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• 月曜日, 4月 28th, 2025

享年32・若き天才ツーちゃんの死を悼む深い味わいのレクイエム、感動いたしました。

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• 月曜日, 4月 28th, 2025

翼さんも、蛍になられて解き放たれて銀河を舞っていらっしゃることと思います。

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• 月曜日, 4月 28th, 2025

こんな詩を書きたかった。

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• 月曜日, 4月 28th, 2025

宮沢賢治の名作、妹とし子の死を詠んだ「永訣の朝」を思い浮かべました。
「魂の行方を求めて」も、秀れたレクイエムです。

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• 木曜日, 4月 24th, 2025

お便りありがとうございました。貴兄の甥御のご逝去のことを教えられたら、私もしばらくご返信を書くことができませんでした。甥御のご逝去、本当に残念でなりません。夭折の甥御に捧げた貴兄の鎮魂の詩は、何よりの供養になったのではないでしょうか。遠くのこちらからも甥御のご冥福をお祈り申し上げます。

アフォリズムもありがとうございました。現在、3900作品。区切りの4000作品まであと100作品。よくこれまで書き続けました。今回いただいた作品を読んでおりますと、貴兄はもうすでに大宇宙の中に一量子として溶け込んでおられるような印象を受けました。「3862. あらゆる物質、あらゆる生命、あらゆる時空も、エネルギーが変化したものです。だから、『(私)は光だ』と思っております。」― まさに宇宙法則に則っており、何も「おかしい」ことはないと、私は思います。

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• 月曜日, 3月 31st, 2025

1 ニンゲンが生きるということは(私)という魂(プシュケー)のお守(もり)をするということであろうか 古代ギリシア人のように

2 誰にでも身(ミ)に覚えがあるだろう 身(カラダ)が 突然 暴れだして 口(コトバ)が 不意に 止まってしまって 意(ココロ)という水準器が 急に 傾いて ニンゲンだから 魂(プシュケー)のお守(もり)は 簡単ではない

3 突然 ココロが叩き割られて 起(た)ち上がれないまま 通夜と葬式が終った夕(ゆうべ) 線香の匂いに息がつまって 誰からともなく 夕涼みにと 玉砂利の敷かれた広い庭に出た

4 「翼が蛍になって飛んどる ホラ 見てみ」翼の父(私の弟)が指差した 高い高い夜空に 一匹の蛍が飛んでいた「翼(ツー)ちゃんホタル?翼(ツー)ちゃんホタルや」と孫たちの声

5 ニンゲンが蛍になったのが不思議なのではない 全員が 同時に「翼という蛍」を見てそう信じたことが不思議だった

6 若者は都市へ ただあこがれて 自分の場所と椅子と夢と仕事を求めて 彷徨(さまよ)って 翼のはじめての仕事は?建設会社での地下鉄のトンネル堀り 次の仕事は?デザイン会社の撮影助手と運転手 最後の仕事は? 刺青(タトゥー)を彫る 腕のいい彫師であった

7 「こんなに美しいニンゲンの眼 ワシ 今まで見たことがない」面接の時「成績は悪いけど採(と)っとけ 見事な眼やから」社長は言った

8 とびっきり美しい眼は いったい 何を見たのだろうか?「カミもホトケも ほんまに おる ワシ見たもん」と見たままを一枚の絵に描いた 本格的な リアルな「仏像(ホトケ)」の絵

9 高い高い夜空に舞う蛍は、家の上空をゆっくりと3回旋回して北の山へと飛び去った「オトン オカン スマン」さよなら さようなら 青白い光は魂(たましい)の放つコトバであった

10 「とうとう翼も蛍になってしもうたわい」翼よ あらゆるものから解き放たれて 銀河へ 遠い遠い宇宙まで翔んで行け 庭に 家に 遺族に 深い深い闇と沈黙と祈りが来た

(合掌)

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• 月曜日, 2月 03rd, 2025
3851. 「人間原理」の視点で見れば、おそらく、ニンゲンは(無限)だ。「宇宙原理」の視点で見れば、おそらく、ニンゲンは(無)だ。どちらの視点で生きるか人それぞれ。勝手に生きてみる。さて、いったい、何が見えるか、何があるか?

3852. 気がつくと、言葉の大海を漂流していた。耳で聞く言葉を食べて食べて、口から吐いて吐いて、放った末に残ったものが(私の言葉)だった。(言葉は誰のものでもないのに不思議だ)(私の言葉)が存在しはじめる。

3583. いつのまにか、(私)は、言葉を生きている。あらゆる現象や事象を言葉に変えて、生き直している。(モノ自体は、いったいどこへ行ったのだろうか?)

3854. ニンゲンは驚愕した。言葉で表現できぬものが顕れた。一切の統辞法、論理が役に立たない。(存在ならぬ存在の出現)さて、困った。釈尊は「無記」と断言した。21世紀のニンゲンは、どうする?ニンゲンの手に負えぬ(量子)奴!!

3855. 思考が狂うか?ニンゲンが狂うか?眼を開けて、ソレの傍らを擦り抜けるか?

3856. 詩人がいる。詩人とは?見者(ボワィアン)である。透視者だ。見者でない詩人は、贋物である。現代詩を書いている、九十九パーセントは、見者ではない。

3857. もちろん、詩人は、詩語の向う側のコトバを透視する。(量子をも)

3858. 眼で見る時代から、手で見る時代へ(手かざし)

3859. 〇〇ちゃん、遊ぼ!!楽しいよ。いったい誰の声か?

3860. 遊びも、趣味も、道楽も、仕事も、結局、ニンゲンが踊る、コズミック・ダンスの、ひとつの変種にすぎない。

3861. 小さな惑星も、巨大宇宙も、コズミック・ダンスを踊る、ひとつの時空という舞台にすぎない。存在が存在を楽しんでいるだけ。

3862. 「今日は何日ですか?ここは何処ですか?あなたのお名前は?誕生日は?」病院の医師が問い続ける。この時空の一点に(私)という存在を、貼りつけようとする。(私)は、何も応えられない。先生、(私)まだ(I)とは何かさえ、わからないのですが・・・。

3863. あらゆる物質、あらゆる生命、あらゆる時空も、エネルギーが変化したものです。だから、「(私)は光だ」と思っております。何かおかしいでしょうか?お医者さん!!

3864. 千年、万年、いや一億年も考えても、おそらく考えきれないことがあるのに、たった百年、太陽の周りを廻って、終ってしまうニンゲンなんて。不快です。

3865. 考えきれない、たったひとつのことは、そのまま、宇宙に残されてしまう!!

3866. ふたたび、誰かが、何者かが、その、たったひとつの謎に挑戦してくれるのでしょうか?(もったいない)

3867. 物質の精神化、精神の物質化。(石が考える)(考えが石になる)本当の革命とは、そんなものでしょうに。

3868. ニンゲンが石ころになる。決して、比喩ではなく。

3869. 叫び声も空に消えて、ココロは空っぽ。怒りも、悲しみも、大きな沈黙に吞み込まれて。ただ浮遊しているニンゲンの形姿。

3870. がらんどうの生きものを、果たして、ニンゲンと呼べるのか?(悲しみの底がない)

3871. 生きれば生きるほど、この惑星の一日が寂しくなります。いつも夕暮れです。さて、どうしたものでしょうか?

3872. 「寂寥」とか「寂静」とか、昔の言葉が、老いて、今ごろになって、身に沁みてしまう。困ったものです。(ニルヴァーナー)と。

3873. 本当に、何もかも、どんどんわからなくなってしまう。長く長く生きてきたのに。(とうとう一日が何かもわからない)

3874. 見えないものが在る、在るのに見えない(ニンゲンにとって、大切なことなのに)

3875. どうやら(私)ニンゲンの言葉も、宇宙言語(コトバ)に至らなければならない時が!!

3876. 「阿」や「吽」の根源に至った空海さんのコトバ(真言)は?

3877. 自然な、普通のことが、どんどん崩れていくが・・・(私)が(超私)になる?

3878. 「絶対の王」が存在した時代は、ものごとの白黒が、はっきりとわかったのに。

3879. 「光」の今は、いつも昔だ。やれやれ。

3880. 冬の淡い光に、庭の切り株が応えて。(沈黙の中のコトバ)

3881. とりあえず、正気で生きて、正気で死ねば、文句はないか。(後は野となれ山となれ)いやいや、宇宙の流れは、そうもいくまい。

3882. 無限個の光が空に舞っている。もちろん(私)もそのひとつだ。もうすぐ消えるが。

3883. 宇宙というテキストは、無限個の量子が作りだした、大きな物語であろうか?誰にも読み解けないが。

3884. ニンゲンも量子の子供だ。

3885. (私)は、私という身体さえ、充分には知らない。それでも、自然に生きている。なんだか、おかしい。

3886. 考える(知)の王は、たった一時間の、瞑想の深さには負けてしまう!!なぜか?

3887. (私)のアフォリズム「コズミック・ダンスを踊りながら」も、言語の限界を突破して、誰も読めないコトバの世界へと、疾走してしまうのか?

3888. ン?うんにゃ、ソレはちがう(父の声)

3889. 君がニンゲンなら、ボクは、ニンゲンをやめたい!!(プーチンに)

3890. 宇、宇、宇、宇宙と言い放てなくなって、茫然とする。(声が死ぬ)

3891. 来た、来た、行く行く、誰が何を見たというのだ。(何も来ない、何も行かない)

3892. もう、いいよ、お終いにしよう。断念の宇宙。

3893. 眼の死刑、耳の死刑、手の死刑、足の死刑・・・あらかじめ決定していたのか?

3894. パスカルは言った「あまり自由なのは、よくない」と。「必要なものが、みなあるのはよくない」と。なるほど、知足か。

3895. ①(私)がこの宇宙に生まれないという奇蹟。②(私)がこの宇宙に生れたという奇蹟。③(私)が死んで、ふたたび生き返るという奇蹟。さて、どれが一番の不思議であろうか?

3896. あらゆるところに、泡のように「時間」が起きあがってくる。気絶するほどの光景である。

3897. そして、ココロが、意識が、思考が、コトバという出来事の中に、ゆらいでいる。

3898. われわれの銀河、天の川銀河が一回転する。仮に、それを、「一銀河年」と呼ぼうか。その時、太陽は?地球は?ニンゲンは?何処へ?

3899. 月から見た、暗闇の宇宙に浮かぶ地球の写真!!全人類が写してきた無数の写真も、この一枚の、証明写真にはかなわない。(本当に、地球は宙に浮いて、漂流している!!)

3900. 21世紀のニンゲン。「哀歌」や「鎮魂歌」は、いつでも、平気で歌える(書ける)のに、いざ「讃歌」を歌おうとする(書こうとする)と、調子が狂ってしまう。「讃歌」を書こうとする右手を、左手が止めてしまう。やはり、歌も、時代が呼ぶものか!!

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• 金曜日, 12月 06th, 2024

世の中には実にたくさんの、多種多様な仕事がある。遊びでもない。趣味でもない。道楽でもない。ニンゲンにとって、仕事とはいったい何であろうか。そして、人は、たくさんの仕事の中から、ひとつの仕事を選ぶ。なぜ?
久米勲は、編集者という仕事を選び、生涯一編集者として生き抜いた男である。
作家でもない、記者でもない、編集者とはいったい何者であろうか?どんなことをする人であろうか。
本書の底辺には、そんな思いが流れている。そして、読み終えると、そんな疑問が溶解する「本」である。

さて、久米勲は、大学への進学を決める際、社会に出て、役に立つ、実学(?)=法学部や商学部に入ってほしいという父の思いを裏切って、文学部へと進学を決め、早稲田大学で国文学を修学した。
時代は、政治と文学の熱気で燃えあがり、新しい雑誌や新聞や書評誌や思想書が、次から次へと発刊されて、時代を背負う作家たちが続々と登場する、「本」が売れに売れる、黄金時代であった。
学生の就職希望は、マスコミに集中しておそろしい競争率・倍率であった。
久米は、文芸の出版社、河出書房新社に見事に合格して、雑誌「文芸」や文学関係の「本」の編集者としてスタートする。(河出書房新社は、二度倒産している。)(昭和32年と昭和43年)
先輩には、鬼編集長として、作家たちに畏れられた、坂本一亀がいる。三島由紀夫の「仮面の告白」を手がけ、「悲の器」を書いた新鋭の高橋和巳を発見して、育てあげた。(音楽家、坂本龍一の父)
「文芸」「海燕」の名編集長、寺田博もいた。作家、吉本ばなな、小川洋子などの発掘者である。
久米は、先輩たちの仕事ぶりを、背中を見ながら、編集者としての腕を鍛えていった。
新人、無名の作家たちの、生原稿を、何百と読み込んで、活字になった文章と同じように評価できる眼力を身につける。
そして、企画、立案から、作家たちへの原稿の依頼、原稿の修正、入校、割りつけ、ゲラ刷りの校正、帯文のキャッチコピー、「本」のタイトル、装幀まで、一切の実務を修得した。
担当した作家たちは?大家の川端康成、流行作家の吉行淳之介、五木寛之、野坂昭如、瀬戸内晴美、山崎正和、新人の中上健次、河野多恵子と錚々たる人々である。

作家たちとの交流、付き合い方、原稿のもらい方、距離のとり方、素顔の作家たちの日常・仕事の現場。特に、作家の家での会食は、長く付きあってきた編集者の特権であろう。吉行家の「ヒジキ」山本家の「春雨サラダ」瀬戸内家の「キィウィと玄米」五木家の「ステーキ」。どんな仕事でも、お客さんと一緒に、食事ができるようになれば、一人前である。第一に、信用を得たという証拠である。久米は、後に、エッセイとして、その現場を活写している。

作家は、原稿を書く人、いわば、卵を産むニワトリ。編集者は、生原稿を読んで、「本」=商品になるかどうかを見決めて、立派な「本」にして、読者の手許に届ける、「本」づくりのプロ(いわば、作家が産んだ卵をヒナとして誕生させて、一人前の成鳥になるように育てあげる人。)
決して、自分では、モノを書かない。目利き、眼力の人、作家にとって、はじめての読者であり、批評家である。
東西古今の名作を読み尽くして、いい文章とダメな文章(作品)を見極める力を備えた人が、名編集者となる。作家にアドバイスをして、修正したり、書き直しを命じたり、余分なところを削ったりさせる力を持っている。(ドストエフスキーの原稿には、無数の修正があるー編集者の)

「本」の読み方には、二つの方法がある。
ひとつは、「本」を、ひとつの世界・宇宙と考えるもの。作家本人とは別の生きもので、作品の中に、書かれたものしか、読まない。作品は、作家にも見えない、「本」はわからないものが含まれている。書かれた文章がすべてである。(ロランバルトのテキスト・クリティック。蓮見重彦の「本」の読み方や論じ方)(表層批評)
もうひとつは、作品は、やはり、作家が産んだもの。作家の子供が作品。あらゆる言葉・文章・発想は、作家の中から生れたもの。従って、作家個人の性質、育った環境、家、家族、その職種、一切を調べて、作品を解釈する方法。実証主義。評論家、平野謙がその代表。国文学者たちも。平野は「島崎藤村」を書いた時、その調査と探求は、まるで、探偵だと畏れられた。
さて、本書を書いた、編集者・久米勲の「本」の読み方は?どちらであろうか?本書を読んで、読者に、判断していただきたい。

作家と二人三脚で「本づくり」の共同作業をしてきた編集者は、決して、モノを書く人ではない。作家たちは、光を、スポットライトを浴びるが、「本」を制作した編集者は、裏方であり、黒子であり、縁の下の力もちであり、光に対して、影の存在である。
しかし、時には、新聞社や出版社から、依頼されて、モノを書くこともある。
実は「本書」も、久米が依頼されて書いた書評や解説や文学論やエッセイに加えて書き下ろしたもので構成されている。
特に、作家たちが死んだ場合、作家との交流があって、現場と素顔を知っている編集者の記録や告白は、随分と貴重な資料となる。
「あとがき」で、久米は、こんなことを書いている。「編集者として、ぼくは良い時代を過ごして来たようだ。そのことを残しておくのも悪くはないかも・・・(略)二人の孫に、お爺ちゃんはこんなことを考え、こんなことをしてきたんだと、伝えておこうと」
記録もひとつの文学である。日記も。回顧録も。久米の編集者としての存在証明が本書である。孫たちにというところが、実に、あたたかいメッセージである。老いた時、誰でも、一度は、「人生の検証」をするものだ。

編集者として、一番の喜びは、何であったのか?
新人の発見、新しい文学者の発掘であろう。
「やちまた」足立巻一著
盲目の人・本居宣長の長男のことを書いた評伝。同人誌「天秤」に掲った、「やちまた」の冒頭を読んだ時、編集者としてのひらめきが来た。名作だと。久米は、「やちまた」の出版を決意。「やちまた」は、芸術選奨文学大臣賞を受けた。久米の編集者人生で一番のよろこびであった。

「正統なる頽廃」(大笹吉雄第一評論集を刊行。)
「花顔の人 花柳章太郎」 大佛次郎賞受賞
大学の同級生・演劇評論家の誕生。まるで我ことのように喜んだ!!
河出書房新社が倒産!!(2度目)
社員が、約600名(関連会社を含め)
久米勲も、何度目かの、希望退職者の募集に応じた。三人の仲間で、編集会社「木挽社」を設立。本づくりの職人として、生きる!!
そして、フリーの編集者に。
企画・立案から、出版社との交渉。苦労の絶えない、辛い時代を生きることになるが。「新潮日本文学アルバム」は、好評で全100巻に。
その頃の心情。
「机の周りに写真を散らかし、一日十時間、いや、二十時間にもわたって割付け(レイアウト)をしていると、俺は生涯こうして机の前にこの写真たちと坐りつづけなくてはいけないのか、と暗然とすることしばし」
それでも「本」の完成した顔を見ると、よろこびで、心が熱くなる編集者魂。

お礼と感謝を!!
本書には、私に、文学のインパクトを与えてくれた、三人の、作家、評論家、研究者が登場する。直接、言葉を交わした人たち。
中上健次、竹西寛子、保昌正夫。
本書に名前と記事を発見したとき、50年前の三人の声と言葉と立ち姿が一気に記憶の中から湧きあがって、心が揺れて、この記事を読んだだけで、充分に、読書の意味があったと、なつかしいやら、うれしいやら、思わず、「儀式」と「管絃祭」と「岬」と「枯木灘」と「早稲田文学」を本棚から取り出して、読み出した。
久米勲さん、ありがとう。
三人の声が、心の中に甦って、鳴り響いております。「本の力」です。

中上健次の思い出。
文学が熱を帯びて語られた時代。
東京、阿佐ヶ谷の居酒屋にて。
日本読書新聞の元編集長・井出彰、武田泰淳論を書いていた石川知正、出版社の編集長・横田明彦、そして私の四人。新鋭作家の中上健次に声を掛けて、一緒に、文学のリトル・マガジンを作らないか?と。中上は、「津島佑子(太宰の娘)を入れるなら、考えてもいいよ」と。
そして、「俺「文芸」に作品を載せてもらうのに、6回も7回も書き直しされてな、まるで、顔の皮をむしられる、屈辱だったな」「重田、お前、真似できないだろ」と。
もうひとつ、中上の重要な告白があった。「俺、本名、なかがみじゃないんだ、実はなかうえなんだ、わかるだろ、四国のお前なら。」被差別部落の出身だという意味だった。中上は、作家になるべき、資質や宿命を背負った、馬力のある男であった。そして、カラオケに行った。都はるみの「北の宿から」を歌った。低く、やさしい、よく響く声であった。
結局、中上は、芥川賞受賞で、急に忙しくなって、一緒に文芸誌をというプランは消えてしまった。中上は、全力疾走で、走って、突然、逝った。

保昌正夫先生の思い出。
声と眼に力が漲っていて、文学を全身で呼吸しているような、講師であった。
横光利一の研究者。横光・川端時代に、横光論を書く評論家であった。早大の国文科で、「現代文学」の講義を聴いた。
大学の先生というよりも文士そのもの。
私の提出したレポート「大江健三郎について」の視点、発想がユニークだから、評論してみないかと、誘われたが、結局、完成しなかった。
私たちの同人誌「あくた」(1~13号)を、ていねいに、読んでくれて、「早稲田文学」に小説を書いてみないかと、声を掛けてくれた。
当時の文学青年たちは、商業誌の前に「早稲田文学」に作品を載せることが夢だった。中上健次は「灰色のコカ・コーラ」を。立松和平は「途方にくれて」を書いていた同世代。
結局、私は、短篇小説、「投射器」(100枚)を、秋山駿の了解を得て、「早稲田文学」に掲載した。保昌正夫先生は、文学の恩人でもある。

竹西寛子先生の思い出。
大学の先生・講師というよりも、現役の作家であった。小説集「儀式」の著者。
中世文学、特に、和歌の読み方を講義してくれた。ていねいに、ていねいに、こんなに言葉を大事にする先生は他にいない。語りがそのまま、「本」になるような厳しさ、美しさ。
特に、和泉式部の和歌。
〇あひみての 後のこころにくらぶれば 昔はものを思わざりけり
〇もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれいづる魂かとぞ見ゆ
見事な解釈であった。リアルな言葉に触れて、ただ、うっとりしていた。
広島出身である。(原爆を体験)文学者として、宿命づけられた人。河出書房で編集者ー倒産を体験。筑摩書房に入社。
そして、フリーランスに。作家として独立。10年後には、名作「管絃祭」を書く。
漱石や鷗外の(知)による「本」よりも、人生を探求する、正宗白鳥の呟くような、自然の言葉のリアリティを好んだ人。
文体は静かだが、その底流には、激しい、真摯な声=レクイエムが流れていた。
原爆で死んだ、同級生たち(竹西は、その日、体調がわるくて、学校を休んでいて、助かった!!)への鎮魂歌である。

記憶は、長く生きてきた老人には宝である。藤圭子の歌声を聴けば、70年代の空気が蘇ってくる。(久米には、流行歌をテーマにした著書がある)「流行歌の情景」
記録もひとつの(文学)である。時代の声を、編集者の仕事を、(人生の検証)として、残した久米も80歳を過ぎたおじいちゃんになった。本書は、孫たちに贈るメッセージでもある。苦労も悲しみも喜びも「編集者」という仕事の中にあった。正に、回想記である。必ず、誰かに伝わるものである。「本」の力、「言葉」の力である。
私のひとつの「感想」である。
令和6年12月3日日記

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• 火曜日, 8月 20th, 2024

突然 流れていた音楽が止んだ
ラヴェルの楽曲「ボレロ」だった(サドンデス)

偶然か必然か 誰が 何が 骰子を振った
それが大問題だ

時が熟して 光が来た
機が熟して (私)が顕現した
気がつくと 宇宙の惑星に放り出されていた

さあ人生だと言われて 意識に火が点き
ただ生きた 惑星の法則に従って
(悲)も(苦)も(痛)も(喜)も(楽)も(快)も
味わって
比率で言えば おそらく 7対3くらい
そして ある日 突然 ただ死んだ
宇宙の法に任せて おさらばの時が来たから

もう 一切の意味付けは無用だ
「輪廻転生」とか「復活」とか「永却回帰」とか「再生」とか「魂」とか「無」とか

ニンゲンは あらゆるものに 名前をつける
その意味を発見しては ああだ こうだと言いたがる
そして定義までする
無意味か 非・意味か 放っておいてくれ
一切がコトバの問題だ
(私)は いつも 言葉の外部にいる いや
コトバの内部にいる いわば(恁麼)である

終れないという恐怖に比べれば
(死)の恐怖など 何ほどのものでもない
永遠の宙吊りこそ畏怖だ
おそらく ニンゲンは 耐えられまい 失神する いや狂ってしまう
(無)から(無)への宇宙の永遠のリフレーン

宇宙そのものが サドンデスかループする存在か 見分けがつかない
(私)は宇宙の 白痴だ さっぱりわからない 何?何?何?

音楽が流れている 街の中に いつまでも終ることのない(エンドレス)のループする音楽
あれは? サンバか 阿波踊りか

※参考資料「音楽の危機」岡田 暁生著

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• 水曜日, 5月 29th, 2024
3801. (無)が存在の母であるとはニンゲンは、長い間、知らなかった!!(無から有は生れない)と!!

3802. すると、(無)から来た存在は、当然(無)に還ることになる。なんの不思議もなく。

3803. (私)が光であったということすら、大きな謎であったのに。

3804. 宇宙塵は、結局、(私)たちの兄弟である。

3805. 夏の光も、秋の光も、光は永遠の滴だ。

3806. 巨大な存在と非在の眩暈の中にいる(私)

3807. 片手に宇宙、片手に量子、左手も右手もない。不思議。

3808. ニンゲンは、宇宙の存在を発見するために、顕現した生きものであろうか?

3809. 見る者、知る者、わかる者が存在しなければ、(宇宙)は在るか無いかもわからないまま。

3810. 意識こそ、(知るー考える)の中心にある。あるいは、意識以上のもの?

3811. 誰が、何が、ニンゲンを、宇宙に放ったのか?まさか、神とは言えまい。無とも言えまい。自己生成。進化?偶然?

3812. 宇宙がある。言葉の中にも宇宙がある。言葉の外にもコトの宇宙がある。

3813. シンプルに、ただ生きる。(生)に必要な要素だけ残して。あとは、すべて、棄て去ること。

3814. 宇宙には、解決というものがない。無限に流れる。ニンゲンの世界では、どうか?

3815. AIは(情報)の集積する巨大な場だ。(情報)を与えなければ、ただの空箱だ。

3816. もちろん(知る)より(考える)が大切に決まっている。その前に直観すること。

3817. 光と水を与えなければ、(私)も、植物と同じように枯れてしまう。ニンゲンにとって(光)とは何か?(水)とは何か?熟考しよう。私の原理を見定めて、生きることだ。

3818. 人生に答えなどないのにコンピューター(AI)は、正しい答えを出してくれる!!(余計なお世話だが)

3819. 作曲家、坂本龍一の最後のピアノ演奏。まるで、自らに対するレクイエムであった。音楽・ピアノは、決して上手下手ではない。音がヒトのココロに、沁み込むかどうかで、音楽の値打ちが決まる。魂を洗う音!!

3820. (無)と(無)の間に宇宙時間がある。永遠と呼んでもいいが。あらゆる現象、あらゆる事象、存在と非在も、その宇宙時間内での出来事である。もちろん生きる、生きられるニンゲンも、その他大勢のひとりであるが。

3821. 生きているニンゲンが(死)とは何か?といくら考えてもわかるはずがない。(私)は、(超私)になってしまったから、他の宇宙を、その法を考えるようなものだ。だから、せいぜい(生きる、生きられる)私を、楽しむしかない。つまり、勝手に、自由にコズミック・ダンスを踊ってみせるだけ!!

3822. ニンゲン、食べるために、30年も40年も働くと、いつのまにか、(私=仕事)となってしまう。つまり、仕事が生きる最終目的になっている。

3823. 会社を退職して、仕事を離れてみると、残された(私自身)をどう扱っていいのか、わからなくなる。つまり、仕事とともに(私)が消える。で、おどおどして、途方に暮れる。

3824. (私)という魂のお守をすることが生きることだと思っている人は、(会社・職場)を離れても、残された(私という魂)の存在が確認できる。で、魂を育てる。

3825. ふたたび、最後の時まで(私という魂)のお守をし続けようと考える。仕事が目的ではなかったから。ひとつの手段だったから。

3826. (無)から(無)へ。そんな声が流れてきた。宇宙の出現(誕生)と消滅(死)。(私)ニンゲンの出現(誕生)と消滅(死)。あらゆる存在も現象も、現れては消えていく。(諸行無常)と云った釈尊のコトバは正しい。

3827. ビッグバンの風に吹かれて、ヒトは次から次へと生まれてくる。そして、ひととき、それぞれの、コズミック・ダンスを踊っては、次から次へと死んでいく。宇宙に、ただ、そんな現象がある。

3828. どんな手が?誰が?何が?そんな骰子を振っているのかまったく見えない。わからない。

3829. ひと粒の砂も一個の石ころも、原子も量子も何も応えてはくれないヒトの生涯であるが。

3830. たった一瞬の輝きか、それとも、はるかな旅であるのか、問題はすべて(私)の意識にある。

3831. 宇宙の時空の中で、変わらぬものは何もない。ただ流れて、移ろっている。(釈尊の直観力)

3832. 一粒の砂ほどの存在にも意識があるという不思議。

3833. ニンゲンは、ひとつの惑星を食い潰してしまう、奇体な生物であるか?

3834. エネルギーだけが、宇宙を存在させる唯一の力だ。無生物も生物も、もちろんニンゲンも、エネルギーなしでは存在できぬ。アインシュタインの発見は??E=mc²である

3835. 海の発見、空の発見、宇宙の発見!!発見だけではつまらぬ。何か作ってやれ、何かを変えてやれ!!

3836. ニンゲンは、持っている力を、どのくらい開発して、使用しているのだろうか?(数パーセントか?)

3837. 眼の誕生から、見る力は、どこまで進化したのだろうか?(3億年もかけて)(モノを見る、宇宙を見る、DNAを見る、それから・・・透視する力は?)

3838. 見るに、限界はあるのか?(ココロを見る、見えないものを見る・・・虚数iも)そして・・・

3839. 言葉で思考する、言葉を超えたもので直観する。(その時、わかるとは何か?)

3840. 長年、ニンゲンとして、生きてきて(77年)私が持つに至った思想?は、最後は、死ぬ時は「宇宙にむけて翔べ」だった。

3841. 一回限りの「生」だから、一度だけの試み(死)だから、上手くいくかどうかは、わからない。

3842. (私)の死後、私の死に顔を見て微笑んでいたと、他人が思ってくれれば、おそらく、成功だろう。

3843. ニンゲン、何をしたか(仕事)ということよりも、(私という魂)のお守としてきたことの方が大切であった。存在の輝き。

3844. 飢えもせず、他のものを盗ったりもせず、大きな嘘もつかず、他人を殺しもしないで凡庸な日々を生きてこれたのは、ラッキーであった。文句はない。

3845. 無限遠点にも、もう一人の(私)がいる。いや、(私)にそっくりだが、反物質である。私が右手を振ると、ソレが左手を振る。

3846. 宇宙は巨大な蜘蛛の網で、その見えない網の片方で一人が動くと、もう片方でもその動きに反応して、動くという訳だ。

3847. 「分裂少女の手記」は身に沁みる「本」。ニンゲンは、一個の石、一粒の砂の存在である。そのコトバは実に深い。

3848. (私)を見失って、五感が誰のものかわからなくなって、信じるに足るものは何もない、(わかる)ということが(わからない)。気の毒な少女。宙空に、棄てられて、漂っている。

3849. 老人も、また、新しい人である。誰もが、はじめて、(老人としての生)を生きるのだから。

3850. 少女が青年に、子供が大人になる時の、あのとまどい!!当然、老人になった時にも、とまどいがある。老人の次にはいったい、何になるのだろう?