春、三月、昼下がりの午後、路上を歩いていた耳に、冥途からの声がとどいた。突然、携帯電話が鳴って、眼の中の風景が破れた。頭の中が、白くなって、泣きながら伝える人の声が、不思議な色に染まってしまい、言葉の意味が抜き取られてしまった。耳は、死んだ、誰が、どうして、何?と自然に声に反撥して、もう人間ではないという現象の前に、立ちつくして、大きな棒でもそのまま呑み込み、身体も心も脳までもがゆがんでしまい、不能に陥った。
不意打ちにあったまま、直立歩行して、喪服を持ち、電車に乗り、飛行機に乗り、タクシーを飛ばして、透明な壁の中に暗く閉ざされたまま、分裂してしまった心と頭のままで帰っていった。
枕元で、実と名前を呼んだまま、絶句してただ悲しくて、泣いた。昨日まで、いたものが、ただ、眼の中にある。決して、名づけ得ぬものの正体が、宙づりにされたまま、一切を拒んでいる。永訣という深い沈黙が、不思議となって、判断停止、狂いっぱなしだ。
いるからあるへと、突然、遠い遠いところへ飛翔してしまった弟。私は、自分の総エネルギーを集結して、ただ、耐えているだけだ。
いるはあるでもあるのに、あるはいるではない。人は、そのようにも、暮れてしまうのか。朝、昼、夜は、確かに知ってはいたが、自然のなかで、ただひとつ、不思議なものが人の死だ。
形が消えて、白い骨が残った。声も、眼の光も、心も、一切が消えてしまったのに、まだ、漂っているものがある。それは、名状しがたいものだが、確かに、私に触れてくる。虚空から吹いてくる風の気配にも似ているそれを、私は凝視する。
死ぬことは生きることと同じくらいのエネルギーがいる。私に触れているのは、おそらく、もうひとつのエネルギーだ。感じている。ビッグ・バンの風に吹かれて、銀河の、宇宙の永刧の旅に、億・兆年の旅をはじめた弟よ。誰もが行くという、(そこ)にむかって、いるからあるへ、あるからないへと変貌したまま翔んで行け。透明なあたらしい何かとして。