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• 金曜日, 12月 06th, 2024

世の中には実にたくさんの、多種多様な仕事がある。遊びでもない。趣味でもない。道楽でもない。ニンゲンにとって、仕事とはいったい何であろうか。そして、人は、たくさんの仕事の中から、ひとつの仕事を選ぶ。なぜ?
久米勲は、編集者という仕事を選び、生涯一編集者として生き抜いた男である。
作家でもない、記者でもない、編集者とはいったい何者であろうか?どんなことをする人であろうか。
本書の底辺には、そんな思いが流れている。そして、読み終えると、そんな疑問が溶解する「本」である。

さて、久米勲は、大学への進学を決める際、社会に出て、役に立つ、実学(?)=法学部や商学部に入ってほしいという父の思いを裏切って、文学部へと進学を決め、早稲田大学で国文学を修学した。
時代は、政治と文学の熱気で燃えあがり、新しい雑誌や新聞や書評誌や思想書が、次から次へと発刊されて、時代を背負う作家たちが続々と登場する、「本」が売れに売れる、黄金時代であった。
学生の就職希望は、マスコミに集中しておそろしい競争率・倍率であった。
久米は、文芸の出版社、河出書房新社に見事に合格して、雑誌「文芸」や文学関係の「本」の編集者としてスタートする。(河出書房新社は、二度倒産している。)(昭和32年と昭和43年)
先輩には、鬼編集長として、作家たちに畏れられた、坂本一亀がいる。三島由紀夫の「仮面の告白」を手がけ、「悲の器」を書いた新鋭の高橋和巳を発見して、育てあげた。(音楽家、坂本龍一の父)
「文芸」「海燕」の名編集長、寺田博もいた。作家、吉本ばなな、小川洋子などの発掘者である。
久米は、先輩たちの仕事ぶりを、背中を見ながら、編集者としての腕を鍛えていった。
新人、無名の作家たちの、生原稿を、何百と読み込んで、活字になった文章と同じように評価できる眼力を身につける。
そして、企画、立案から、作家たちへの原稿の依頼、原稿の修正、入校、割りつけ、ゲラ刷りの校正、帯文のキャッチコピー、「本」のタイトル、装幀まで、一切の実務を修得した。
担当した作家たちは?大家の川端康成、流行作家の吉行淳之介、五木寛之、野坂昭如、瀬戸内晴美、山崎正和、新人の中上健次、河野多恵子と錚々たる人々である。

作家たちとの交流、付き合い方、原稿のもらい方、距離のとり方、素顔の作家たちの日常・仕事の現場。特に、作家の家での会食は、長く付きあってきた編集者の特権であろう。吉行家の「ヒジキ」山本家の「春雨サラダ」瀬戸内家の「キィウィと玄米」五木家の「ステーキ」。どんな仕事でも、お客さんと一緒に、食事ができるようになれば、一人前である。第一に、信用を得たという証拠である。久米は、後に、エッセイとして、その現場を活写している。

作家は、原稿を書く人、いわば、卵を産むニワトリ。編集者は、生原稿を読んで、「本」=商品になるかどうかを見決めて、立派な「本」にして、読者の手許に届ける、「本」づくりのプロ(いわば、作家が産んだ卵をヒナとして誕生させて、一人前の成鳥になるように育てあげる人。)
決して、自分では、モノを書かない。目利き、眼力の人、作家にとって、はじめての読者であり、批評家である。
東西古今の名作を読み尽くして、いい文章とダメな文章(作品)を見極める力を備えた人が、名編集者となる。作家にアドバイスをして、修正したり、書き直しを命じたり、余分なところを削ったりさせる力を持っている。(ドストエフスキーの原稿には、無数の修正があるー編集者の)

「本」の読み方には、二つの方法がある。
ひとつは、「本」を、ひとつの世界・宇宙と考えるもの。作家本人とは別の生きもので、作品の中に、書かれたものしか、読まない。作品は、作家にも見えない、「本」はわからないものが含まれている。書かれた文章がすべてである。(ロランバルトのテキスト・クリティック。蓮見重彦の「本」の読み方や論じ方)(表層批評)
もうひとつは、作品は、やはり、作家が産んだもの。作家の子供が作品。あらゆる言葉・文章・発想は、作家の中から生れたもの。従って、作家個人の性質、育った環境、家、家族、その職種、一切を調べて、作品を解釈する方法。実証主義。評論家、平野謙がその代表。国文学者たちも。平野は「島崎藤村」を書いた時、その調査と探求は、まるで、探偵だと畏れられた。
さて、本書を書いた、編集者・久米勲の「本」の読み方は?どちらであろうか?本書を読んで、読者に、判断していただきたい。

作家と二人三脚で「本づくり」の共同作業をしてきた編集者は、決して、モノを書く人ではない。作家たちは、光を、スポットライトを浴びるが、「本」を制作した編集者は、裏方であり、黒子であり、縁の下の力もちであり、光に対して、影の存在である。
しかし、時には、新聞社や出版社から、依頼されて、モノを書くこともある。
実は「本書」も、久米が依頼されて書いた書評や解説や文学論やエッセイに加えて書き下ろしたもので構成されている。
特に、作家たちが死んだ場合、作家との交流があって、現場と素顔を知っている編集者の記録や告白は、随分と貴重な資料となる。
「あとがき」で、久米は、こんなことを書いている。「編集者として、ぼくは良い時代を過ごして来たようだ。そのことを残しておくのも悪くはないかも・・・(略)二人の孫に、お爺ちゃんはこんなことを考え、こんなことをしてきたんだと、伝えておこうと」
記録もひとつの文学である。日記も。回顧録も。久米の編集者としての存在証明が本書である。孫たちにというところが、実に、あたたかいメッセージである。老いた時、誰でも、一度は、「人生の検証」をするものだ。

編集者として、一番の喜びは、何であったのか?
新人の発見、新しい文学者の発掘であろう。
「やちまた」足立巻一著
盲目の人・本居宣長の長男のことを書いた評伝。同人誌「天秤」に掲った、「やちまた」の冒頭を読んだ時、編集者としてのひらめきが来た。名作だと。久米は、「やちまた」の出版を決意。「やちまた」は、芸術選奨文学大臣賞を受けた。久米の編集者人生で一番のよろこびであった。

「正統なる頽廃」(大笹吉雄第一評論集を刊行。)
「花顔の人 花柳章太郎」 大佛次郎賞受賞
大学の同級生・演劇評論家の誕生。まるで我ことのように喜んだ!!
河出書房新社が倒産!!(2度目)
社員が、約600名(関連会社を含め)
久米勲も、何度目かの、希望退職者の募集に応じた。三人の仲間で、編集会社「木挽社」を設立。本づくりの職人として、生きる!!
そして、フリーの編集者に。
企画・立案から、出版社との交渉。苦労の絶えない、辛い時代を生きることになるが。「新潮日本文学アルバム」は、好評で全100巻に。
その頃の心情。
「机の周りに写真を散らかし、一日十時間、いや、二十時間にもわたって割付け(レイアウト)をしていると、俺は生涯こうして机の前にこの写真たちと坐りつづけなくてはいけないのか、と暗然とすることしばし」
それでも「本」の完成した顔を見ると、よろこびで、心が熱くなる編集者魂。

お礼と感謝を!!
本書には、私に、文学のインパクトを与えてくれた、三人の、作家、評論家、研究者が登場する。直接、言葉を交わした人たち。
中上健次、竹西寛子、保昌正夫。
本書に名前と記事を発見したとき、50年前の三人の声と言葉と立ち姿が一気に記憶の中から湧きあがって、心が揺れて、この記事を読んだだけで、充分に、読書の意味があったと、なつかしいやら、うれしいやら、思わず、「儀式」と「管絃祭」と「岬」と「枯木灘」と「早稲田文学」を本棚から取り出して、読み出した。
久米勲さん、ありがとう。
三人の声が、心の中に甦って、鳴り響いております。「本の力」です。

中上健次の思い出。
文学が熱を帯びて語られた時代。
東京、阿佐ヶ谷の居酒屋にて。
日本読書新聞の元編集長・井出彰、武田泰淳論を書いていた石川知正、出版社の編集長・横田明彦、そして私の四人。新鋭作家の中上健次に声を掛けて、一緒に、文学のリトル・マガジンを作らないか?と。中上は、「津島佑子(太宰の娘)を入れるなら、考えてもいいよ」と。
そして、「俺「文芸」に作品を載せてもらうのに、6回も7回も書き直しされてな、まるで、顔の皮をむしられる、屈辱だったな」「重田、お前、真似できないだろ」と。
もうひとつ、中上の重要な告白があった。「俺、本名、なかがみじゃないんだ、実はなかうえなんだ、わかるだろ、四国のお前なら。」被差別部落の出身だという意味だった。中上は、作家になるべき、資質や宿命を背負った、馬力のある男であった。そして、カラオケに行った。都はるみの「北の宿から」を歌った。低く、やさしい、よく響く声であった。
結局、中上は、芥川賞受賞で、急に忙しくなって、一緒に文芸誌をというプランは消えてしまった。中上は、全力疾走で、走って、突然、逝った。

保昌正夫先生の思い出。
声と眼に力が漲っていて、文学を全身で呼吸しているような、講師であった。
横光利一の研究者。横光・川端時代に、横光論を書く評論家であった。早大の国文科で、「現代文学」の講義を聴いた。
大学の先生というよりも文士そのもの。
私の提出したレポート「大江健三郎について」の視点、発想がユニークだから、評論してみないかと、誘われたが、結局、完成しなかった。
私たちの同人誌「あくた」(1~13号)を、ていねいに、読んでくれて、「早稲田文学」に小説を書いてみないかと、声を掛けてくれた。
当時の文学青年たちは、商業誌の前に「早稲田文学」に作品を載せることが夢だった。中上健次は「灰色のコカ・コーラ」を。立松和平は「途方にくれて」を書いていた同世代。
結局、私は、短篇小説、「投射器」(100枚)を、秋山駿の了解を得て、「早稲田文学」に掲載した。保昌正夫先生は、文学の恩人でもある。

竹西寛子先生の思い出。
大学の先生・講師というよりも、現役の作家であった。小説集「儀式」の著者。
中世文学、特に、和歌の読み方を講義してくれた。ていねいに、ていねいに、こんなに言葉を大事にする先生は他にいない。語りがそのまま、「本」になるような厳しさ、美しさ。
特に、和泉式部の和歌。
〇あひみての 後のこころにくらぶれば 昔はものを思わざりけり
〇もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれいづる魂かとぞ見ゆ
見事な解釈であった。リアルな言葉に触れて、ただ、うっとりしていた。
広島出身である。(原爆を体験)文学者として、宿命づけられた人。河出書房で編集者ー倒産を体験。筑摩書房に入社。
そして、フリーランスに。作家として独立。10年後には、名作「管絃祭」を書く。
漱石や鷗外の(知)による「本」よりも、人生を探求する、正宗白鳥の呟くような、自然の言葉のリアリティを好んだ人。
文体は静かだが、その底流には、激しい、真摯な声=レクイエムが流れていた。
原爆で死んだ、同級生たち(竹西は、その日、体調がわるくて、学校を休んでいて、助かった!!)への鎮魂歌である。

記憶は、長く生きてきた老人には宝である。藤圭子の歌声を聴けば、70年代の空気が蘇ってくる。(久米には、流行歌をテーマにした著書がある)「流行歌の情景」
記録もひとつの(文学)である。時代の声を、編集者の仕事を、(人生の検証)として、残した久米も80歳を過ぎたおじいちゃんになった。本書は、孫たちに贈るメッセージでもある。苦労も悲しみも喜びも「編集者」という仕事の中にあった。正に、回想記である。必ず、誰かに伝わるものである。「本」の力、「言葉」の力である。
私のひとつの「感想」である。
令和6年12月3日日記

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• 火曜日, 8月 20th, 2024

突然 流れていた音楽が止んだ
ラヴェルの楽曲「ボレロ」だった(サドンデス)

偶然か必然か 誰が 何が 骰子を振った
それが大問題だ

時が熟して 光が来た
機が熟して (私)が顕現した
気がつくと 宇宙の惑星に放り出されていた

さあ人生だと言われて 意識に火が点き
ただ生きた 惑星の法則に従って
(悲)も(苦)も(痛)も(喜)も(楽)も(快)も
味わって
比率で言えば おそらく 7対3くらい
そして ある日 突然 ただ死んだ
宇宙の法に任せて おさらばの時が来たから

もう 一切の意味付けは無用だ
「輪廻転生」とか「復活」とか「永却回帰」とか「再生」とか「魂」とか「無」とか

ニンゲンは あらゆるものに 名前をつける
その意味を発見しては ああだ こうだと言いたがる
そして定義までする
無意味か 非・意味か 放っておいてくれ
一切がコトバの問題だ
(私)は いつも 言葉の外部にいる いや
コトバの内部にいる いわば(恁麼)である

終れないという恐怖に比べれば
(死)の恐怖など 何ほどのものでもない
永遠の宙吊りこそ畏怖だ
おそらく ニンゲンは 耐えられまい 失神する いや狂ってしまう
(無)から(無)への宇宙の永遠のリフレーン

宇宙そのものが サドンデスかループする存在か 見分けがつかない
(私)は宇宙の 白痴だ さっぱりわからない 何?何?何?

音楽が流れている 街の中に いつまでも終ることのない(エンドレス)のループする音楽
あれは? サンバか 阿波踊りか

※参考資料「音楽の危機」岡田 暁生著

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• 水曜日, 5月 29th, 2024
3801. (無)が存在の母であるとはニンゲンは、長い間、知らなかった!!(無から有は生れない)と!!

3802. すると、(無)から来た存在は、当然(無)に還ることになる。なんの不思議もなく。

3803. (私)が光であったということすら、大きな謎であったのに。

3804. 宇宙塵は、結局、(私)たちの兄弟である。

3805. 夏の光も、秋の光も、光は永遠の滴だ。

3806. 巨大な存在と非在の眩暈の中にいる(私)

3807. 片手に宇宙、片手に量子、左手も右手もない。不思議。

3808. ニンゲンは、宇宙の存在を発見するために、顕現した生きものであろうか?

3809. 見る者、知る者、わかる者が存在しなければ、(宇宙)は在るか無いかもわからないまま。

3810. 意識こそ、(知るー考える)の中心にある。あるいは、意識以上のもの?

3811. 誰が、何が、ニンゲンを、宇宙に放ったのか?まさか、神とは言えまい。無とも言えまい。自己生成。進化?偶然?

3812. 宇宙がある。言葉の中にも宇宙がある。言葉の外にもコトの宇宙がある。

3813. シンプルに、ただ生きる。(生)に必要な要素だけ残して。あとは、すべて、棄て去ること。

3814. 宇宙には、解決というものがない。無限に流れる。ニンゲンの世界では、どうか?

3815. AIは(情報)の集積する巨大な場だ。(情報)を与えなければ、ただの空箱だ。

3816. もちろん(知る)より(考える)が大切に決まっている。その前に直観すること。

3817. 光と水を与えなければ、(私)も、植物と同じように枯れてしまう。ニンゲンにとって(光)とは何か?(水)とは何か?熟考しよう。私の原理を見定めて、生きることだ。

3818. 人生に答えなどないのにコンピューター(AI)は、正しい答えを出してくれる!!(余計なお世話だが)

3819. 作曲家、坂本龍一の最後のピアノ演奏。まるで、自らに対するレクイエムであった。音楽・ピアノは、決して上手下手ではない。音がヒトのココロに、沁み込むかどうかで、音楽の値打ちが決まる。魂を洗う音!!

3820. (無)と(無)の間に宇宙時間がある。永遠と呼んでもいいが。あらゆる現象、あらゆる事象、存在と非在も、その宇宙時間内での出来事である。もちろん生きる、生きられるニンゲンも、その他大勢のひとりであるが。

3821. 生きているニンゲンが(死)とは何か?といくら考えてもわかるはずがない。(私)は、(超私)になってしまったから、他の宇宙を、その法を考えるようなものだ。だから、せいぜい(生きる、生きられる)私を、楽しむしかない。つまり、勝手に、自由にコズミック・ダンスを踊ってみせるだけ!!

3822. ニンゲン、食べるために、30年も40年も働くと、いつのまにか、(私=仕事)となってしまう。つまり、仕事が生きる最終目的になっている。

3823. 会社を退職して、仕事を離れてみると、残された(私自身)をどう扱っていいのか、わからなくなる。つまり、仕事とともに(私)が消える。で、おどおどして、途方に暮れる。

3824. (私)という魂のお守をすることが生きることだと思っている人は、(会社・職場)を離れても、残された(私という魂)の存在が確認できる。で、魂を育てる。

3825. ふたたび、最後の時まで(私という魂)のお守をし続けようと考える。仕事が目的ではなかったから。ひとつの手段だったから。

3826. (無)から(無)へ。そんな声が流れてきた。宇宙の出現(誕生)と消滅(死)。(私)ニンゲンの出現(誕生)と消滅(死)。あらゆる存在も現象も、現れては消えていく。(諸行無常)と云った釈尊のコトバは正しい。

3827. ビッグバンの風に吹かれて、ヒトは次から次へと生まれてくる。そして、ひととき、それぞれの、コズミック・ダンスを踊っては、次から次へと死んでいく。宇宙に、ただ、そんな現象がある。

3828. どんな手が?誰が?何が?そんな骰子を振っているのかまったく見えない。わからない。

3829. ひと粒の砂も一個の石ころも、原子も量子も何も応えてはくれないヒトの生涯であるが。

3830. たった一瞬の輝きか、それとも、はるかな旅であるのか、問題はすべて(私)の意識にある。

3831. 宇宙の時空の中で、変わらぬものは何もない。ただ流れて、移ろっている。(釈尊の直観力)

3832. 一粒の砂ほどの存在にも意識があるという不思議。

3833. ニンゲンは、ひとつの惑星を食い潰してしまう、奇体な生物であるか?

3834. エネルギーだけが、宇宙を存在させる唯一の力だ。無生物も生物も、もちろんニンゲンも、エネルギーなしでは存在できぬ。アインシュタインの発見は??E=mc²である

3835. 海の発見、空の発見、宇宙の発見!!発見だけではつまらぬ。何か作ってやれ、何かを変えてやれ!!

3836. ニンゲンは、持っている力を、どのくらい開発して、使用しているのだろうか?(数パーセントか?)

3837. 眼の誕生から、見る力は、どこまで進化したのだろうか?(3億年もかけて)(モノを見る、宇宙を見る、DNAを見る、それから・・・透視する力は?)

3838. 見るに、限界はあるのか?(ココロを見る、見えないものを見る・・・虚数iも)そして・・・

3839. 言葉で思考する、言葉を超えたもので直観する。(その時、わかるとは何か?)

3840. 長年、ニンゲンとして、生きてきて(77年)私が持つに至った思想?は、最後は、死ぬ時は「宇宙にむけて翔べ」だった。

3841. 一回限りの「生」だから、一度だけの試み(死)だから、上手くいくかどうかは、わからない。

3842. (私)の死後、私の死に顔を見て微笑んでいたと、他人が思ってくれれば、おそらく、成功だろう。

3843. ニンゲン、何をしたか(仕事)ということよりも、(私という魂)のお守としてきたことの方が大切であった。存在の輝き。

3844. 飢えもせず、他のものを盗ったりもせず、大きな嘘もつかず、他人を殺しもしないで凡庸な日々を生きてこれたのは、ラッキーであった。文句はない。

3845. 無限遠点にも、もう一人の(私)がいる。いや、(私)にそっくりだが、反物質である。私が右手を振ると、ソレが左手を振る。

3846. 宇宙は巨大な蜘蛛の網で、その見えない網の片方で一人が動くと、もう片方でもその動きに反応して、動くという訳だ。

3847. 「分裂少女の手記」は身に沁みる「本」。ニンゲンは、一個の石、一粒の砂の存在である。そのコトバは実に深い。

3848. (私)を見失って、五感が誰のものかわからなくなって、信じるに足るものは何もない、(わかる)ということが(わからない)。気の毒な少女。宙空に、棄てられて、漂っている。

3849. 老人も、また、新しい人である。誰もが、はじめて、(老人としての生)を生きるのだから。

3850. 少女が青年に、子供が大人になる時の、あのとまどい!!当然、老人になった時にも、とまどいがある。老人の次にはいったい、何になるのだろう?

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• 金曜日, 3月 15th, 2024
●重田昇ワールド 3部作(ライフワーク)
●日本文学史上、初の、1作家・3分野(詩、小説、アフォリズム)同時出版の偉業!!へ
●3つのカテゴリーを超えて疾走するコトバの宇宙の誕生へ

 

① 大河小説全4巻(4000枚) 『百年の歩行』第1巻(阿波篇)1000枚

弘法大師の分身(4人)たちが活動する。明治、大正、昭和、平成を貫く、四国の阿波の国。祖母・父母・子供の3代にわたる物語。遍路文化、祭り、土木工事、さまざまな(事件)や(事故)が発生する、(場)と(人間)の物語。風俗、文化、産業、<人間の裸形>を刻む全体小説。主人公は(時代)と(場)。
◎歩く言葉で書く(小説)(歩行)

② 重田昇全詩集(27歳から75歳) 全40作品

21世紀を告げる詩。(文体とリズムと思想)「人間原理」から「宇宙原理」まで。
鎮魂歌(8作品 大事な人々)
「箱-3部作」「霧箱」「暗箱」「泡箱」
『ある惑星の歩き方』詩集
◎踊る言葉で書く(詩)(舞踏)

③ アフォリズム集『コズミック・ダンスを踊りながら』(4000作品)全4巻

至高の言葉、究極の言葉を求めて。
◎跳ぶ言葉で書く、アフォリズム。(跳躍)
他の追随を許さない、コトバの高みで、堂々の4000作品を完成!!
芥川龍之介、萩原朔太郎、埴谷雄高、寺山修司、永瀬清子、カフカ、パスカル、デリタが愛したアフォリズムの水脈を継ぎ、現代に甦えさせる。(人間と宇宙)がテーマ。
一言半句に宇宙を!!一言半句で人間を。
小説家で(詩)を書く人がいる。詩人で(小説)を書く人もいる。哲学者で(アフォリズム)を書く人がいる。
しかし、3つの言葉で、同時に(小説)(詩)(アフォリズム)を十有余年、書き続けて、3冊の「本」を同時に出版するのは、重田昇がはじめてであろう。
3つの言葉が、入り子細工のように絡みあって、不思議な(宇宙)が誕生した。
(ニンゲン)が壊れてしまうかもしれない危機)を乗り切って、この困難な3部作が完成する。
 歩く言葉の(小説)踊る言葉の(詩)跳ぶ言葉のアフォリズム。同じ単語でも、作品によって、その意味が変わってしまう不思議。
 デザインは、小説が(緑の本)詩が(赤い本)アフォリズムが(青い本)である。そして、本の中心には、白ぬきで、◯と△と□がある。

コトバの宇宙だ。さて、あなたは、どの本から読みますか?(赤)(緑)(青)?
百年、千年生きのびるコトバの力を!!
小説「百年の歩行」について

文芸評論家・秋山駿と対談した折、是非、君の出自の原風景、祖母や父や母のことを書けよ、面白いものになるぞとアドバイスされて、20年以上、ようやく、四国の原風景を書くことになった。
早稲田には、大学を舞台にした、2つの大河小説がある。「人生劇場」尾崎士郎著・全11巻。「青春の門」五木寛之著・全9巻。数十年も読まれている名作である。
そろそろ、第3の、大河小説が出現してもいいだろう。
『百年の歩行』は、4000枚の大河小説。構想は練ってみたが、第1巻(阿波篇)1000枚で苦戦している。(ノオト1200枚-第1稿)
明治生まれの祖母の嫁入り。弘法大師を信仰する信者。父は、2人の父をなくして、6人の弟・妹をかかえて、12歳から、自転車に乗って、土方に出た。戦争で中国へ。砲兵。人殺しと火薬と人の使い方を覚えて帰ってきて建設会社を設立(ミニ田中角栄)母は、貧乏な家の出、すべて甲の成績で、頭よし、文も上手い。息子は、野球、音楽、何になるかわからない少年。早稲田へ。
戦後、昭和という時代の風景。
祖母の家-大里の寒竹迷路、那佐というアジール、八坂神社の大楠のコトバ、峠のダブルバインド、石伐り場の事故、7つの貌をもつ河原、四ツ辻、室戸岬の空海・・・あらゆる(場)の力、(場)と(人間)の関係。
遍路文化のいろいろ。

第1巻(阿波篇 全30章)
第2巻(東京・早稲田の杜で)
第3巻(都市生活者の意見
第4巻(遊行の時)

私の寿命が足りない。第1巻、第2巻まで書ききれるか?生きてみなければわからない。未完になってしまうか?

詩集『ある惑星の歩き方』

21世紀の詩は、宇宙的視点で書くこと。(現代詩)が読まれない訳は?日常の些細なことをテーマにするから。人間中心ぎみでありすぎるから。言葉が古いから。ビジョンがないから。コトバを、存在に、宇宙に開くこと。
私は、詩は「人間原理」から「宇宙原理」に至らなければ、21世紀の詩ではないと思う。「文体・リズム・思想」の三位一体で書くこと。
思想の核は「霧箱」と「イデアという花」にある。

目次
 第1章(人間原理的)
① 「イデアという花」
② 「石族って何?誰?」(宮沢賢治、秋山駿、石牟礼道子、吉増剛造)
③ 「21世紀の「正名論」」(孔子)
④ 「今・ここを生きるだって」
⑤ 「阿波宍喰の那佐というアジール」
⑥ 「バッハの音楽(うちゅう)」(千住真理子)
⑦ 「ゴッホの渦と私の独楽」
⑧ 「弥勒菩薩の眩暈」
⑨ 「小文字の時代に」
⑩ 「闇の中の幻身を求めて」
⑪ 「花と種子」
⑫ 「流れる」
⑬ 「ある惑星の歩き方」

第2章(喪)
① 「いるからあるへ」(弟・実への鎮魂歌)
② 「喪の日記(コトバ)母やよいへの鎮魂
③ 「最後の挨拶」(父万蔵への鎮魂)
④ 「阿波海南大里の寒竹迷路」(祖母キヨ)
⑤ 「夢枕に立ったのは誰か?」(友・西宮純)
⑥ 「故・安藤貞之さんに捧げる鎮魂」
⑦ 「鎮魂・さらば遠藤(喬)若狭男」
⑧ 「鎮魂アフォリズム」50作品
「内部の人間」秋山駿に捧げる

第3章(宇宙原理的
① 「ビッグ・バンの風に吹かれて」
② 「コズミック・ダンスを踊りながら」
③ 「何?誰?何処?」
④ 「七変化太鼓の音(オト・パルス・コトバ)」
⑤ 「宇宙樹(コズミック・ツリー)」
⑥ 「「事(こと)」と「物(もの)」の宇宙」
⑦ 「宇宙の独楽」
⑧ 「量子の鳥が翔ぶ」
⑨ 「壁・千のステップ」
⑩ 「???」
⑪ 「38億年の華」

第4章(箱)
① 「霧箱」
② 「暗箱」
③ 「泡箱」

(現在35作品 → 40作品で完成へ)
(年に2作書いて発表。もう約18年になる)

アフォリズム集 全4巻 『コズミック・ダンスを踊りながら』

おそらく、日本文学史上、最多であろう。現在3800作品完成。至高のコトバへ。
とにかく、突然はじまったアフォリズム。毎日、歩いて、来たコトバを言葉に変える。昆虫採集のように。
ひらめき、直観、が第一である。作為しない。自然に。(思考)よりも深い。100本くらい書けるかなと思ってはじめた。1000になり2000になり、3000になり、4000近くになった。死の床で、友が、こんなに面白いものはないと、毎日読んでくれた。アフォリズムのコトバの力を知った。

① 第1巻(無)からの贈りもの
② 第2巻(空)からの贈りもの
③ 第3巻(コトバ)からの贈りもの
④ 第4巻(宇宙)からの贈りもの

読んだ人全員が①圧倒される②面白い③深い・・・あとは、読者を広げるだけ。PR。
三つのコトバで「重田昇」の時代へ。

 

 

3部作(詩集・小説集・アフォリズム集)の出版・刊行について

【出版社を募集中】

「夢の企画」三部作の出版・刊行に挑戦してみませんか?

おそらく、(小説集・詩集・アフォリズム集)の同時出版は、日本では、初めてのことでしょう。たくさんの読者から、何時、どこの出版社から刊行されるのだというお問い合わせがあります。(申し込みはありますが、まだ作品が完成しておらず、正式に、出版社と契約はしておりません。)
現在、①詩作品は、36作発表。残りは4作品で完成。②アフォリズムは、3800作品完成、発表。残りは200作品。どちらも、ホームページ「重田昇ワールド」で自由に読めます。③小説集は、草稿1200枚、第二稿1000枚を執筆中です。「百年の歩行」(第一巻)
「夢の企画」の主旨とビジョンに賛同して、作品に共感、共鳴された、編集者・出版社は是非お問合せください。ご相談、検討いたします。

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• 水曜日, 3月 06th, 2024

増田みず子の、最後の『小説』を読み終えた時、しばらくして、最後の「本」と本人が言っている、エッセイ集『理系的』が出版された。早速、購入して、読んでみた。
全六章から成る、エッセイ集である。新聞や雑誌にも載せたものを
第一章 理系と文系のあいだで
第二章 生命の響き合いー立派に生きること
第三章 読むことと書くこと
第四章 ライフについて
第五章 本棚と散歩道
第六章 隅田川のほとりから
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「小説・詩などの作品」と「エッセイ」の言葉
増田は、多くのエッセイが、自分が「小説」を書かなかったら、生まれなかったと言っている。(おそらく、新聞社や雑誌の出版社から依頼されて、書いたものだろう)
「小説は、虚構であって、想像力を使って、自由に書くもの」(物語)①
「エッセイは?見た、聞いた、読んだ、体験した(事実)をそのまま書くもの。」(現実)②
「文学で書かれたこと、文章で書かれた「本」は、すべて「言葉」の世界の(ジジツ)であって、(現実=事実)は、言葉の外の世界にある。(現象)③
(事実)は、体験した人の、立場、位置、視点によって、異なるものであって、それぞれの(事実)がある。たったひとつの、真実の(事実)などない。(相対論)④
増田は、少女時代から、二つの夢を持っていた。(生命)の不思議を探求するために(研究者)になること。(理系)もうひとつは、面白くて仕方がない小説の作者になること。(文系)
東京農工大学に入学。研究者の道へ。実験生活。挫折する。そして、偶然にも(作家)の道がひらける。
理系の作家と文系の作家?
安部公房(東大・医学部)円城塔(東大・理系のドクター)A
増田も、その系列に入ることになる。
川端康成(東大・国文)太宰治(東大・文系)B
日本的な風土、情的世界での人間関係を描く文系の作家たちB
世界的視点(共通)で、物そのものや存在の不思議を描く理系の作家たちA
AとBを比較してみれば、理系と文系の作風のちがいがすぐにわかるだろう。

日本の風土に育った文系の作家たちは、(場)(抒情)(情念)の物語を書く。松本清張、山田洋次、小津安二郎、浅田次郎、重松清の作品は、(情)と(泣き)が中心である。いかにも日本的。
言葉の根は何処にある。増田のエッセイで、面白いのは、「隅田川」のほとりで、生れ、育ち、生活して、その感性と心性が培われて「言葉」と「科学」の二方向へと成長していった様が、如実にわかる点である。
下町の、家族の生活、風俗、風土、習慣が「隅田川」の流れとともにあることだ。芭蕉や芥川龍之介が生きた土地と川である。一葉の写真がある。増田が撮影した「隅田川」の風景写真である。川の西側に柳橋があって、その背後にビル群がある。「隅田川」の川の水が、二つの色に分かれている。濃い色が「隅田川」淡い色は、「隅田川」に流れ込んだ「神田川」である。柳橋の下を「神田川」が流れている。
水の流れる風景は、ニンゲンのココロにとって、さまざまな思いを去来させる栄養素である。朝日、夕陽に輝く水面の光の暈、昇り下りする舟、終日見ていても飽きることがない。四季の川の貌も、花見の尾形船から隅田川の花火まで、見事な変化を覗かせてくれる。
増田みず子の言葉の原点も、「隅田川」の流れととものあるのかもしれない。「方丈記」の昔から「ゆく川の流れは絶えずして・・・」人のココロに、言葉の火を点もし続けている人、(川)である。

「本」の読み方
私は、中也の「春日狂想」に感動すると、中也のすべての作品を読みたくなる。そして、エッセイも、日記も、手紙も、翻訳も、中也について、書かれたすべての「本」も読みたくなる。最後には、「中原中也全集」全六巻を読む。
ドストエフスキーも『罪と罰』に驚愕すると、結局、同じように、全集二十巻を読んでしまう。
秋山駿の「本」は、『内部の人間』から『「生」の日ばかり』まで、ほぼすべて読み尽くした。残念ながら「全集」がない。『神経と夢想』(ドストエフスキー論)を「図書新聞」で、書評させていただいてから、出版する度に新刊を贈ってくれるようになったが。
「理系的」エッセイ集は、増田みず子を知る上で、貴重な「本」であった。充実した読書だった。

ちなみに、私の愛読する「エッセー」は、
①秋山駿の延々と続く「ノート」の言葉シリーズ。「私」とは何者か、「内部の人間」とは何者か、「石ころ」とは何かと、まるで巨大なひとつの作品である。
②(私)と(他者)のココロの水準器の揺れと見事に捉えたエッセイ。上質なユーモアと、精妙な文体によって紡がれるエッセイ。『須賀敦子全集』
③一切を考え尽くす(考える人)、哲学的エッセイの名手、池田晶子のすべての「本」(考えるコトバの宇宙)
④古典、モンテーニュの『エセー』全六巻。(ニンゲンのすべて)がある作品群。
「エッセイ」は、もちろん、ひとつの見事な「文学宇宙」のコトバである。

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• 水曜日, 3月 06th, 2024

敬愛する、評論家(思想家)の秋山駿が死んで、随分と季節が流れた。早いもので、もう11年にもなる。
命日の10月2日を、私は、勝手に「石の日」と呼んでいる。
秋山駿は、「私は一個の石ころ」である。と自覚して、「石ころ」の「生」を生きて、死んだ。こんなにユニークな生身のニンゲンに会えて、そのノートの言葉に耳を傾け、おつきあい頂いたのは、幸せであった。(25歳の出会いから約40年)「内部の人間」の声に触れた。毎年、命日には、処女作『内部の人間』や最高傑作『舗石の思想』や最後の作品『「生」の日ばかり』を読んで、在りし日の面影を偲んでいる。人は死んでも、その作品を読むと生身の声が、耳のそばに起きあがってくる。あの、低い、単調だが深い独特の声が「どうだい?最近は?書けなくてなあ」一年に一度は、電話で、近況を報告して、執筆の様子をお伺いした。
秋山さんが、死んでからは、奥方、法子さんと話をした。「法事、どうですか?」「誰も来る訳ないじゃないの。うちのおじさんが、あんな生き方をしたからね」義妹とたった二人の法事であった。
その法子さんも、難病に、もうひとつの病気が加わって、会話もできなくなってしまった。(法子さんには、私の「本」=「歩いて、笑って、考える」のデザインをしていただいたお礼を)
秋山駿について、書いたものなら、なんでも読みたい。私の知らない秋山駿の姿があるなら。
そんな時「図書新聞」に、作家・中沢けい氏の書いた書評が載っていた。『小説』というタイトルの小説。作家は増田みず子。(20年ぶりの小説出版)どうやら、作品の中に、秋山駿が、本名で登場する作品集らしい。(後で、作家・佐藤洋二郎も「東京新聞」で、『小説』の書評を書いていることを知って読んだ。)
早速、書店で「本」を取り寄せて購入し、一気に、一日で、読んだ。名前は知っていたが、増田みず子の小説を読むのは、初めてだった。いわゆる(私小説)である。(私)を探求する小説。「人生の検証」の小説であった。こんなに、シンプルな文体で、いわゆる(小説)になるのだろうか?エッセイとも小説ともつかぬ、ただひとつのものにむかって、進んでいく小説の文体。どこかで、見た覚えがある。秋山駿の、「私」を探求するだけの「ノート」の文体である。
一切の装飾を排して、必要な言葉だけで成立している呟きの文体の世界。リズムが心地良くて、直接、ココロに触れてくる。文章の自由度が高くて、小説小説していない。
『小説』は13篇の短篇小説から成る。増田は、約30年間で、百篇近い小説を書いている。芥川賞にも6回候補になっている。「本」は約30冊出版。増田を、「文学」の舞台にあげたのは、秋山駿だった。
雑誌の新人賞の候補を、秋山駿が絶賛した。増田にとって、秋山駿は恩人である。「群れずに暮らす夜行性の小動物のようだ」その後も、発表する度に、作品を分析、評価し、そこに、現代人のリアルを発見してくれた。
増田は、約35年間、小説を書いた後、一度筆を置いている。そして、一年に一作品のペースで(約10作)の小説を書いている。出版社の担当の編集者の元で書く小説ではなく、自分の思いの丈を、自由自在に書くスタイルで。「こころ」「雨傘」「線香花火」「言葉」これらの作品を書くために、作家になったような気がすると告白。なるほど、秀作である。
秋山駿が、実名で登場する作品が「言葉」「鏡のある部屋」「履歴」である。

小説は、何を、どう書いてもいい自由な器である。しかし、一番大事な人を、本名で登場させるとなると、最低守らなければならない「礼節」があると思う。
(実名小説の、実例は?ナタリア・ギンズブルグ著『ある家族の会話』ピエール・パシェ著『母の前で』)
「礼節」(恩人に対して)がある。書いてはいけないことがある。
①本人自身が書かなかったこと(言わないこと)
②あいまいな、他人からの伝聞
③「本人」の思想に反すること
④人間として、残酷なこと
エッセイであれ、小説であれ、実名で他人のことを書く場合、最低限の「礼節」というものがある。作家と評論家の関係も、二人三脚で(作品)を作り、時代を創り、(文学)の場を形成する場合がある。初期の大江健三郎と江藤淳、中上健次と柄谷行人。増田みず子にとって、秋山駿の役割りと言葉が、それである。書いた作家本人よりも、もっと深く読み込み、広く(作品)を時代に位置付けてくれる。
増田の作品には、秋山駿の批評の言葉に対する感謝と敬愛と喜びであふれている。発見してもらった作家の恍惚感が読者にも伝わってくる。

惜しむらくは『小説』の「鏡のある部屋」には、致命的な(疵)がある。(二ヶ所)
②「あいまいな、他人からの伝聞」をそのまま信用して、小説に書き込んでしまったことだ。しかも、それは「秋山駿の思想」を歪めてしまうことになる(③)
「子供」めぐる問題である。
「子供をもたない理由だ。イトコどうしの結婚だったから遺伝のことを心配したみたいだ、と知り合いから教わった」(引用)(秋山駿の愛読者の友より)
「繰り返すけど、秋山夫妻はイトコどうしと教えてくれた人がいる。それで子供を持たないと決意したということだ」(引用)
頭から火が出た!!なんということを書くのだ。恩人に対して。自分で調べもしないで。秋山駿の「本」をすべて読まないで。秋山駿の「内部の人間」の思想が死んで、歪んでしまう。「石ころ」は、子供を産まないんだ。「内部の人間」には、もう一人の別の血を分けた子供などいらないのだ。秋山の血を(私)で終りにしようとするその思いが歪んでしまう!!
増田みず子さん、『小説』、こんなに見事な作品なのに、たったひとつの(疵)が、作品を台なしにしてしまう。どうか、その部分を削って、消して下さい。(再販の時に)

秋山駿には「生」の綱領がある。
私は一個の石ころである①「内部の人間」の発見
私は自分の(家)は持たない②
私は自分の(土地)を持たない③
私は自分の(子供)を持たない④
私は一切の血族の関係を断つ⑤
以下、生活のすべてにおいて(必要)なものだけを最低限持つが、余分なものはいらない。(お金も)まるで、デカルトのような、合理的な方法で、秋山駿は生きた。日本風な、じめじめした、風土、習慣、人間関係を嫌悪した。
もちろん、結婚式などしない。妻を実父や義母にも会わせない。妻の父母への挨拶もなし。兄とも死ぬまで会わない(兄が何をして、生きているのか、兄が死んで、はじめて、教師だと知った)父の葬式にも出ない。とにかく、徹底している。
原因?自分の心性である。自分の存在が他人を苛立たせる。自分の言葉が他人を傷つける。
父との確執。父は貧しくて、小学校卒。国鉄へ就職。人一倍働いて、課長に。出世頭。同期の希望の星。明治の人。武士の家系。
「文学」に目覚めた息子と話が合わない。(デカルト、ランボー、ヴァレリー、ドストエフスキー、中也)
母の死。(中学校)父の再婚(義理の妹生まれる)
耳の手術(片耳が聞こえなくなる)
敗戦時の少年の体験と見聞。
「内部の人間」の発見!!
「私とは何者か?」という永遠のテーマーに憑かれて、私だけの言葉を発見(ノートの言葉)。
そして、ひばりヶ丘団地へ。秋山駿の夫婦二人三脚、同行二人の旅のはじまりである。(秋山駿は「スポーツ報知」へサラリーマン。夜は評論を書く日々。妻は、ブック・デザイナー)
妻の父は、宇都宮の大学教授。妻はその一人娘。
秋山駿の母は、長野県、須坂のお寺の娘。何もいらないから、大学へ行きたいと目白の「日本女子大」へ(卒論は?「法然」であった)
どうして、秋山駿と法子さんが、イトコどうしか、さっぱりわからない。(山梨と長野と東京池袋)
秋山駿は、自著『舗石の思想』で書いている。「私たち夫婦には子供がない。私の咎のために」と。そして、妻にはしたが、女としての母の役割りも、嫁としての役割りも与えることはできなかったと。
原因は、(私の咎)であると明言している。決して(イトコどうし)のためなどとは、書いていない。秋山駿、「内部の人間」「石ころ」その心性。歩行者。無私の人。

秋山駿!!
人と人の結ぼれの、その関係を断った人。(「分裂少女の手記」など精神の病の「本」をよく読んだ。心性が自分に似ていると)
最後には、サラリーマンでもなく、非常勤講師でもなく、文芸評論家でもなく、私だけの(ノート)の言葉の住人であった人。石ころの「生」を生き、石ころの「死」を死んで「内部の人間」を貫いた人。

増田みず子の主な作品を(「シングル・セル」など)初期作品を是非読みたいと思って、書店に行ってみたが、「文庫本」すら、一冊もなかった。
(25歳で、早稲田の「喫茶店」でお会いして、約40年、座談会、対談、お酒、魚釣り、書評といろいろお世話になった秋山駿である。)

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• 火曜日, 3月 05th, 2024

那佐という風景を発見すると 音と形と色の交響曲が時空を超えて流れてくる ナ サ ナサという美しい音を舌の上で何度か転がしてみると ひとつの風景が立ちあがってくる ナサ NASA 那佐という言葉の向う側に那佐というコトバの原初が見えてくる 言葉は呪術でもある 古代から この土地の人々は「波」のことを「ナ」と呼んでいた 波の騒ぐ場処 文字が伝わると 和那佐があてがわれ 後に 省略されて 那佐となった(阿波風土記)美しい入江にきれいな透明な水が流れていて そこで食べた貝(志深里)が 実に美味しかったと履仲天皇も語っている(播磨風土記)和那佐意富曽神社の誕生の地 四国は海に囲繞されているが 実は 同時に山の国でもある 剣山から石鎚山まで東西に四国山脈が走り そこから 四方八方に 無数の山や峯や連峰が点在して 海へと雪崩れ込むから 平野は少なく狭い 土佐と阿波の国境に 宍喰という町があって その町の北側に鈴ヶ峰という連峰があり その裾野は数キロにわたって なだらかに東へ延びて 太平洋へ突入する その麓に 20~30軒の集落がある 那佐だ 陸地に添って 平行に「陸繋島」が走っている 入江が那佐湾である 西側に美しい砂嘴があって 半島は 緑で蔽われた巨大な戦艦のように海に浮かんでいる 岬だ 天然の良港である
四季の 那佐湾の入江に流れる水を 1800回以上視ただろうか 通学バスに揺られて 宍喰から海南高校まで 約30分 バスは那佐湾の岸辺を走りぬけていく 行きは バスの右側に 帰りはバスの左側の窓際に立って 緑の水が千変万化する光景を眺めた 長い長い梅雨が終った初夏 入江の水は 緑の中の緑となって燃えあがった 青空の光 松の緑 ウバメガシの深い緑を映して 水面に緑の王国が出現した 緑色の革命? 緑の爆発 光と水の祭典 入我我入 一瞬が永遠であるような「一即無限」の小宇宙が那佐湾の入江に流れる緑の水に発生 水の道であろうか 緑の水がイデアになった 那佐は 正に アジールであった

※大河小説「百年の歩行」(現在、執筆中)の第二章を「散文詩」にしてみました。

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• 水曜日, 2月 07th, 2024

六十有余年、「文学」の最前線で書き続けた大江健三郎が逝った。同時代を生きる文学者でもっとも、私の文学の眼を開かせてくれた作家だった。初期作品から最後の小説まで主力作品を読み返している。「三つの文体」を生きた作家である。つまり、三回、人間が、思想が変わった。生涯、現役で書き続けた。円熟した老作家ではなく、(現実)に生きるニンゲンとして。

大江健三郎は、60年代、70年代の同時代を生きる者たちにとって「新しい文学の旗手」であった。文学青年はもちろん、政治青年も「大江健三郎」を読んだ。作家であり、オピニリオンリーダーでもあった。新作が出るたび、その作品を読んで、大江が何を書いたのか、語り合っていた。立花隆も、中上健次も、立松和平も、もちろん、私も「第二の大江健三郎」をめざしていた!!

「三つの文体の移ろい」
①文体の中にしか(小説)はない。
大江の「飼育」など、初期作品は新しい時代の感性の言葉で描かれていた。まるで、ピエール・ガスカール(フランス)が日本に誕生したような、新しい文体であった。(「種子」「街の草」「けものたち 死者の時」)のガスカールの具象がそのまま抽象になるようなシンボリックな文体)
大江の初期小説の「文体」は、まるで、ピエール・ガスカール風であった。

②「実在的な文体」の出現と想像力による文体の結出
「万延元年のフットボール」は、日本にも、こんな文体が出現したのかと驚愕した作品であった。私が「新しい文学」に目覚めたのは、正に、この本の「文体」に出会ったお陰である。ハンマーで、頭をなぐられたような衝撃であった。(評論家・盟友の江藤淳は、その翻訳のような文体は、小説ではないと断言して、以後、大江健三郎の小説を読まなくなった。大江の小説の良き理解者であったのに)
フランスでは、まったく、新しい「文学」が誕生していた。ル・クレジオの「調書」「大洪水」「物質的恍惚」である。大江は。同時代のライバルとして、ル・クレジオを意識していたにちがいない。
言葉の大洪水が、ル・クレジオだった。大江の「万延元年のフットボール」に匹敵する、想像力の「文体」の出現。従来の「小説」の形を破壊した、ル・クレジオの作品。おそらく、ヌーボー・ロマンの最高傑作である。
それから、大江健三郎は「文化人類学」の(知)などを取り入れて、実験的な小説を量産した。なぜか、私は、その(知)に対して、反撥があって、しばらく、大江の小説から離れた。そして、「父」をテーマにした「水死」で大江健三郎作品に戻っていた。

そして、最後の小説の「文体」多視点的な文体である。自分の作品が、過去が、多視点的に批判的に語られる。同時に、3・11のフクシマの危機、人間の危機も語られる小説。大江自身を、作品を、他人の眼によって晒してしまう小説である。なぜ、大江は、最後の小説を「長篇詩」で締めくくったのか?ビジョンを語るには、(詩)の形が良いから?

大江健三郎の母は、生涯、息子・大江健三郎の「小説」を受け入れることがなかっただろう、と思う。大江の小説に登場する(妹、親族たち)も、ソレは(私)ではないと反発しただろう。
大江の(想像力)とは、いったい、何だったのか?大江の描く(父)は、その母にとって、まったく(現実の父)とは認められないものだった。なぜ?母の知っている(父の事実)と大江の描く(父のジジツ)が、余りにも、歪められていて、二人の共通の(夫・父)に重ならないからだ。
母は、大江の小説が、地元では、受け入れられない(異物)であると感じていた。<事実>(母の)と<ジジツ>(大江の)差異。
大江の書く人物は、自然なニンゲンというよりも、大江風に歪められていてグロテスクである。
妹は「あなたに一面的な書き方で小説に描かれて来たことに不満を抱いている」(「晩年様式集」)と、最後の小説で、大江も告白している。
自然主義作家の、正宗白鳥が書く、弟、妹、父や母たち「リー兄さん」(入江のほとり)と大江の書く親族たちは、まったく別の「小説」である。世界が違う。
ニンゲンを描くことにおいて、白鳥と大江の言葉の、どちらが、深いところに達しているか?(単に「私小説」と「全体小説」の差だとは思えない。)
(現実)の(事実)と、(小説)の(ジジツ)がある。大江は、想像力を駆使して、(小説)の(ジジツ)を描くのだ。しかし、描かれたモデルたちは、(小説)の(ジジツ)として自分に対して、ソレはちがう!!と反発するだろう。(私)は、そんなニンゲンではないと。

大江自身、膨大な小説を生涯書いてきたが、最後の小説「晩年様式集」では、長篇詩を書いて、「本」を閉じた。その中に「自分の想像力の仕事など、なにほどのものだったか、と」述懐する二行がある。
ノーベル文学賞までもらった大江健三郎に、そんな言葉を吐かれても、他の作家や読者は弱ってしまう!!

大江は小説家であるが、詩人としての資質もある。(大江の小説のタイトルを見よ!!)「万延元年のフットボール」「洪水はわが魂に及び」「ピンチランナー調書」「新しい人よ目覚めよ」「鯨の死滅する日」
126行の長篇詩で終る、小説「晩年様式集」である。
①「自分の木」がある。(四国の森の伝承)
人が死ぬと、魂は、その「自分の木」に着地する。
②「私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる」
詩には、2つのメッセージが、声高らかに唱われている。(若い人たちへ)六十余年の、大江健三郎の文学的な仕事が、たどり着いたコトバである。

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• 日曜日, 10月 01st, 2023
3751. 宇宙の原質に触れること。そのリアリティを楽しむこと。これ以上のニンゲンの楽しみはない。その為には?何をする?(歩くこと)と(瞑想すること)だ。

3752. (宇宙)を歩くこと(宇宙の大歩行者)(宇宙)を瞑想すること(無限者)簡単だが一番難しい行為である。

3753. 一流の詩人・作家は。来た「コトバ」を超人のように「言葉」に変換する!!だから、読者は、言葉を読んで、「言葉の向こう側のコトバ」を見なければならない。深く読むとは、そういう行為のことだ。

3754. ボクら、ニンゲンが日々見ている(現実)は宇宙が見ている夢のひとつかもしれぬ。無数の宇宙のコトバが放射されている。

3755. (私)は失神する。宇宙の2000億個の銀河を数えようとして。

3756. 時間が足りない。間に合わない。何に?なぜ?どうして?途方にくれて。放心する。

3757. 目覚めたり、正気になったり、悟ったりすることが可能であろうか?(正しいこと)も選べないニンゲンが。

3758. 生きれば生きるほど、モノが見えるのではない。(私)という存在の一切が、無化されていく。

3759. 老人になると、あの少年もあの青年も(私)ではなかった、別の生きものだと、わかってくる。(今、ここ)は単純な時空ではない。

3760. (無)から(有)は生れない。かつて、ニンゲンは、そう考えた。いや、いや、いや、今では、(無)からこそ一切が発出する!!無数の宇宙も。

3761. 在ったり、無かったり、在ったり、無かったり、同時に、在るところで、量子たちが踊る。視よ、宇宙で踊る量子たちを。過去も未来もない。もちろん、現在も。

3762. 量子を正視すると、ニンゲンは気が狂ってしまう。だから、見てはいけない。考えてもいけない。沈黙している。わからないものは、わからないまま放っておくこと。

3763. 色は脳が見る。眼は分光器だ。決して(現実の色)をニンゲンが見ることはない。

3764. 存在者は、存在を楽しむ以外に術はない。ホトケまで、自分自身を楽しんでいる。(法身という存在)

3765. 意味は、ニンゲンだけにある。非・意味の宇宙に意味を求めても仕方がない。

3766. 「無」から「零」まで、無限の旅。

3767. おそろしいことに、正確に問わなければ「問い」そのものが無効になる。

3768. 解き、解き放たれて、宇宙の迷い児。

3769. 自由を求めすぎて、十一次元に棲みついてみたが。

3770. 四次元は、結局、ニンゲンにはちょうどいい器。

3771. 音が光る。文字が光る。色が光る。(私)が光る。すべては(光)へ、(光)から。

3772. 何もしないという人は、存在自体を楽しんでいるのだ。「良寛」のように。

3773. (無)から(1)が発出するためには、(1)の存在する(場)がいる。(1)を認知するための眼(意識)がいる。

3774. 超高温の火の玉が(無)から発出するためのエネルギーと、爆発して時空を創造するインフィレション。ビッグ・バン以前の(無)から(無限)の顕現への偶発。

3775. あとは、ビッグ・バンの風に吹かれて銀河やブラック・ホールの出現の中に、恒星のチリが創る惑星の誕生、そして、終に、単細胞から(意識)が現れる。

3776. (意識)があるから、宇宙という存在が、見えてくる。

3777. (私)の誕生まで、悠久の時が流れて、日常のセイカツがやってくる。永遠の中の一日が。

3778. ニンゲン(私)は、ひとつの単細胞が咲かせた、38億年の華である。

3779. スーパーシステムとしてのニンゲンはひとつの単細胞がみた夢であるか。

3780. 量子としての(私)はあらゆる時空に偏在している。

3781. 量子はコトバである。無数の量子が(私)にやってくる、コトバとして。だから、(私)は、そのコトバを誰もがわかる言葉に置き換える。

3782. 天から降ってきたものを(コトバ)アラビア語という言葉にかえたマホメット(モハメット)の話は、どうやら、本当だ。(「コーラン」)

3783. 宇宙まで突きぬけるコトバを放つ!!全細胞の力を一点に集中して、全エネルギーで放つコトバ。(放つと同時に死ぬ)宇宙の沈黙と均り合うほどの。

3784. テーマやプロットや物語を話しても、仕方がない。問題は、文体である。同じテーマ(事実)を扱った「本」でも、一人一人文体がちがうから、(事実)はひとつではなく、さまざまなコトバの素となる。

3785. どだい、「作品」を、自分の言葉で語ったり、解釈しようとすること自体が、誤ちである。文体をもった作品は、ひとつのオリジナルの宇宙だから。

3786. とうとう、わが地球は”温暖化”を通り過ぎて、”沸騰”の時代に入ったと(国連)

3787. もう、臨界点は過ぎて、人間の手(知恵)ではどうにもならぬ、後戻りできぬ。

3788. つまり、ニンゲンは、滅びの時代に突入した・・・と。まだ、宇宙への入口にしか立っていないのに。

3789. 便利さを求めて、効率さを求めて、速く、遠くへ、最大に。多量に。

3790. 文化も文明も、よく考えてみれば諸行無常の鐘の音だった。自分で自分の葬式の鐘を鳴らしていたのだ!!

3791. いつも、無限遠点からやってくる宇宙線に刺し貫かれるような視点で、モノを考えることだ。(目覚めよ、ニンゲン)

3792. どんな天才も、スーパースターでもニンゲンである限り、「人間原理」のもとに、生きて、死んでいく。「宇宙原理」には至れない。(生・老・病・死)である。法(ダルマ)の下に。

3793. 大事なものは、すべて、向かう側からやってくる。だから、ニンゲンは歩かねばならぬ。(出合いのために)

3794. 他界からやってくるものをも、見なければならない。(聴かなければならない)冥途の色に染まったコトバも。

3795. 宇宙が放っている無限のコトバを、ニンゲンは、必死で、言葉に変える動物である。(まだ、百分の一にも達していないが)

3796. 詩は、突然、降ってくる。コトバを、言葉に変換するものであるが、どうであろう、100作品に1作くらい、成功するであろうか?

3797. (木)は、木自体というコトバを放っているから(木)という言葉で呼ばれる。(草)は草自体というコトバを放っているから(草)という言葉で呼ばれる。以下、ココロも身体も同じこと。ニンゲンが見るべきは、もちろん言葉よりもコトバである。

3798. ニンゲンは、聞こうとする音しか聞かない。見ようとするものしか、見えない。考えようとすることしか、考えない。(存在)を発見するのは(私)である。

3799. 私の内部に音を響かせ、私の内部にモノを見て、私の内部に(イデア)をひらめかせる。

3800. いつも、外部は内部だ。その中心には意識がある。原子の存在を知らない者には原子の姿は見えない。(あってもなくても)(私の死)は見えない。(私の死)はないから。

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• 月曜日, 8月 21st, 2023

私の呼吸(リズム)を宇宙の呼吸(リズム)に 合わせてみる
そのチューニングが
一日の(私)の仕事(?)だ

何をしていても どこにいても いつでも
コレハ(私)ノ仕事デハナイ
コレハ(私)ノ場所デハナイ
長い間 そんな奇妙な感覚で生きてきた

歩きに歩いて物を売ったセールスマンの時
「本」作りに熱中したエディターの時
会社を経営した 休日もない社長の時
どの椅子も 私のココロとカラダには
ぴったりと合わなかった
いつも 足の裏がヒリヒリしていた

そして ある日 あらゆる椅子を棄て去った
白昼 私が歩いていると 他人に まるで
幽霊じゃないかと言われてしまった(正体が見破られた!!)
とうとう こんなところまで 来てしまった

もう遊行の時だった(モウ 何モ スルコトガナイ 人間ハ
本当ニ 何ヲシテイルノカ 何モ知ラナイ 永遠ノ宇宙ノ相ノ下デハ
ソシテ 今ハ 特別ニ 何モ 言ウコトガナイ)

私は 確かに 何かを問いたいのではない (私)は宇宙の「問い」の
真っ只中にいた モノゴトは 正しく問わねば「問い」そのものが無効になる

(私)に残された最後の仕事は? 道端に ただ ゴロンと転がっている
一本の木材のように 沈黙して 正しい姿勢(?)で 宇宙に 立ち向かってみることだ

(私)は 宇宙の難破船になって 解体されて (私)を解き放ち
四方八方へと砕け散り 揺れて 漂って 浮遊しながら 超(私)に至る
つまり
(一即無限)へ 38億年の華咲く 道(タオ)へ

(2023年4月17日)

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