木は立っている。
蛇は這っている。
魚は泳いでいる。
鳥は飛んでいる。
人間は歩いている。
石はそこに在る。
風が立ち
水が流れ
火が燃えあがり
土がある
ものが動き
ことが起こり
エネルギーの
交換がある。
「世界」という
事象はたった
それだけだ。
超球は廻り続け
時間が生起する宇宙(コスモス)だ。
木は立っている。
蛇は這っている。
魚は泳いでいる。
鳥は飛んでいる。
人間は歩いている。
石はそこに在る。
風が立ち
水が流れ
火が燃えあがり
土がある
ものが動き
ことが起こり
エネルギーの
交換がある。
「世界」という
事象はたった
それだけだ。
超球は廻り続け
時間が生起する宇宙(コスモス)だ。
70年代から現在までの激動の時代相を如実に浮かび上がらせる
1970年、早稲田大学在学中の著者は、「早稲田文学」で文学への一歩を踏み出した。当時、東京大学安田講堂の攻防戦を境に全国の大学での全共闘の学生運動は急速に衰退しつつあった。
この当時、大学にあって60年安保闘争以来の学生運動の渦中にあった筆者が振り返ってみると、70年の大学キャンパスには学園闘争の余熱と虚無感が漂っていた。
著者重田昇はそういう時代を呼吸し、その翌年(71年)に最初の長篇「風の貌」を完成した。仄聞するところによると、「風の貌」は著者の親友の不条理な夭折がこれを書かせたという。
この重く暗い第一作の長篇は椎名麟三や梅崎春生の諸作に通うものがあった。
以後、彼は長い沈黙の時代を過ごし、1986年(昭和61年)に「現代けんこう出版」を立ち上げる。高齢化社会を見通しての設立であった。いまでいえばベンチャー企業の嚆矢であった。
今回「歩いて、笑って、考える」に収められた諸篇は、1993年(平成5年)から2007年(平成19年)に発表されたものであり、全七章、紀行、対談、講演、詩、書評、エッセイ、小説を収めるきわめて特異な一冊であることから、あえて、「重田ワールド」と呼んだ。
さて、著者重田昇からすれば、第一に巻末小説「霧箱」から読んで欲しいだろう。しかしながらこの長篇は第一章のみで未完に終わっている。都心から程遠くない、かつては不毛に近い農村が半世紀余を経て東京のベットタウン化した地方小都市に生きる老若の人びとの思いを描くこの小説は、いまを生きる市井の人びとが思い描く明日を描いてゆくものだろう。著者は還暦の60歳。現代文学を牽引してきた来た辻井喬は還暦を過ぎてから「終りからの旅」「父の肖像」などの名作を発表している。60歳を契機として事業から退いて文学に賭ける重田昇は決して遅い再出発ではないだろう。
しかし、この「重田ワールド」は小説「霧箱」から入っては迷路に踏み入れたように、読者を困惑させるであろう。むしろ、第三章の講演「生きる元気の素」から読むことを奨めたい。
これは、母校徳島県立海南高校80周年記念の講演である。因みに書けば、著者の高校在学中に海南高校は春の選抜全国野球大会で優勝を遂げていることを語る。ここでは著者の生い立ち、哲学を語る。つまり作者重田昇の自画像を語るのだ。これは自己を客観化する文学の師秋山駿に学んだ私小説の方法なのであった。ここを起点にすれば、著者が歩いた紀行文(第一章)の鮮やかな描画の秘密が容易に理解可能になる。
特に第六回の大阪府岬町の章が印象深い。岬町行では新宮出身の中上健次の思い出が綴られている。そして、岬町の風土が的確に輪郭正しく描出される。紀行作家たちのような情緒の感傷はない。秋山駿が著者をいかに酷しく鍛えたかがうかがわれる。
このことは第二章の対談・座談会の章で明かされている。「知識や観念の言葉ではなく、自分の言葉で」「現実に生きている風景を」という師のことばをそのまま実践している文が巻頭の紀行の諸篇であった。
第三章の座談会からの発展は第五章の書評、殊に秋山駿の「神経と夢想」「私小説という人生」の批評に深い洞察眼が見られる。これは第六章のエッセイ「言葉の歩行」に引き継がれる。ということは、第二章の対談がこの「歩いて、笑って、考える」の重田ワールドの基軸なのだ。第六章では著者の経営する「現代けんこう出版」での意図「ヘルスアップ」の理念を説いた短文が収められている。文学から遠いテーマであったが、唯一、「三島由紀夫の行動変容」が興味深かった。ここから著者の「三島由紀夫論」が書かれたならば、いかなる作家論となるかとふと、思った。
最後になったが、第四章の詩に触れる。ここに収められた六篇は旧作の「四季幻想」を除いて「詩と思想」に発表された。生来の散文家であると観ていた筆者には著者の詩は初見でもあり、意外でもあった。「ビッグ・バンの風に吹かれて」は長篇小説「ビッグ・バンの風に吹かれて」(1991年)の主題の詩化であろう。
井上靖ならば詩「猟銃」は小説「猟銃」へとなるが、これは反対に小説から詩へである。六編の詩中、「いるからあるへ」は「弟・実への鎮魂歌」の副題のある散文詩。ここには文学の装いのない重田昇の心情がそのまま写されていた。
六編を読了して、率直にいえば、これからはやはり散文家の詩ではなかろうか。
しかし、筆者は詩を書く重田昇という知られざる一面をこの著書で知った。
この重田ワールドはその文学的生涯を語りかけることによって、70年代から現在までの激動の時代相を読者の前に如実に浮かび上がらせてもいる。
海陽町出身で作家の重田昇さんが、紀行文やエッセーなどを収録した作品集「歩いて、笑って、考える」(図書新聞刊)を出版した。7章構成で、バラエティーに富んだ内容となっている。
3章では、2002年に母校・海南高校の創立80周年で「生きる元気の素」と題して講演した内容を掲載。「歩く」「笑う」「考える」の3つを支えに生きてきたとし、言葉や夢、ビジョンの大切さを説いている。
生活習慣病の予防を促す「国保ヘルスアップ事業」で阿波市など全国を回った際の紀行文をはじめ、詩やエッセーなども盛り込んでいる。重田さんは「生きるための基本を考え直してもらうきっかけになれば」と話している。
重田さんは早稲田大学在学中から「早稲田文学」などに作品を発表し、卒業後に小説を出版。昨年には1986年から経営していた出版社を譲渡し、作家活動を本格化させるという。
熟すように人生の味深く
春は生命の躍動する季節である。灰色と淡い光の寒空と、鈍色の海、寒風が吹き、山も野も、平野も、褐色に染められて、猫もコタツで丸くなり、生命も縮んでしまう冬。
しかし、冬の底には、着々と春への準備がすすんでいて、淡い冬空が、いつの間にか、すみれ色に染まって、空の青が濃くなり、一月の水仙、二月の紅、白の梅が終わると、一気に光の力が強くなって、真紅の椿、黄色の菜の花が風に揺れはじめ、春の王さま・桜前線が春の香りをいっぱいに北上をはじめる。
人間の世界は、世界同時大不況である。人間は、景気が冬の時代であるから、どの顔も暗く、不安気で、心まで萎縮して、元気がない。
四季のある日本の自然は、人間世界とは関係なく、暦は還り、時の流れに合わせて、いつもの春を運んでくる。野外に春の力がある。
私は、帰郷するたびに、自転車で、あるいは、歩いて、訪れる場所がある。宍喰川の河口が海と交わるあたりから、旧道を海に添って歩くと、左に太平洋、右に小高い山の斜面が続き、漣痕を眺め、岩に砕ける白波の音を聴き、ゆっくり、ゆっくりと潮の匂いに包まれながら、坂道を三十分ほど登って、国民宿舎水床荘の跡地にたどり着くのだ。
四季折々の風物が眼を楽しませてくれる、私のウォーキングスポットである。
今年は、父が九十一歳で死んだ。一月の葬式、二月の四十九日の法事の後も、風に吹かれて海の見える、水床荘跡地へと歩いてみた。メジロが鳴き、トンビが空に舞い、磯浜には白波が立ち、潮風が頬を叩いた。人間、どう生きても一生は一生。一日は一日、誰にとっても同じことだなと、念仏のように呟きながら、歩き続けた。
私は、放心して、無私の心になって、風景を眺め、生きている、今、ここに立っている自分のことを、五感を使って全身で感じていた。
鈴ヶ峯から奥へ奥へと幾重にも連なる山脈、海へと突き出た、那左の半島、ふつふつと水と空がせめぎ合う水平線、眼下の竹ヶ島、遠くには室戸岬、ホテルリビエラししくいと、宍喰の町並み、これが、私の故郷だと思う。
”時熟”という言葉がある。哲学者ハイデッガーの言葉だ。時がめぐりめぐって熟すように、人間も、生きれば生きるほどに、人生の味が深くなるように、物の見方・考え方を鍛えたいものだと思う。
岬の尖端に立っていると、死者たちの声が聴こえてくる。百歳で死んだ祖母、九十一歳で死んだ父、四十九歳で死んだ弟、叔父、義兄、自分たちのことを書いてくれという声が耳の底で鳴り響いている。私は、昨年、二十二年間経営した会社の社長を辞めた。四国を舞台にしたレクイエム、長篇小説「百年の歩行」を執筆している。
正に、帯文のように雑誌のような「本」で、しかも昇華された思惟が真に溢れて熟読しております。
いろいろなスタイルの文章を読ませて頂いて、言葉は豊かなメッセージを持っているのだなと感じ入りました。
詩「いるからあるへ」は最も感銘を覚えたページです。
各ジャンルにわたり、それぞれにおいて本物の文章と無類の言葉の力に接し、感銘を深めました。
読みやすい文章で、紀行文もエッセイもあっという間に読んでしまいました。
重田ワールドのこれからが楽しみです。
2~3年後に、直木賞にエントリーされる作品が誕生することを待っています。
ウォーキングのセミナー・講演で人気を拍しているKIMIKOさんが、彼女のホームページにて絶賛!!
流麗な文章でとても読みやすかった。
2章では、在校生のような身になり、話に引き込まれました。
故郷のこと、言葉のこと、文学のこと、健康のこと、自己実現のこと、将来のこと
これだけしっかりと語れる卒業生をもつことは、海南高校のまさに財産です。