海部郡宍喰町日比原出身の重田昇氏(43)の短編小説集「ビッグ・バンの風に吹かれて」(東京・沖積舎)が長編「風の貌(かお)」の処女出版から18年という長い沈黙を破って上梓(じょうし)された。団塊の世代、立松和平などを学友とする早稲田大学在学中から早稲田文学などに作品を発表し、純文学の旗手と呼ばれた氏も、今では東京で自ら経営する出版会社の社長となっている。五編の短編集からなる作品は沈黙の分だけ重厚なテーマに支えられている。
氏が挑んだテーマとは、人類のまだわからない未知の領域である。「ビッグ・バンの風・・・」は決してSFではなく、現代の知の先端と氏の詩的感性でもって未知の領域を表現しようとする野心作である。
例えば作品「岬の貌」には、泳いでいた男がおぼれ意識不明となり意識が戻るまでに体験する、生と死の境での行為が野太く巧みな筆遣いで描かれている。タイトルとなった作品「ビッグ・バンの風に吹かれて」では、ある男が異次元でのあふれるばかりの光に満たされる体験や、未来を思い出すという体験などをした後、自分の意識ではどうすることもできず、手が勝手に人をナイフで刺してしまうという、奇抜なストーリーが展開されている。
理屈では解明できない経験をした者が、そのことを人に語るとき、二つの答えがすでに用意されている。「うさんくさい」ととりあわないのが一つ、もう一つは信じることである。体験が理性や科学で理解できないとき、人はそう答えるしか仕方がないからである。けれども、重田氏の表現の視点は、そのいずれかに、読者を導くものではない。
作品のテーマである人類の未知の領域や解明できない体験を表現するとき、おそらく重田氏のバックボーンには人間の深層心理を持つ狂気性を探ったミシェル・フーコーとか、まばゆい光におおわれる神秘的体験から精神患者が完治するのをみたユングやトランスパーソナル派の心理学者らの体験が息づいているに違いない。あるいは、二十世紀の物理学の基礎である量子論と相対性理論によって仏教・道教など東洋思想と同じ世界観を持つにいたったフリッチョフ・カプラなどに代表されるニューサイエンスとよばれる物理学者など、結局のところ「人間とは何か」を問うその他の大きな知が渦巻いているのであろう。
こうした現代の先端の知の裏付けと、詩心に基づく、帰納的な人間の探求が重田氏の姿勢であり、その姿勢が孤高の作品を形成させるのであろう。作品は、知の蓄積がもたらした純文学の高みと評価したい。
見識のある文学好きの読者にはぜひお薦めしたい本であり、現代の知を捕らえ直すにはおもしろい一冊である。
最後に作品「夏薔薇(ばら)」などに代表されるように、登場する多くの風景描写は空も海も雨も、私には県南・宍喰町のものであるように思われたことを付記しておく。
(詩人、日本ペンクラブ会員、徳島市新浜町二丁目)
(徳島新聞1991年5月10日号)
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