ続けて生きている。(社会的私)
それから、ニンゲンは、自分自身を生きはじめ、存在そのものを呼吸して、死んでいくのだ。(宇宙的私)

3275. いつまでも、立場や役割にこだわって生きている人は、見苦しい。一切は、無常迅速に、変化し、過ぎ去っていくのだから、宇宙での、生の一回性に、眼を転じて、死に、深く、想いをめぐらすべきである。

3276. 「人間原理」で生きるニンゲンでも、晩年は、最後は、「宇宙原理」の不思議へと、身をゆだねるべきである。深淵へ。超球宇宙へ。

3277. 任意の点が無限へと飛翔する快楽・瞑想を通じて。

3278. ニンゲンは、それぞれが、意識が認識した位相=世界=宇宙に生きる動物である。ゆえに、同時代を、生きている人達も、同じ宇宙に、生きているとは限らない。(アインシュタインと凡人)

3279. 科学者は、宇宙が、ビッグ・バンから誕生した、無から誕生したと、理論で証明したが、なぜ、宇宙というものが、誕生しなければならなかったのか、は、証明、説明できない。で、ニンゲンは、哲学する、宗教する!!文学をする!!

3280. で、ニンゲンが、宇宙に生きている意味も意義も、決定できない。さて、あなたはいったい、何を生きているのか?

3281. どんな場所に立つかで、見える風景の姿は変わってくる。どんな位置に立つかで、見える人の姿は変わってくる。どんなココロの位想に立つかで、人生の姿は変わってくる。
同じ風景、同じ歌、同じ世界は、どこにもない。いつも、モノもコトも、無限変化してしまう。(私)も、決して、固有のニンゲンではないのだ。

3282. 新緑(色)は、静か(音)になり、やわらかく(質感)になり、平和(コトバ)になる。不思議な変身である。(見る=聞く=触る=考える)

3283. ヒトは、それを「光」と呼んでいるが光自身がコトバである。

3284. 言語としての、声としての、文字としてのコトバを超えて、交通するもの、発信するもののすべてが、広義のコトバである。

3285. ゆえに、存在は、コトバである。アーラヤ識の、種子が、コトバの源である。

3286. いったい、何が起こっているのか?生きるをしている(私)という現象に。

3287. 現象としての自然(モノ) 現象としての生命(コト) 見る、考える、直観する(交流)

3288. いつも、何かをしている 何もしてくなくても。在ることと無いこと。それ以外ない。

3289. 一切を放り出して (私)を放り出して なお、残るものよ!!

3290. 青い柿の実が落ちた、地面に。痛い、生命が。

3291. 地球の風、銀河の風、銀河にも秋風が。見えた!!

3292. 何もしない日。現代人に、必要な日。しかし、ヒトは、何もしないことを畏れている。

3293. (私)が私自身と和解したから、私の体調不良が回復したのだろうか?呼吸に集中して、呼吸をしていた。

3294. 人類のコトバは、進化しているか?退化しているか?孔子・釈尊、ソクラテス、イエス・キリストのコトバから、ヒトは、どのくらい遠くまで歩いてきたのか?あるいは、退行したのか?

3295. 当然、コトバは、声、文字というだけではない。天からの「啓示」も含んでいる。アーラヤ識から吹きあげてくる種子のコトバでもある。

3296. 大学の文系を少なくして、理系を多くする―国―現代の政治家の方針。
文系(文学・教育・哲学・倫理・芸術)は役に立たず、理系(機械・道具・コンピューター・車・ロケット・飛行機)などのモノ作りが、社会・人間の役に立つという、思考・方針。
愚かである。無知である。狂っている。ニンゲンを結びつけ、楽しませ、生きる力となっているのは、「コトバ」ではないか!!
(表現)の根本である、文系を軽視すれば、国が、民族が滅ぶ。
思考力の浅い、深い知識も、教養もない、政治家たちが、勝手に、(教育)を悪化、劣化させようとしている。

3297. ひとつの(事実)は、いつも多面的である。AがAのままであるならば探求は、実に、容易であるが。AがBであり、AがCであり、(量子的事実)は、いつも、ヒトを混乱させる。狂わせる。慣れることは可能であろうか?

3398. 木と親しくなると(眺め続ける) 肉親に対する感情と同じようなものが、(私)の内部から流れ出してくる。

3399. 音―音楽を聴いて感動する―(普通の音楽) 音楽を聴いて、深く、深く、深く、思考してしまう(武満徹の音楽)

3300. ある日、突然、瞑想の中に、金色の兜と朱色の鎧を着た武士が現れた。そして、風景の中に、居坐り続けている!!峠に坐って、眼下に、蛇行する川、菜の花、水の輝きを海を、遠望する、私のイメージ・瞑想。
あなたは、誰だ?私の守護神か?